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3月24日

 あれからというものノートに出来事を記載しているが一向に赤文字は増えていない。インドア派であることが災いし、変化を見つける事ができないでいた。このままこの周を無駄にするのは嫌なので情報を得るために外出を決断する。生憎の雨模様だが特段問題も無いだろう。先日までの陽気は気まぐれな猫のように姿を晦まし、季節外れな寒気が肌を貫く。目的地に着くまであと数分だが、それでもこの寒さは厳しいものだ。構内の自動販売機で缶コーヒーを購入し、図書館へ向かう。豊富な蔵書があり、入学前だが一般利用も可能となっている。貸出は出来ないが、情報を照らすのにここほど適している場所はないだろう。中に入ると勤勉な若者で溢れかえっているということもなく、ちらほらと本を読んでいる学生がいる程度だった。窓際の一席に陣を取り、書物を三冊ほど見繕う。席につき缶コーヒーの栓を開け一口飲み、気合を入れたところで近くに座る学生から声をかけられた。


「図書館は飲食禁止ですよ」


 書物を汚す可能性もあるのだから図書館が全国共通で飲食禁止なことは利用する人間なら誰でも知っていることだろう。三十円をケチってペットボトルのコーヒーを買わなかったことを後悔した。開けてしまった以上飲まなければこのコーヒーも浮かばれない。


「すみません、失念していました」


 外に出てコーヒーを飲み干し、近くのゴミ捨て場に空き缶を捨てて万全の状態で自陣へ戻る。コーヒーで得た温かさは上着を羽織ることもせず外へ出たことで完全に無かったことにされていた。辿り着いた時以上に寒い。


 「失礼しました」


 指摘をしてくれた善良な学部生に浅くお辞儀をすると、満足そうに無言でウインクをしてきた。実世界でウインクをする人に始めて出会った。きっと陽気な人なのだろう。

 選んだ書物は何れも過去に読んだことのあるものを選定した。俺の持つ記憶と違う文面があればすぐに気がつくだろうという魂胆だ。映像記憶が出来るもののカメラのように一瞬で何もかも覚えられるというわけではない。一文ずつ追い、記憶と照らし合わせるためただ読むよりは時間が必要だろう。幸い敷地内には利用できる学食も備わっている。閉館時刻までかかりっきりで読み込んでやるつもりだ。まずは『風の歌を聴け』を読むとする。中学一年生の頃、図書室で読んだ作品だ。


 そこまで頁数の多い作品ではないのだが二時間ほどかかってしまった。一度読んでいるが、実に面白い。目的を忘れて思い出すように読んでしまうところだった。さて、結論から言うと記憶と相違のある箇所は見つからなかった。あとがきや、著者プロフィールも確認したが以前得た情報と変わらない。あとの書物は『太陽の子』『そして誰もいなくなった』の二冊。何か小さな変化でも見つかると良いのだが、過ぎた期待なのかもしれない。


「そんな!」


 図書館という静寂が約束された空間で大声を出すとはけしからん人もいたものだ。ドタドタと走って外へ去っていく声の主と思われる人は先程俺に飲食禁止であることを注意してくれた善良な学部生だった。少なくとも良識のある人だと思っていた俺は何かのっぴきならない事があったのだと推察したものの、赤の他人に根掘り葉掘り聞かれるのは不快だろうという結論に至り少し早めの昼食を摂りに学食へ向かうことにした。


 大学は現在春休み、図書館の人も少なかったことから学食が混雑しているとは全く持って想定していなかった。注文したカツ丼をトレーに乗せ、何とか見つけた空席に腰を下ろす。


「先ほどはご迷惑をおかけしました」


 カツの衣と卵とじの相性の良さったらない。この世で一番美味しい食べ物はカツ丼だと思う。これを出されれば取り調べで自白してしまうのも頷けるというものだ。カツと幸せを噛み締めていると正面に座っている女性が俺のほうに手を伸ばし、何か話しかけていることに気がついた。


「あの、図書館にいた方ですよね? 大きな声を出して迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」


 聞こえてなかったわけではない。誰にも迷惑をかけられてもないしここには現時点で知り合いと呼べる人間もいない。故に自分に向かって発せられた言葉だとは思っていなかったのだ。


「いえ、こちらこそコーヒー飲もうとしてしまったところを救っていただきありがとうございました」

「救ったわけじゃないよ。ルールは守るためにあるからね」

「以後、気をつけます。教えてくれてありがとうございました。きっと言われなければそのまま飲んでいたと思います」

「お互いに気をつけるということで手を打とうよ! 私達きっとこのままだと謝り続けると思うの。図書館はあまり使わないのかしら? 私は空いた時間があれば図書館にいるけれどあなたを見たのは今日が始めてなものだから」

「あー、俺まだここの学生じゃないんです。来月入学します。今日は確かめたいことがあって図書館に来たんです」


 合点がいったというように大きく頷く。それにしても図書館ヘビーユーザーとはやや驚きだ。陽気でコミュニケーション能力が高い人に見えるからてっきりサークル活動などで活躍をしている人なのだと思っていた。


「なるほどなるほど。年下かなと思ってはいたけれどまさか未成年だったとは。私は山神明里、法学部4年生。よろしくね」

「佐原ゆうです。キャンパスは違いますがよろしくお願いします」

「ゆうくんはなんで私が叫んだか聞かないの?」

「見ず知らずの赤の他人に失態の原因について追求されたいのでしたら聞きますが」

「君は面白い事を言うね。そうね、確かに赤の他人には追求されたいとは思わないかも。でももう私達知人じゃない?」


 知人と言われてホッとする。このやり取りだけで友達等と言われたら即刻距離を置いていた。


「では、何かあったんですか」

「そうなの! 聞いてくれる!?」


 そちらが聞けと言ってきたのだから元よりそのつもりだが。


「私の地元はね、島根にあるんだ。実家はそこで農家やってるの」

「お米ですか」

「んーん、葡萄。それでね葡萄ってすぐ病気になっちゃう弱い果物なの。なんとか品種改良を重ねて今の葡萄があるんだけどさらなる改良を目指して色んな取引先の人とこんな葡萄があったらいいよね〜って話をしていたんだ」

「品種改良には結構お金がかかると聞きますが大きい農園なんですね」

「お金はね…そんなにないんだ。だから品種改良も融資をしてもらわないと出来ない話だったの。大手だと相手にされないから信金とか地銀に掛け合ってようやく仮審査が通ったって話だったのに」


 悔しそうに下唇を噛むと鋭い目つきでみつけて一回り大きな声で言い放つ。


「さっき本審査通ったって連絡が来て叫んじゃった!」

「良かったですねおめでとうございます」


 なるほど、親父の亜種だと思ったほうがいいな。いたずらや人を驚かせることが好きなのだろう。反応がつまらないな〜と言いながら毛先を人差し指でくるくるしている。


「今後葡萄を買う時は神戸川の山神農園をよろしくね!」

「機会があればそうしますね」

「その時は連絡してよ!ライン交換しよう!」


 少し躊躇う。今日を過ぎれば山神さんと会うことも無いだろう。キャンパスも違ければ彼女は次年度で卒業だ。しかし彼女のキラキラとした目を見ると断るに断れない。


「分かりました、よろしくお願いします」

「ありがとー!なんかあったら連絡するね!」


 交換する前と後で用途が異なっているじゃないか。こちらから連絡をすることはまずないだろうから構わないが。満足したのかご飯を食べ始めてくれたので愛する静寂が戻ってくる。山神さんは用事があるとのことで午後二時頃には姿を消した。俺はというと閉館まで居座り調べ続けたがこれといった手がかりは掴めていない。朝よりも寒くなった外気を恨めしく思いながら帰り道を歩いていた。ふと、山神農園のことが気になりネットで検索をする。


「…まさか!」


 俺は事態を甘く見ていた。島根県から江の川が無くなっている。広島と島根に流れる一級河川、その川を俺は江の川と呼ぶ事を記憶している。そして、俺の記憶でかつて江の川だった川こそが山神さんが神戸川と呼んでいたものだった。ウィキペディアやマップアプリを開いて何度も確認したがそのどれもが神戸川と記載している。掛ける予定など微塵もなかった筈のラインを開き山神さんへ通話していた。


「やっほー!」

「こんばんは、山神さん。一つだけお聞きしたいのですが神戸川が江の川と呼ばれていたことはありますか」

「ん〜?どうかな…私は神戸川って呼んでることしか知らないかな。後でお父さんに聞いてみるよ、ラインするね!」


 お礼を伝え通話を切る。自宅へ着くと衝撃に脳を揺さぶられながらもノートに今日の出来事を記す。待望の赤文字が増えたが、思っていたよりも大きな出来事に困惑していた。自分の身の回りで変化が訪れているものだとばかり思っていた。しかし、日本地図に相違が出ている。これは俺の身の回りで起こることではなく沢山の人に影響の出る変化だ。書き漏らすことのないように全てを文字に起こす。日付が変わる頃、滅多になる事のないスマートフォンが音を立てメッセージの受信を知らせる。


『やっほー!お父さんもごうのかわ?は知らないって!』


 俺は事の本質をようやく把握する。俺のいた世界が変化したのではない。俺が俺の知らない世界に移動したのだ。


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