答え合わせ
「…おはようございます」
「おはよう! ご飯を食べてシャキッと行こう!」
「寝起きの頭に響くからもう少し静かに話してくださいっていつも言ってるわよね?」
明里さんと友達になった日から一日も欠かさずに会って話をした。両親を除いて、或いは含めても一番話した相手かもしれない。それでも、俺は見つけられなかった。入学式当日だというのに答えが未だ分からない。両親もその事は察しているようで、親父もどこか空元気のようなオーバーな励まし方をしてくれている。
「ごめん父さん、母さん。見つけられなかった」
「…何落ち込んでるんだ。入学式はまだ始まってないぞ」
「大丈夫よ。ゆうならできる! 私たちの子だもの」
「…ありがとう」
お母さんが親父を指さす。振り返りるといつも通りの現代アートのような寝癖のままラヴィットを見る親父は視線をテレビから逸らさずに諭すようにゆっくりと口を開く。
「もしも、駄目だったとしてその時は俺達に話したのと同じように次の俺たちに話をしてくれ。きっと力になる」
寝癖も直さず着崩れたパジャマのままの親父の発言に目頭が熱くなる。言葉に詰まった俺は静かに頭を下げ、感謝を体現するのが精一杯だった。
涙を堪えて食事を済ませて駆け込むように自室に戻る。開け放たれたクローゼットには空間に似つかわしくない上等なスーツが掛かっている。高校二年生で早くも成長線の閉じた息子に良いものを、ということで二月に親父がオーダーメイドしてくれた。今日で袖を通すのは三度目になる。鏡を見て笑ってしまった。相も変わらず似合っていない。
階下へと向かい、頭髪を整える。リビングへ移ると双眼鏡ではなくホームカメラを首から下げた親父がまるで赤ん坊が初めて立った時のように興奮し俺のことを映していた。
「これから入学式に行ってきます! ほら、ピースしろピース」
「えぇ…恥ずかしいよ」
「お前には分からないだろうなこの気持ちが。息子の入学式がどれほどに大事なのか。親になれば分かる」
「…前にも似たようなことを言われたね」
そうか、と言いながら撮影を続ける親父の表情はいつもと変わらない。優しくて、時には頼りになるいつもの親父だ。お母さんもその様子を笑ってみている。小学生の時、未だ人並みの感性だった俺がオチがあるわけでも特別なわけでもない話をした時もこのような反応をしてくれていたと思い出す。
「ほら、そろそろ出発したほうがいいんじゃないかしら」
時刻は八時三十分、入学式まであと一時間半。それまでに答えを見つけなければ、この世界の数日は無かったことになる。
「いってきます」
「…いってらっしゃい! 頑張ってね!」
人波の喧騒に塗れているというのに、音は聞こえない。親父との間にも言葉は無かった。残りの時間で答えを見つけられるよう、気を遣ってくれているのだろう。足早に進む親父に声をかける。
「どうした」
「ありがとうございました」
「バカだな。…親になれば分かるさ」
安田講堂の手前までやってきたところで、学生と保護者は別れることになる。ホームカメラの充電を確認し、満足げな表情の父が右手を差し出す。
「じゃあ頑張れよ。また、あとでな」
「…うん。またあとで」
今生の別れのような堅い握手を交わし、それぞれの行くべき所へと移る。既に父の姿は視界にはない。入学生が集っているエリアへと歩みを進めた時、ふいに視線を感じた。
小柄でナチュラルな茶髪の見覚えのある女性がベンチに腰掛けている。俺のために春休みの大半を無駄にしてくれた心優しい人だ。その手には文庫本が握られているが、文字を追っている様子はない。きっと人生で出したことのない程の大声を出さなければ声は届かないだろう。生憎、そのような根性は持ち合わせていない。だが、気がついていることを伝えないのは違う気がした。恥ずかしさはあるが、手を高く上げて左右に振る。
一瞬、驚いたような表情の彼女は溌剌と田舎道を走り抜ける少女のような元気いっぱいの笑顔で手を振り返す。大丈夫だよと、言ってくれているような安心感を覚える優しい笑顔だった。
結局、答えはなんだったのだろう。生まれて初めて友達が出来て、親に真実を打ち明けて、沢山の経験をした周だった。だが確信が持てる答えは遂には見つけられなかった。悔しさで頭がどうにかなってしまいそうだった。十時になればきっと自室のベッドで目を覚ますことになる。そうすればこの記憶、経験を共有できる相手はそこにはいない。いや…元の世界に戻れたとしてもきっとそうだ。ならば戻ったとして何がある。
俺はこの世界で前に進みたい。
『入学生は着席してください』
秒針の動きを目で追う。指先は冷え、喉はカラカラに渇いている。マイクのエコーが余韻を残しながら、入学式の始まりを告げる。
『2026年度東京大学学部生入学式を開会します』―――
心地よい風が吹き抜ける。本を持ったままこちらを見ている女性の元へ駆けてゆく。肩で息をする俺をその人は目を細め、真っすぐにこちらを見つめている。
「君は私の知っているゆうなのかな」
「答えになるかは分かりませんが、俺は明里さんと過ごした時間を覚えています」
彼女は肩を震わせ、絞り出すようにして声を出す。
「そう。…おめでとう」
「ありがとうございます。そうだ、お礼をしたいんですけどこのあと時間ありますか」
「何をしてくれるのかな?」
「面白い喫茶店を知ってるんです。ナポリタンが絶品で。ドリンクはミルクティーがおすすめなんですよ」
「…へぇ?」
「あの、嫌でしたら他の所に…」
「君はやっぱり面白い男だね」
完




