You can't outrun the Cold 後編
「ここ……どこ?」
プロがいたのは、自分の見知らぬ精神の世界だった。
「リチャード?どこ?プロ……怖い」
「気づいたか。お嬢さん」
声のする方へ視線を向けると、その先には老齢な男性がいた。顔は六花の模様が入った布で覆っているので、正体は分からない。
だが、少女の目から見ても、その身長は明らかに大きい。
歳をとって背中が曲がっていたが、それでもなお三メートルはありそうな、大きな体だ。
「……誰?」
「そうか。自己紹介をしなくてはいけないか。私にはいくつか名前がある。君のような生き方に伝わる名前は……マウンダーだろうな」
「そうなんだ」
プロは訝しむように返答した。名を名乗っただけでは信用に値しないようだ。
「君の連れ……えーと……リチャードくん、で良かったか?」
「おじさん、リチャード知ってるの?」
「おじさんか……。まだ若いつもりでいたが……」
さすがに無理があった。
「おじさん、リチャード、どこいるか知ってる?」
「ああ、彼ならねぇ。じきに捕まって、酷い目に遭うよ」
「え……」
「なにもかも君のせいだ。君がそのリチャードくんと会ってなければ、彼は今から酷い目に遭うこともなかったろう」
「なんで……どうして?」
「君が、ドラゴンのくせに人間の生活をしているからだ」
「やだ!リチャードに意地悪しないで!」
「君のせいだ」
「お願い!」
「君のせいだ」
「やめて!」
「君のせいだ」
「いじ……わる……しない……で」
眠っているプロが、寝言を呟いた。その内容から大分うなされていることがわかる。
「なにか……できないか……」
リチャードは自分の無力さを痛感させられるが、そんなことにかまけている暇はない。
プロの胸元には切っ先でつけられた傷が未だ塞がりきっていなかった。
ぼんやりと輝く胸元へ、リチャードは手を当てて、意識を集中させる。
「プロ!起きろ!」
意識を集中させても、プロの精神世界に至ることはできない。
だが、もしかしたら呼びかけられるものがあるんじゃないか。
その一心で、リチャードは声をかけ続けた。
「──起きろ!プロ!」
精神世界にほんの僅かだが、リチャードの声が聞こえてくる。
自らをマウンダーと名乗った男はその声が聞き取れなかったが、プロは確かにその声を聞き取っていた。
「リチャード!」
「起きろ!起きろプロ!」
「リチャード!」
プロはうっすらとしか聞こえないリチャードの声に呼応し続ける。
声は聞こえていないが、マウンダーはなにが起きているかを一瞬で判断した。
「聞くな。それは誑かしだ」
マウンダーはプロを諭そうとするも、彼女の聴覚は彼の言葉を受け取ろうとしなかった。
プロの心はもうここに無かった。ただ一つ彼女の行く先は決まっていた。
彼女が意識を切断するように、精神世界を離れようとしたその時だった。
「君はドラゴンだ。その事実は揺るがない。君がドラゴンであるせいで、そのリチャードくんが苦しむんだ」
男は焦りがありつつもどこか淡々としていた。
声のトーンは一定で、他人事のように聞こえてくる。
「おじさん……」
精神世界から消えながら、彼女はマウンダーに語りかける。
消えゆく残像が、次第に姿を変えていく。
立派な角、赤い鱗の生え揃ったたくましい腕、蛇のような目。だが、想いはブレることを知らないように、言い放った。
「プロ、ドラゴン。でも、リチャード好き」
そして、彼女は精神世界から姿を消した。
ロイヤーの致命的な光景を目の当たりにしたリチャードは右手の違和感に気がつく。
右手の触れているプロの身体は、人智を超えたスピードで胸の傷が塞がっていき、その下の皮膚の感触も、人のそれ──いや、哺乳類のそれではなくなっていく。
リチャードは少し距離を取ると、プロの体は一気に膨張し、そこには人間からかけ離れた姿のプロがいた。
プロが目を覚ます。
二階くらいまである身体を起こすと、軽い地鳴りが起きる。
足元にはリチャードがいて、普段は見上げるように大きい彼も、今ではとても小さく見える。
「プロ!よかった!」
姿が変わっても、リチャードのプロに寄り添う気持ちは変わらなかった。
その人肌の温もりが、プロに更なる覚悟を与える。
コーディーはドラゴンに変貌した彼女を前にしても、その表情を一切崩さない。
「対象の戦闘形態を確認」
無機質な報告を行い、コーディーは剣を構えた。
どんなドラゴンであろうと、コーディーにとってそれがミッションの対象であることに変わりはない。
戦闘に乗じて生け捕りにしてやるだけだ。
「バアアアアアアウ!」
プロが一つ吠えると、冷えたタンブリッジ・ウェルズの空気が激しく揺らぐ。
攻撃が──来る!
コーディーがその攻撃に対し、防御姿勢をとった次の瞬間、プロはリチャードを抱えると、翼をはためかせた。
「!」
顔には全く出ないが、間違いなく彼は意表を突かれた。
即座に防御姿勢を解いて、逃走阻止の行動に切り替える。
ドラゴンは既に、空へ向けて大地を後にしている。
この距離ならまだ、遠距離攻撃が通る。
コーディーは剣を大地に刺そうとしたが、刺さらない。剣が誰かに握られ、防がれたのだ。
「させま…………せんよ…………」
その行為を防いだのは、瀕死のロイヤーだった。
相次ぐ想定外。それらの事象は、コーディーの理解の範疇を超えていた。
疑問に思考を支配されていた時、コーディーは空を見上げる。
対象物は遥か彼方、南の空へと雲の中へ突入していた。
「死にたいか?ドラゴンの逃走幇助、魔法使いとして、言語道断」
「……覚悟の上です」
ロイヤーは吐血しながら、スタンスを示した。
「そうか……」
次の瞬間、ロイヤーの視界は暗転した。
一方のリチャードは、プロに抱えられながら、暗雲の中を飛んでいた。ようやくリチャードはプロと会話できる。そう思うと勝手に言葉が紡がれていた。
「プロ……生きててくれてよかった」
「バアアウ」
プロは嬉しそうに返事をすると、リチャードの顔を舐める。
「アハハ……くすぐったいよプロ」
「バウゥ」
「そういえば、プロと初めて会った日も、こんなふうに、二人で空を飛んだよな。あの日はまるで、夢でも見てるみたいだったよ」
「バァウ」
プロは甘く唸る。そして、二人は分厚い雲の上へ出る。
雲を抜けると、一気に世界は群青色に染まった。
無限に広がる青空と雲海、西に傾き始めた太陽。そしてリチャードとプロ。
「綺麗だ……」
雄大な雲と青空のコントラストに、リチャードは思わず声を漏らしてしまう。
まるでこの世界が、リチャードとプロのだけを残して消えてしまったかのように、美しい景色だった。
鮮やかに広がるその空を見て、リチャードはプロに想いを伝え始めた。
「プロ。このまま、どこまでも逃げ続けないか。ロンドンにいられないのは、寂しいけど……俺、プロと一緒なら、それでいいと思えちゃうんだ」
「バウ?」
「色んなところに行ってみたいな。俺、ほとんどロンドンから出たことないんだ。だから、世界の色んなところに行けたら楽しいだろうなぁ。今なら、旅をしたいって言ってた、あのドラゴンの気持ちも分かるのかも」
「バウウゥ」
「イタリアとか行きたいな。地中海の風を浴びながら、プロと一緒に美味しいパスタを食べるんだ。あとは……スペインにも行きたい。バルセロナに行って、完成する前のサグラダファミリアを見たり、パエリア食べたり。それから、オーストラリア。サンゴ礁を見ながら、美味しい物食べて……って、さっきから食べてばっかりだ。プロの食い意地が移ったかな」
「バウアウ」
「そんな照れないでよ…………だからさ、なにが言いたいかっていうと……このままずっと、二人でいよう。たとえ、全世界が敵になったとしても……俺は、プロの味方でいる」
「バオウ」
「どこまでも、ずっと一緒に逃げよう」
南向きの空は青く澄んでいた。
第十一話【完】




