視野
「おはよ! ゆうはいつも同じ服装だね〜」
「おはようございます。同じデザインですが別の服ですよ」
「同じデザインならそれは同じ服でしょ」
「それもそうですね」
今日一日を明里さんに差し出す事を承知させられた俺は、東京大学前駅朝の七時に集合をかけられた。出かけるにしても早すぎるがこれまで明里さんに施された恩を考えれば、文句など言えるはずもない。
「じゃあどこに行こうか〜」
なんということだ。まさか当てもなく彷徨うというのか。目的地があり、そこへ連れ出したいという魂胆がありこの時間の集合だとばかり思っていた。インドア派からすると目的もなく外出をすることなどとてもではないが考えられない。人差し指を眼前に突き出してきた明里さんは呆然としている俺に外出の極意を説いてきた。
「その顔、目的地も決めずに連れ出したのかとでも言いたげだね〜?」
「一字一句まるっと同じように思ってます」
「外出初心者だね君は。目的地が無かろうとも行動に目的があればそれは外出をする最もな理由になり得るのだよ。そもそも…」
得意げな顔で色々言ってきているが、要は無駄な日にはさせないということだろう。明里さんが期日まで余り時間が無い俺を無意味に連れ出すとは思っていない。信頼はしているが、如何せん奇抜な思考回路を持つ人である事は否定できない為油断はしないよう注意深く進むことを心に決め改札を潜った明里さんの後ろをついて行く。
「とりあえず〜そだね〜どこ行きたい?」
「特段無いですかね…明里さんはどこに行きたいですか?」
「ん〜特にないかな。なんてったって私もインドア派だもん」
「好きなものとかないんですか」
「好きなものね〜本かな」
「じゃあ図書館に…」
「図書館だけはダメ」
きっぱりとした拒絶反応に戸惑いを隠せない。彼女にとっては最も落ち着く場所だと思うのだが。人混みは苦手だ。できる限り人の少ない場所に行きたい。
「では、海でも見たいですね」
「この寒空の中?」
「今日暖かいですよ。二十度になるそうです」
「ほう。じゃ、きれーな海見に行こう!」
この時期は海水浴客がいるはずもなく、混雑もしていないだろう。海風は冷えるだろうが、幸い気温も低くない。我ながら悪くない提案だろう。問題は場所をどこにするかだ。東京湾も過去と比べると綺麗になってはいるが、今回の趣旨には合致しない。
「ここからだと湘南が最適ですかね」
「いいね。決定!」
即決された。行きにくい所ではないが乗り継ぎが必要だし、人の多い駅に降り立つ必要がある。通勤ラッシュと重なるこの時間は確実に座れないだろう。提案しておいて何だが、気が乗らない。それでも楽しそうな明里さんを見ているとやっぱりやめましょうなどと言えるわけもなかった。
午前九時三十五分、鎌倉駅に到着する。全身の筋肉が悲鳴を上げている。不必要な外出をしない人間にとって満員電車というのは地獄と形容して差し支えない。結局目的地に着くまで一度も座れず、つり革に全体重を預けることになった。
何ゆえにここまで沢山の人間がいるのだ。鎌倉は観光地として有名とはいえ今日は平日、ここまでの人間がいるとは想像もしていなかった。
「人凄いね〜! 流石は人気観光スポット!」
この人は真の意味でインドア派ではないと理解した。感心などできないはずだ、今すぐにでも立ち去りたい。人波に揉まれながらやっとの思いで大通りへ進出する。多くの人が進む方向へ何の疑いも持たずについて行く明里さんの肩を叩きこちらを振り向かせる。
「そっちは鶴岡八幡宮です。海はこっち」
知ってたもん、と強がっている。誤りを認めたほうが楽だろうに。人混みとは逆方向へと進み暫くすると先程までとは打って変わって閑散としていた。趣のある建物が溢れる街を進み、信号機に由比ガ浜と書かれた案内板を見つける。その向こうには遮蔽物の一切ない、綺麗な海岸が広がっていた。
「凄いね。綺麗だ」
「…そうですね」
波打ち際では柴犬とボール遊びをしている老人、砂浜には子供連れの家族、水面ではサップボードやサーフィンをしている若者がちらほらとみられる。海面は凪いでおり、波を寄せては引いていく音だけが一帯を支配していた。
「少し歩こうよ」
普段見ることのない景色に心を奪われる。明里さんの声現実に連れ戻され彼女の横を歩く。断る理由などもちろん無い。
「ゆうは海に来たことはあるの?」
「小学生の時に家族旅行で沖縄に行きました。湘南は初めてですね」
「私は太平洋は初めてかな。こっちの海は穏やかだね〜たまにはこういうのもいいでしょ?」
「…そうですね。気持ちいいです」
先程までの地獄で蓄積した疲労などどうでも良いと思える。心が洗浄されたかのような心地よさだ。しかし、現実へと戻ると大きな問題は解決していない。依然として突破口は見つからないままだ。
「また難しい顔してるよ」
「すみません」
明里さんは視線を外すとラジオ体操のように大きく息を吸い込み吐き出す。
「今日はさ、沢山話そうよ」
「昨日とかも話してたと思うんですが」
「違うね〜そういうことじゃないね」
要領を得ない会話に小首を傾げる。察しが悪いねと言わんばかりにやれやれと首を横に振ると、人差し指を突き刺すようにこちらへ向けやはり、決め台詞のように大きな声で話し始めた。
「ゆうの見ようとしてこなかったものを見つけるために私は協力してるんだよね!」
「感謝してます」
「どういたしまして。じゃなくて! 会話をする中でゆうがよく見ているものを知って、そこから逆算するのが近道じゃないかな!」
「…あ、だから話のできない図書館はダメだったんですね」
「成長したね…その通りだよ」
「でもこれまでの話は昨日、一昨日でしちゃいました。あとは何を話せばいいんでしょう」
「いくらでもあるでしょ? 好きな食べ物とか、音楽とか、大学でやりたいこととかさ。とにかくどんな話でも良いんだよ」
「はあ、分かりました」
自分語りは余り得意ではないが、思いつく限りこれまでの人生で経験したことを明里さんに話す。不思議なもので初めは何を話せば良いのか分からず辿々しい語りになっていたが、時間が経過するにつれて自分でも驚く程饒舌に話していた。誰かに自分のことを話すのは極めて貴重で、親にすら話したことのない学校での出来事等、何から何まで息をするように吐き出せる。昼を回った頃近くのファストフードでテイクアウトし、再び海岸に戻って階段に座り一緒に食事をした。明里さんは時々話に対する質問をするほかは傾聴に徹してくれていた。
「まだまだ話せそうだけど暗くなってきたし帰ろっか」
夕方になっていることにも気が付かず熱中してしまっていた。
「ありがとうございました。明里さんは話を聞く天才ですね。とても話しやすかったです」
「そんなことないよ〜。ゆうの話が面白かったからね。目的も忘れて聞き続けちゃった」
「あ、俺も忘れてました」
「でもね、少しだけ見えた気がするよ」
「本当ですか!」
「でもね、教えてあげられない」
「え…」
俺はこの周を無かったことにしたくない。親に秘密を打ち明けて、明里さんと友達になれて、今日ここに来れたことを無かったことにしたくない。その為にはゴールを探さなければならない。どんなに小さな手掛かりでも今は欲しい、明里さんも分かっているはずだ。しかし、意味もなく意地悪をするような人ではない。きっと俺自身が見つける必要があるものだと、明里さんは判断したのだ。情けない声を出してしまった後、真意に気が付き恥ずかしくなる。
「私は協力はするよ。最大限の協力をする。でも、解決するのはゆう自身だから」
「はい」
「見ようとしてこなかったこと、ゆうはあるはずだよ」
「…考えてみます」
「これが正解なのかは分からないけどね。でも、私はゆうが今回でループを抜けられるような気がしてる」
見ようとしてこなかったことを明里さんは俺の話の中で気が付いたということになる。会話の内容を振り返るがピンとくるものはない。
「もう少し、付き合ってもらえますか」
「もちろん」
鎌倉のお店は閉まるのが早いらしく、夕方の六時だというのに軒並みシャッターが降りている。観光客も今朝のような賑わいは無く、駅のホームにも数人しかいない。帰りの電車は空いており、二人とも座る事ができた。朝の溢れる人間の荒波に揉まれたこと、話し続けたことで疲労が溜まっている。明里さんは横で本を読んでいるが、とても同じ事ができる余力はない。気がつくと眠ってしまっていた。乗り継ぎをし、東京大学前駅で別れる。
「今日はありがとうございました」
「明日も話そうね」
「…はい」
玄関を開け、自宅へ入ると同時に鎌倉で感じた以上の疲労が襲ってきた。シャワーは朝に浴びることにし、晩ご飯だけ頂くとベッドへ横たわる。
『見ようとしてこなかった』こととは一体なんなのだろうか。この先も何度も明里さんと話したものの、俺は答えを見つけられないまま入学式を迎えることになる。




