友達
「よかったじゃないか!」
帰宅した親父に明里さんが信じてくれた事を言うと鼻息をふんふんと鳴らし勝ち誇った表情で仁王立ちしている。賛辞の言葉を述べるまで腕組みをしたまま永遠に玄関に居座るつもりだろう。
「父さんの言うとおりだったよ。力になってくれるって言ってくれた。ありがとう」
「頑張ったのはゆうよ。あなたは背中を押しただけ」
「分かってるよ! それでも嬉しいじゃないか!」
「そうね、ご飯できてるから早く手を洗ってきて頂戴」
いつもと変わらない言葉の応酬を見届ける。便宜上敗者となった父は降参したようで口を尖らせたまま言われた通り洗面所へ向かう。ブツブツと何かを言ってはいるものの不思議と不満そうには見えない。
「いただきます」
家族三人で食卓を囲む。以前は代わり映えのない日常としか捉えていなかったこの時間も今となっては大事な家族団欒のひとときだ。
「テレビつけないの?」
「ん? 何か見たい番組があるのか?」
「いや、いつも父さんテレビつけてたから」
顔を少しだけ上に向け思い出すように遠くを見ている。意識的につけていたわけではないのだろうか。テレビっ子ではあると思うのだが。
「あまり気にしたことはなかったな。ただ知ってるだろ? 父さんは無音が苦手なんだ」
「昔からそうよね。あ、あれかしら? ゆうが沢山お話するようになったからじゃない?」
「なるほど…そうかもしれないな。ここまでお喋りなのは小学生の時以来だし。話を聞くのが楽しいから付ける必要もないな」
小学生の頃、他人と違う優越感に浸るために映像記憶の事を暴露してからというもの冷めた人間でいた自覚はある。だが、それまでの俺は陽気とまではいかないが元気のある子供ではあっただろう。普通の子供のように学校で習ったことや休み時間にドッジボールをしたこと、放課後友達とドロケイをしたことなどを得意げに両親に話していた。どれもくだらない、オチもない話だったが楽しそうに話を聞いてくれていたことを忘れるわけもない。
「だから色んな話を聞かせてくれ」
「分かったよ。これからは出来るだけ沢山話すことにする」
チッチッチ、と指を振る。悪戯っ子の顔だ、ろくな事にならない。
「山神さんのことに決まってるでしょうがあ!」
「そうね。そうよね」
「母さんまで…話したとおりだよ。ループしてること、微妙に違う世界から来たことを信じてくれた。協力してくれるって」
「本当にそれだけか? 親を舐めるなよ。分かっているんだもっと大きなことがあったことを!」
と、言われても何のことだろうか。適当に言っている気もするしそうでない気もする。しかし残念ながら心当たりはない。
「いや、本当にそれ以上のことは何もないよ」
「そうなのか? …まあそういうことにしておこう」
何が言いたいのかいまいち良く分からないが追及は逃れられたようだ。話しながらも五分で食事を終えた親父は食後のコーヒーを啜っている。
「明日からはどうするんだ?」
「協力してくれるって話だからゴールがどこなのかを一緒に考えてもらおうかなって思ってる」
全てを打ち明けて、一歩前に進んだことは間違いない。しかし、依然として目標とするべきものが分かっていない以上明確にすることは最優先だろう。
「元の世界と変わったところが何を指しているかがまだ分からないんだ。地名とか物理的なものなのだとしたら既に相当数見つけている。それでも進めないってことは目標が間違っているのか、詰めが甘いのかどちらかだと思う」
「そうか。父さん達も考えてみるよ。無理はしちゃ駄目だぞ」
「ありがと。ごちそうさまでした」
自室のベッドに横になる。最初の頃血眼になり掻き集めた世界の相違点を纏めたノートを思い出していた。かなりの数の相違点を見つけてきたはずだ。そして、その原因も分かる範囲では調べ尽くした。残されている筋は何があるのだろう。
考えても出てこない。出てきてたらループをここまでしていないのだから当然と言えば当然だ。入学式まであと二週間と二日しかない。答えに辿り着けるのかという不安が強く胸にのしかかる。明里さんも手伝ってくれる、きっと大丈夫だ。
それでも残る不安を強引に消し去るべく、電気を消して眠りにつくことにした。
翌朝、出勤する親父を見送ったあと身支度を整えて家を出る。まだ早いが、俺も出発をすることにした。いつものように電車に乗り、徒歩で直ぐの門をくぐる。途中、構内の自動販売機に立ち寄るとラインナップにカフェオレが増えていた。ふいに以前明里さんと訪れた激辛ナポリタンを出してくる喫茶店を思い出す。待ち合わせまでまだ三十分ある。一杯飲んでも間に合うだろう、軽い気持ちで例の喫茶店へ向かうことにした。
相変わらず喫茶店だとは思えない風貌だ。どう見ても古い木造建築の一軒家にしか見えない。玄関のドアを開け、入店すると当然と言えば当然だが客は誰もいなかった。
「あの…やってますか」
「ん」
肯定の一文字を発したマスターはカウンターにメニューを置く。この店にメニューが存在したことに驚いた。想定外のホスピタリティに固まっていると、マスターがここに座れと目配せをしてくる。
「…」
無言で真正面に立たれると気まずいことこの上ない。早く注文を決めろ、という圧を受けながらメニューを流し見する。メニューを見るまではホットコーヒーを頼むつもりだった。しかし、見つけてしまう。前回飲みそびれたまともではない飲み物を。一般的な男性であれば仕方がないことだと理解してくれるだろう。純粋な好奇心には勝てず、ホットコーヒーのことなど歯牙にもかけず注文をする。
「ミルクティーください」
無言で立ち去るマスターが視界から捌ける。内装や絵画もあるにはあるが興味を惹かれるものは特にない。なんとなく裏面のメニューを確認しているとドンっと大きな音と振動が手元に伝わってくる。震源地に目をやると並々と液体の入ったジョッキが置かれていた。以前明里さんは『ミルクティーがまともな飲み物ではない』と言っていたが山神スペシャルミルクティーがまともではないのだと思っていた。だがこれは違う、素のミルクティーがジョッキに入っている。なるほどまともではない。待ち合わせまでの時間潰しのはずだったが、それどころではなくなった。これを飲みきらなければ店を出れない。明里さんと行動を共にするのならいずれここにも来るだろう。ここで飲みきらずに退店した場合『ミルクティーを残した図太い客』としてマスターの海馬に刻まれてしまう。
全てを受け入れ、スマートフォンを手に取り明里さんへ連絡を入れることにした。
『すみません、少し遅れます』
『ほーう。コーヒーで手を打とう』
怒っているのだろうか。俺のために時間を作ってくれているのだから当然だな。まずは目の前の怪物を倒さなければ俺は学食へは向かえない。意を決して一口飲んでみる。少し甘すぎるが味は通常のミルクティーのようだ。
「あの、遅れてすみません」
「そだね。二十分遅刻だね」
まあ座るといい、と性格の悪い貴婦人の様な所作で着席を勧めてくる。
「ま、怒ってないよ〜。デートだったら話は別だけどね」
「すみません、コーヒー買ってきますね」
ケタケタと笑う彼女に制される。
「冗談だよ〜! ゆうは面白いねほんと」
「…すみません。今後気をつけます」
「気にすんなって! とりあえず自分のコーヒー頼んできたら?」
「いや…今は大丈夫です」
「そうなの? ここの気に入ってそうだったのに。じゃあ準備はいらないね。本題入ろっか?」
頷き、何から話すべきかを少し考えて、情報の共有から始めることにする。
「これまでの行動を共有したいんですけど、いいですか」
「そうね、失敗事例を知らないと考えようがないものね」
何周もしたこの世界で、俺が正解を見つけるために何をしてきたのか。そしてそれらのすべてが間違いであったこと。それらを零さずに伝える。
「俺はこれまで、元いた世界とこの世界の相違点について調べ、照合してきました。最初の方は相違点そのものを、明里さんと初めて会った五回目の三月二十四日からは相違点が生まれた原因についてを調べました」
「ゆうはこれで何周目なのかな?」
「五十九周目です」
明里さんの引き攣った顔は初めて見る。冷静に考えて五十九回のループは恐怖に感じるだろう、この表情も無理はない。
「あ、いやごめんね。思ってたよりも多かったからびっくりしちゃった」
「いえ、構いません」
「そこまで調べたけど、抜け出せていないんだね?」
「はい。元いた世界で得た知識と照らす事は出来ますが、元いた世界の時から知らない情報の場合照合できません。なので相違点を全て見つけられてはいないと思います」
「そりゃそうよね〜。専門家しか知らないような天体の名称とかだと分かるわけもないし」
天井を見ながら人差し指で毛先をクルクルと弄っている。明里さんは人差し指を回すことが好きなのだろうか。常に人差し指を動かしているイメージがある。
「原因の方は?」
「分かる範囲のものは調べました。昨日お見せした神戸川の資料のような感じです」
一度見せたものと同じ紙を机に広げる。
『中国地方最大の河川で、広島県・島根県をまたいで日本海へ注ぐ一級河川。下流の出雲では神様が使う川として神ノ川と呼ばれる。一方上流の広島では生活に密接する河川である事から愛称として可愛川と呼ばれていたが一九六六年の一級河川指定時に神戸川に呼び名を統一された』
「明里さんは前に会った時、神戸川の他の呼び名は知らないと言っていました。お父さんにも確認してくれたけど、やはり知らないという回答でした。それは島根県に住んでいる人だから知らなかったのだと思います」
「…そうだね。私は神戸川としか聞いたことはないね」
余白に漢字で江の川と書き、明里さんに見せる。
「漢字でごうのかわはこの様に書きます。この漢字を知らない人が見た時大抵は『えのかわ』と呼ぶだろうと思いませんか」
「『ごうのかわ』よりは『えのかわ』が読みやすいね」
「そうですよね。そして神戸川は一級河川の指定を受けるまでは『神ノ川』とも『可愛川』とも呼ばれていた」
「そうね。それで? どう考えたのかな」
「『神戸川』にも『江の川』にもなり得た事象だと考えました。この世界では偶々『神戸川』が採択された。元いた世界では偶々『江の川』が採択された」
もちろん神戸川が採択された背景は存在するだろう。今となっては確認のしようがないが江の川が採択された背景もあったはずだ。その背景を生んだ分岐点がバタフライエフェクト効果として世界に差を生んだ。そう考えている。
「うーん筋は通ってるよね。間違いとも思えない。多分ゆうの考えは合ってるよ」
「ありがとうございます。でも、抜け出せませんでした」
「『元いた世界と違うところを見つけるまであなたは前に進めません』だっけ?」
「はい」
「これが誰か、例えば神様から与えられた試練だとしたら乗り越えられない試練は用意しないと思うんだよね。絶対前に進めると思うんだよ」
俺もそう、思いたい。では何故ゴールが出来ないのだろうか。
「結果も原因も分かるだけ調べました。それでもゴール出来ないのは何かが間違っているとしか思えません。明里さんは何か思いつくこととかないでしょうか」
「ん〜、『見つけなければならないものを見つけられていない』と考えるのが自然じゃないかな?」
「一応、記憶の範囲では見つけられるだけ見つけたつもりですが…」
「ごめんね、私はゆうの世界の記憶が無いから分からない。でもね、どれだけ完璧に記憶があっても見ようとしていないものには気がつけないんじゃないかな」
「見ようとしていないもの…」
「うん。きっとそれを見つければ前に進めるよ。見ようとしてこなかったものを一緒に探そう!」
見ようとしていないものとはなんだろうか。意識の向かないものと言うことは自分で気がつける事は無いように思える。
「俺は俺が見ようとしていないものに気がつける自信がありません」
「ふっふっーん。だから私が居るじゃないか!」
友達、両親の言う通りだ。中々、いやとても頼りになる。
「ありがとうございます」
「じゃ、提案なんだけどゆうの明日を私に寄越しなさい」
「…は?」
「遊びに行こーぜ!」
友達、頼りになるが難しい。




