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3月25日

 学食の窓際、極力人の迷惑にならない位置でコーヒーを飲み集合時間になるのを待つ。目を閉じ脳内で話す内容を反芻する。ここが山場だ。何としても信じてもらい、協力をしてもらわなければならない、いや協力してもらいたい。緊張を掻き消すような明るい聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「おや、早いねー!」

「おはようございます。少し早く着きすぎました」

「でも、参考書とか無くて本当に良かったの? 一般教養って言ってたのに」


 今日必要なことは勉強を教えてもらうことではなく、映像記憶の事を知ってもらい全てを打ち明けることだ。文字通りお荷物にしかならない勉強道具は不必要、そう考え今朝ラインで荷物は要らない旨を伝えていた。彼女はこの時にいつも両手に紙袋を下げていた。負担になるだけの物は無いほうがお互い楽だろう。


「はい。実は、ごめんなさい。少しだけ嘘をつきました」


 目を細めて下から舐めるように見回してくる。


「ほっほーう? お姉さんとお話がしたいために適当なこと言ってしまったというわけかな?」


 ニヤニヤと笑っているのはその為か。間違いではないが本質は違う。


「…山神さんにしか話せない相談があるんです」


 彼女の佇まい、表情、その場の空気が変わった。先程までの人をイジることに快感を覚えている陽気な女性ではなく、頼れる先輩として、話を聞く体制を取ってくれている。


「分かった、いいよ聞いたげる」

「ありがとうございます。実は最近記憶が不確かなんです」

「え、君相当記憶力いいでしょ。そんなわけないと思うんだけど」

「何故、記憶力がいいと思うんでしょうか」


 彼女はカバンから本を取り出した。荷物は要らないと言ったのに、と言いたげな視線を感じてかこれは今日返却する本だと言って笑い、続けて得意げに説明を始める。


「昨日さ、本を読んでる時こうやって指でなぞりながら見てたでしょ? それもゆっくりと。独特な読み方だなって思ったんだけどね、既視感もあったの。私も古文を暗記する時にそうやってたなって」

「読んでるところ見てたんですね」

「最初は缶コーヒーまた飲み始めないか監視してたんだけどね〜。冗談だよ? 偶々目に入っただけだから。つまりね、私が言いたいのはこういうことさ」


 立ち上がりこちらに背を向け一拍おいて振り返り、某名探偵のようにこちらを指さすと声高らかに宣言をする。


「ゆう君はあの本の文章を覚えている!」

「そのとおりです」

「え…マジなの? めちゃめちゃすごいじゃんそれ!」


 ホッとする。同じ言葉を何度か貰っているが、それでも俺の個性を否定せず受容してくれるのは感謝しかない。


「すごいなーいいなーかっこいいじゃん」

「ありがとうございます。そう言ってくれるから山神さんには話せたんです」

「私だけってこともないと思うけどなあ。凄いことじゃない本当に」


 彼女は一杯目のコーヒーに口をつけ、ゆっくりと流し込む。ここのコーヒーは豆から挽いている。ワンコインで本格的なコーヒーを手軽に楽しめると東大生の中では専らの評判らしい。挽きたてコーヒーを数口楽しんだ後、カップを置くと少し躊躇って様子で口を開く。


「…相談って、このことかな?」

「…いえ」


 全てを話す時がやってきた。出来る限り感情を抑え、事実を伝える事に努めることが重要。…うまく出来るだろうか。


「信じられないと思います。俺も山神さんの立場なら信じることは出来ないような、突飛な事を話します。出来れば最後まで聞いてください」

「もちろん。楽しみだね」


「ありがとうございます。…俺はこの世界にはつい最近来ました」

「ん〜宇宙人とか?」

「生まれも育ちも地球です。ですが、俺の知っている世界の常識とここの世界の常識には乖離があります。例えば、『神戸川』は俺の世界では『江の川』と呼ばれていました」

「ごうのかわ…聞いたことないな。どんな字を書くの?それは間違いなく神戸川のことなの?」

「江戸の『江』に平仮名の『の』川です。そして俺は一度見たものを忘れません。確実に江の川と呼ばれていました」

「記憶力は折り紙付きだもんね…ゆう君の思い違いってことは?」

「その線は捨てきれなかったので調べたことがあります」


 紙を二枚取り出し一枚は裏返して、机に並べる。


『中国地方最大の河川で、広島県・島根県をまたいで日本海へ注ぐ一級河川。下流の出雲では神様が使う川として神ノかみのかわと呼ばれる。一方上流の広島では生活に密接する河川である事から愛称として可愛川えのかわと呼ばれていたが一九六六年の一級河川指定時に神戸川かみとがわに呼び名を統一された』


「可愛川…なるほどね。これはどこで?」

「図書館の資料室です。山神さんと一緒に調べました。記憶を頼りに俺が描いたものです」

「…おかしなことをいうね。昨日出会ったばかりじゃない私達」

「そう、ですよね。実はここからが本題なんです」


 裏返して置いた紙をひっくり返す。目を細めて小さい字を追っている彼女は読み終えると目を伏せた。


『元いた世界と違うところを見つけるまであなたは前に進めません』



「進めてないのかな?」

「…はい」

「具体的にはどういう状態を進めていないと定義しているのかな?」

「四月十一日の十時、入学式が始まる瞬間に意識が途切れます。…目が覚めると三月十日の午後一時頃にタイムリープしているんです」



 コーヒーカップから立ち昇る湯気は既に失せている。冷えたコーヒーを口に含むと笑顔の彼女はあっけらかんと言い放つ。


「信じるよ」


 …山神さんは何故信じられるのだろう。逆の立場であれば信じられる自信がない。ましてや、旧来の友でもない昨日出会った『知人』の言う超常的な話だというのに。


「…何故、信じてくれるんですか」

「ん〜なんでだろ。信じてあげたいと思ったからかな。私はね、友達が悩んでいるなら助けたい」


 ありがとうと、伝えたい。伝えなければならない。意志とは裏腹に声帯は空気を震わせず、言葉を紡いでくれない。嗚咽の音だけが漏れる。


「ゆう、私はどうしたら助けになれるかな」


「…ループを抜け出したいです」

「それを手伝えばいいのかな」


 両目を袖で拭いながら何度も頷く。山神さんは俺の頭をもみくちゃに撫でる。


「一つだけ条件があるけどいい?」

「はい」


「今日から私のことは明里さんと呼びなさい」

「…ありがとうございます。明里さん」


 

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