表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

4月11日

 世間一般でいう天才と呼ばれる人たちのような独創的な発想も俺にはないし、難解な問題を苦労せず解けるというわけでもない。だが昔から一度目にしたものは映像として鮮明に記憶ができる、ある種の特殊能力のような物を持っている。


 元いた世界と違うところを見つけるまであなたは前に進めません


 あの日から色々と考えた。一度見れば完璧に記憶できるにも関わらず何度も目を通した。俺は異世界にでも転生したのかと、それにしては魔法も使えないしなにより大抵あの類いの作品は主人公が死して次の世界へ、というのがお決まりだ。俺は死んでいない。最初は親父を疑った。あの人ならどんないたずらをしてもおかしくはない。しかし合格発表の日親父には封筒を触らせていない。では誰が、お母さんか? お母さんは親父と正反対にきっちりとした人間だ。あの人に限っていたずらをするわけがないし、部屋に誰かが入ってきた形跡もなかった。

 ワクワクしてしまった。ある種の謎解きのようなものだ。周りと比べて冷めた人間なことは重々承知しているがそれでも年頃の男なのだ。この類のものにワクワクしないわけがない。何よりも物語の主人公のようではないか。

 つまるところ俺はこの紙を信じてみることにした。万が一本当に世界が変わっていて何か違うところがあるのだとしたらそれを見つけるのは俺にとっては容易い。

 しかし、違いは合格発表の日から今この瞬間まで俺は見つけられなかった。

 いつも通り両親に朝の挨拶を済ませ、朝食を頂く。焼き鯖の骨を取り除いているとテレビを見ていた親父からこちらに視線を向けずに声をかけられた。


「随分と早いな。入学式は安田講堂だろ? 九時に出ればいいんじゃないか?」

「いや、日本武道館だよ」


 いつもの悪ふざけだ。いつもならこの後家中に響き渡る程の音量で爆笑をする。しかしどういうわけか今日に限っては怪訝そうな顔をしていた。カバンを弄り、クリアファイルにきちんと閉じられた一枚の紙を差し出してくる。それには東京大学学部生入学案内と書かれていた。発表の日に目を通したあの書類だ。


 2026年4月11日 10時 会場 東京大学本郷キャンパス大講堂


「珍しいな、ゆう。勘違いか? そもそも東大の入学式を日本武道館でやったなんて話聞いたことないぞ」

「…またまた。春の入学式は毎年日本武道館でやるのが恒例でしょ。父さん達のときも日本武道館だったって言ってたじゃない」


 お母さんが不安そうな顔をしてこちらに寄ってくる。その手には体温計が握られていた。熱を測れと言わんばかりにそれを差し出される。


「私たちの時も入学式は安田講堂だったわよ? 安田講堂の入学式で席が隣だったのが馴れ初めって話を前にしたわよね? もしかして体調悪いのかしら」


 そんなわけがない。お母さんから何度も聞かされた馴れ初め話は日本武道館の入学式会場へ向かう途中に親父が声をかけたと記憶している。さしずめ夫婦揃ってのいたずらってところだろう。お母さんがいたずらに加担するというのは少々違和感があるが。


「ん、熱はないみたい。勘違いってことにしておくよ」


 俺は朝ご飯を食べ終えると先に出ることを伝え家を出た。例年日本武道館にて東京大学の入学式は執り行われる。合格発表の日に確認した封筒の中には入学日程があり、2026年4月11日の午前10時より日本武道館にて東京大学学部生の入学式が行われると記載されていた。

 九時三十分、九段下駅に到着。通勤ラッシュを抜けたこの時間帯にしては尋常じゃない程混雑している。その原因を作っているのは俺同様スーツに着られている学生だ。諸悪の根源が一斉に九段下で下車する。その塊と日本武道館到着まで行動を共にする。ほら、日本武道館でやるじゃないか。そもそも記憶で俺には敵わないと誰よりも知っているだろうにお茶目な夫婦だ。


「明治大学学部生入学式会場はこちらです。入学生はこちらへお願いします」


 大きな声で学生を誘導するその人は、今確かに明治大学と言った。東京大学ではなく、明治大学と。聞き間違いではない。声の主のもとまで走り、今一度確認する。


「あの、東京大学学部生入学式の会場はこちらですか?」

「…? 明治大学の入学式会場ですよ」


 スマートフォンが左胸で震えている。負けないくらい震えた右手でそれを掴み、耳に当てる。


「ゆう!着いたけどどこにいる? ちょっと席が遠くてな、見えないんだ!」


 そんな馬鹿な、本当に安田講堂だっていうのか。俺に限って言えば記憶違いはあり得ないのに。しかし、現にここで東京大学の入学式は行われない。論理的に考えれば分かる、『いたずらなどではなく両親は事実を言っていた』


 係の人に列から弾かれた俺は呆然とするしかなく、思考も働かない。俄には信じられないが俺が記憶違いを起こした。記憶だけは間違いない、間違えるはずのない俺が。今一度記憶を掘り起こしていると日本武道館の入口から微かに漏れる音が鼓膜を震わせる。


定刻となりましたので2026年度明治大学学部生入学式を行います


 腕時計は午前十時を指していることを確認したところで俺の意識はぷっつりと途切れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ