変化
五度目の三月二十四日になる。ノートの状態は周を跨ぐごとにリセットされ白紙へと戻るが頭のなかに映像として記憶している為大きな問題はない。それまで全く増えなかったことが嘘のように赤文字でノートは埋め尽くされている。山神さんと出会った日から俺は探索範囲を身の回りから世界規模に置き換えた。これまで赤文字が増えなかったことが嘘のように次から次へと相違点が見つかる。世界のとある国の名前が違っていたり、銀河系にある星の名前が違っていたり、中には島の位置そのものがズレている事もあった。そして共通することは、それはこの世界の常識として定着している。そこに違和感を覚えているのは俺が知る限りでは俺しかいない。
また、タイムリープを繰り返すことで気づく相違点もあった。三月二十日の晩飯は三周目までハンバーグだったのに対し四周目と今回はトンカツになっていた。あの紙の示す、元いた世界は一周目の合格発表の日、昼寝をする前の世界だろう。献立が変わったのは世界が変わったあとの出来事の為ノーカウントなのだろうが気にはなる。
図書館に着き、本を適当に選ぶと座ってコーヒーの缶を開ける。この行動が山神さんと俺を繋ぐトリガーになっているようだ。三周目に行動を省いた結果学食で正面に座っても謝られることはなかった。恐らく山神さんが俺を個体認識する為に必要な儀式なのだろう。一度経験した行動、会話を重ねる。限られた時間で課題をこなさなければならないのにわざわざ一日割いて山神さんと接点を持つことに必死になっているのは決して惚れているなどと浮ついた気持ちではない。家族を除いた知人を俺は持っていないのだ、この山神さんを除いて。
「葡萄が食べたくなったら言ってね、うちのおいしいから!」
前回まで俺は全て一人で調査をしていた。しかし結果が出ていない。相違点を全て見つけなければ前に進めないというのならばこのままだと何度繰り返すことになるか分かったものではない。
「山神さんは春休み暇なんですか」
まるで気があるかのような言い方になっていることに言い終えてから気がついた。時既に遅し、彼女はニヤニヤと笑いながらいたずらっぽく人差し指をこちらに向けクルクルと回している。
「あら〜ゆうくんってばついさっきまで赤の他人とか言ってたのに惚れちゃったのかな〜?」
失態だ。親父亜種のこの人にペースを握らせるとろくな事にならない。
「違います。言い方が悪かったですね。図書館に入り浸っているということは時間を持て余していると同義なのではないかと思ったので良ければ調べ物に付き合ってもらえないかなと思ったまでです。東大の四年生であれば間違いなく力になって貰えると思ったので」
「ちぇ〜つまんないの。私が暇だって?どこをどう見たらそう思うのかな全く」
「暇でなければ大丈夫です、他を当たります」
「暇だね。すっごく暇。何かをしたいと思ってたところ」
先程は遅れを取ったが二度と手綱は握らせない。こちとら更に変な人と生活しているんだ。
「ありがとうございます。では一般教養について教えて頂きたいので明日学食で待ち合わせでお願いします」
「待って待って。学食集合はオッケー! でも一般教養についてってどういうこと? 東大受かったんだよね?」
「はい」
「世間一般の人よりは一般教養は身についてるんじゃないの? 義務教育の範囲とか人としての常識とかそういうことでしょ一般教養って」
疑問に思うのは最もだが、詳細を伝えたら冗談だと思われ破談しかねない。
「大学生として恥のない教養を身につけたいと思ったまでです。俺よりも大学にいる時間が長いので勉強になると思いまして」
「…なるほどなるほど! いい心がけだね。じゃあ明日九時には来れると思うからそこで続きしよ。あと一つだけ、大学生というか人間として押さえなければならないこと教えるからよーく聞きなさい!」
「図書館では飲み物を飲まないようにします。山神さんも叫ばないようにしてくださいね。ではお時間頂きありがとうございます、また明日」
「この子…やる!」
その後図書館で得られるものが特にない事を経験しているので真っ直ぐ家に帰る。ここからは最早作業だ。如何に期日までにこの世の変化を見つけられるか。ノルマに追われる社会人とはこういうものなのだろうか。だとするのならば社会人になどなりたくはないな。不意に聞こえた扉をノックする音で作業の手を止めた。
「ゆう、ご飯できたわよ」
「ありがとう、もう少ししたらいくよ」
出来るだけ集中力の続く間は作業に当てたい。膨大な情報量から記憶と異なる部分を探し出す作業は幾ら時間があっても足りないのだ。
「ねえ、ゆう。大学が不安?」
「いや?そんなことないよ」
「受験が終わってからのほうが勉強しているじゃない。調べ物?」
「少し気になることがあってね」
「頑張ってるゆうのことは好きよ。でも最近余裕がないように見えるの」
いつだったか。お母さんに心配させるのは忍びないと思っていた筈なのに。
「ごめん、そうだね。ご飯食べるよ」
自分の置かれている環境を言い訳にして周りのことを考えていなかった。お母さんと、ついでに親父にも心配は掛けちゃ駄目だ。やることはあるけれどご飯のときは一緒に食べるようにしよう。
「冷めないうちに食べましょ。今日はカツ丼よ」
翌日、約束通りに学食へ着くと既に山神さんは席を取って待ってくれていた。窓際の席でここなら話をしていても他人の目は気にならない。
「おはようございます」
「おはよ! 早速だけど何からやる?」
「そうですね、一番知っておかなければならないことってなんでしょうか」
「ん〜そだね〜、テーブルマナーじゃないかな」
「では、それをお願いします」
「よーしがんばろう!え」
まさか受け入れられるとは思っていなかったようでしどろもどろになりながら弁明する。
「いや〜冗談のつもりだったからさ、テーブルマナーなんて私が知ってるわけもなく」
「では、基本的な物理定数を教えて頂けますか」
ホッとした表情で山神さんは持参した参考書を広げる。日焼けした表紙と随分と使い込まれていることから受験期に使用したものであることが推察できた。
「それにしても、この辺知らないでよく合格できたね?」
「知らないわけではないんです。最近記憶が不確かなだけで」
へぇと呟くとツラツラと説明を始めてくれた。山神さんの参考書を過去に読んだことはない。記憶と照らすことは出来ないが、確認したかった。それにどちらかと言うと山神さんと話すことでなにか新たな手がかりが生まれるのではないかと期待するところもある。
「だいたいこんなところかな。だいじょぶそ?」
「はい。ありがとうございます」
「…ごめん、やっぱり聞きたい!」
「はい?」
「記憶が不確かってどういう状況なのかなって」
「そのままです。あまり記憶力が良くないんですよ」
「そうかな? 君相当記憶力いいと思うんだけど」
何を見てそう感じたのだろう。暇な学生にしか見えなかったと思っているが違うのだろうか。
「昨日図書館で本を読んでた時、変な読み方してるな〜って思ったんだよね。指で一行ずつなぞってたからさ。でもね、既視感があったの。私も古文暗記するときにそういう読み方してた」
見られていたのか。背中合わせになるような位置で座っていたから全く気が付かなかった。
「ゆうくんはあの本を覚えてるよね」
「まあ、過去に読んだことはありますね」
大袈裟に首を横に振った彼女は某名探偵のようにこちらを指さすと声高らかに事実を述べた。
「いいや! 君はあの本の文章を覚えてる…はず!」
自分の目がゆっくりと大きく見開かれるのが分かる。これまで両親を除いて誰かに映像記憶能力がバレたことは無い。だが、小学生の頃一度だけ自ら暴露したことがある。その当時はここまで冷めた人間でもなく、人並みに注目を浴びたいという少年にのみ許された承認欲求を持ち合わせていた。人気者になれるとその時は本気でそう思っていたが、結果は真逆。人の噂も七十五日というが、こと俺に限っては永遠に覚えている。失態や見られたくないものを俺が見てしまうと一生忘れずに覚えられてしまう。その事を恐れられてしまった。以来俺は友達を積極的に作ることもなく注目をされない生き方を出来るだけしてきたつもりだ。それ故にまさか、見破られるとは思っていなかった。
「…その通りです。すみません隠していたわけではないのですが」
「本当に? それってめちゃくちゃ凄くない!」
「そうですか? 覚えていて欲しくない事も覚えられちゃいますよ」
「えー私は気にならないかな。凄いって感情しかない。寧ろそれ以外は何もない」
「忘れたくても忘れられないこともこれから先あるかもしれませんし」
「そんな悲しい事に出会わないようにすればいいじゃん!楽しさで人生満たしちゃおうぜ青年!」
現在進行系で悩み続けているが、それでもこの言葉には救われる気がする。底抜けに明るい人だ。
「ありがとうございます」
「そんなお礼言われるほどのことは何もしてないよ。でもさ、だったらなんで君は物理定数を知りたかったんだろ」
言葉に詰まる。全てを話してしまおうか、巻き込んでしまうのではないか。返事をできないまま数分が経過した。山神さんはこちらが話すのを待ってくれている。沈黙に入って三杯目のコーヒーを彼女が飲み始めたあたりで腹を括って話すことにした。
「…少し前まで常識だと思っていた事が非常識である事に気が付いたんです。例えば神戸川の事を俺は江の川と呼ぶと思っていました」
「…その呼び方は聞いたことないかな。昔はそう呼んでたのかな?」
「いえ、そうじゃないんです。皆の常識と俺の中の常識が食い違っているんです」
「君の記憶違いってことは、そうだね。無いか」
「ごめんなさい、おちょくっているわけではなくて本当にそうなんです」
「真剣だし君がこちら側の人間じゃないことは分かる。例えばだけど記憶が間違っているわけではなくて間違ったまま記憶してしまっているって線はない?」
「無いと、思います。地理のテストで神戸川を答える問題があったとして、それに江の川と答えてバツをもらい神戸川と知識を改めるわけではないんです。バツをもらっても俺の中では江の川なんです」
「ということは君から見ると君以外が間違えているように映るわけだ。さっきの物理定数はどうだったんだろ?」
「全て同じでした」
難しい顔をして人差し指を口に当て考え込んでいる。
「マンデラエフェクトって知ってるかな?」
集団で認知に異常が見られる現象のことだ。あらゆる条件が重なり勘違いをしやすくなっている事を誤った情報のまま記憶してしまうことに起因する。バタフライエフェクトのように理論として存在するわけではなく、ただその勘違いのことを指すだけの言葉である。知識は有している為頷く。
「それじゃない?」
「すみません、いまいち理解が…」
「佐原ゆうを除いた全員がマンデラエフェクトにかかってるってのはどう?」
「山神さんは神戸川が勘違いだと思いますか?」
「思わない。でも誰よりも記憶の確かな君よりは周りを疑ってもいいんじゃないかなと思う」
「いや…人数的にその規模の勘違いは無いんじゃないですかね」
「ん〜とりあえずさ、もっと色々話そうよ。私も知りたくなってきたし。君の常識ってやつ」
鼻で笑い飛ばされても文句の言えない話に真剣に付き合ってくれていることに最大限の感謝をしなければならない。日が暮れるまで話し、駅まで並んで歩く。
「明日はどうしよっか?」
「え、明日もいいんですか」
「暇なんだよ〜図書館飽きたんだよ〜」
「ありがとうございます」
「私思ったんだよね。違っているところを見つけるよりも、何故違っているのかを考えたほうがいいんじゃないかなって」
四月十日を超えるには相違点を見つけなければならない。原因ではなく、結果を探す必要性のほうが高いと感じる。だが、このままでは埒が明かないというのも事実だ。
「確かに、そうかもしれません」
「じゃあさ!明日はもっと気兼ねなく話せるところ行こうよ」
「はあ、どこですかね」
「ゆう君のお家」
「明日も九時に学食でお願いします」
「ですよね〜」




