雨上がり後始末 後編
「しっかり掴まっといてね」
「……ん」
少女がリチャードの肩を掴む。しかし、少し力が弱く、リチャードは露骨に不安がる。
振り向いて少女の様子を見ると、寝ぼけたままだ。
「……しっかりだよ?」
リチャードは念を押す。すると、肩を掴む力がほんのり強くなった。
「大丈夫かなぁ……」
リチャードは普段より速度を落として、ほうきを飛ばすことにした。
朝の冷えた空気が、リチャードの肌をなぞる。
澄み切っていて心地が良い。今までなら、この時間帯より少し後に出勤時間を迎えるため、社に顔を出すのが億劫だったリチャードは、この空気が苦手だった。
だが今は違う。公私で充実し、この澄んだ空気の中でほうきを走らせるのが好きになった。
しかし、しばらくするとふと、鼻を突くような刺激臭が漂い始める。
「うっ、なんの匂い?酷い匂いだなぁ……」
リチャードは辺りを見回した。
そして、目にしてしまった。
魔法使いが死んでいた。焦げているものの、特有の長い丈から、それが羽織っている物がローブだと分かる。昨日の夜なんかに外にローブを着て出ていく動機があるのは、魔法使いしかいない。
「うっ……」
リチャードはあわや嘔吐しそうになる。人が死んだことにも、自分がそうなっていたかもしれないことにも。そして、その中にヴァージルがいるかもしれないことに、とてつもない不安を煽られた。
「ん……んん。なに……この匂い」
少女があまりの悪臭に、目を覚まし始める。
「見ちゃダメだ!目を、開けちゃいけない……」
リチャードはすぐさま後ろにいる少女に告げる。
「見ちゃダメって……なにかあったの?」
「……いつか知ることになる。それまで……目を閉じて待ってて」
「……分かった」
少女は不審に思ったが、リチャードがあまりにも迫真な呼び止めをしたためか、大人しくリチャードの呼び掛けに従った。
その道中、リチャードは匂いがしないように、普段よりも高い場所を飛んだ。
そして、少女は家に到着するまで、目を開くことはなかった。
「エマ!」
扉を開けるとすぐさま母親が飛び出し、少女を抱きしめる。
「良かった……無事で……」
その言葉は安堵の言葉だが、ホッとしたと一言で説明するには、あまりにも重く、色々な想いが詰まって出てきた言葉だった。
強く抱き締める力が少女にも伝わってきて、じんわりと目が潤う。
しばらくして涙とともに思いの丈も溢れてきた。
「……ごめんなさい…………ごめん……なさい……」
思春期特有の様々な考えすぎが、彼女を嵐の夜に駆り立てたのだが、自分への愛を知ったことで、自分がいかに愚かな行為をしたかを理解した。この謝罪は、その懺悔であった。
その場には、まるで母子の二人しかいないようだった。
リチャードは、特に何も言われなかったが、彼女ら二人の気持ちを汲んで、何も言わなかった。
しばらくすると、母子はリチャードに謝罪と感謝を述べた。
「本当にありがとうございました。なんとお礼したらいいか分かりません。これ、クッキーです。どうぞ、お食べになってください」
「そんな……いいんですか?」
「あなたは娘の恩人です」
「……そう言っていただけて嬉しいです」
「エマも、頭を下げなさい」
「……ありがとう……ございました」
「うん。じゃあ、俺はもう行くね」
リチャードがほうきに跨り、飛んでいこうと宙に浮いた、その時だった。
「魔法使いさん!」
リチャードは、呼び止められた。声の主は少女だった。
「私、魔法使いになる!魔法使いさんみたいになれるか、分からないけど……勉強も頑張るから!」
少女のその言葉には、覚悟や決意といった強い信念が感じられる。
「そっか!……じゃあ、待ってるからな〜!」
そうして、リチャードは宙を前進していく。
「魔法使いさーん!ありがとー!」
少女は、リチャードが見えなくなるまで声を上げ、手を振り続けた。母親も、再び彼が見えなくなるまで、下げた頭を上げなかった。
「プロが心配だけど、もう会社に向かう時間だよなぁ。深夜から出勤したし、早上がりさせてもらおっと」
リチャードはそう言いながら、会社に向かう。
街のスクリーンには、昨日の惨劇ばかりが映されている。そして、魂をくり抜かれた巨大なドラゴンの残骸も映っていた。
「…………俺が……討伐したんだよな。あいつのこと……」
湧いていなかった実感が、ようやく湧いてくる。
大物を討伐した。数日前までたった一匹も討伐できなかったリチャードが、今や、かのドラゴンに手をかけた。
賞賛が待っているかもしれないと思うと、ほうきのスピードが少しだけ速くなる。
勇み足ならぬ、勇み飛行なリチャードだった。
「おはようございます!」
リチャードは会社に着いて早々挨拶をした。しかし、挨拶のトーンが普段と全く違う。自分が褒められるだろうと、無意識に声の表情に出てしまっていた。
「リチャードくん!ああ、良かった」
社長がリチャードに寄ってきた。さぞ褒められるのだろう。
「緊急事態なんだ。魔法使いの死体が多すぎて、清掃業者が処理しきれないらしい。政府は魔法使いに、魔法使いの死体処理の増援を依頼してきた。うちの魔法使いも、連絡の取れない面々が多い。君が来てくれてよかった」
「なっ、なんですかそれ!仲間の死体を処理させるってことですか!?」
リチャードはその話を聞いて、動揺のあまり自分の偉業の事など、頭から飛んでいってしまった。
「ああ、政府は非情だ。こんなこと許されてはいけない。私たちはこの一件が終わったら、ストライキを決行しようと思っている。だが、補助金のためにも、君に辛抱してもらわねばならない」
「こんなの……人の心があったらできる判断じゃない」
「やってくれるか?」
「……これを引き受けるのは大きな貸しですよ?」
リチャードは文句の一つ二つでも言おうかと思ったが、ロンドンを死体の山から救い出す方が先決だと冷静に判断した。
社から出た直後に、彼の背中を嫌な寒気が襲った。
「そういえば……ヴァージルさんは……」
リチャードは飛び立つのをやめて、会社に全力で戻ろうとした。ヴァージルが生きているのか。忘れていたが、その事だけはハッキリさせておきたかった。
階段を全速力で登ろうとしたその時。
「彼なら、生きているよ」
リチャードの欲していた答えは予想と反するところから聞こえてきた。それは背後だ。
階段の下には、オリバーがいた。
「なんで……あなたがそれを?」
「私は昨日、空から落ちてきた彼を受け止めたのだよ。彼の体と大剣は、やはりずっしりと重かったがね。彼は目も覚まして、今は教会にでも居るのではないかな」
リチャードは胸を撫で下ろした。
「そ、そうだったんですか」
階段で急に足の力が抜け落ちる。リチャードはなんとか手すりに掴まって、二足歩行を維持した。
「行きたまえ。向かう使命があるのだろう」
オリバーに促されると、足が力を取り戻す。
「そうでした!いってきます!」
リチャードは、階段を下って外に出ると、急いでほうきに跨り、飛び去っていく。
「昔の彼を見ている気分だなぁ……」
その姿を見ながら、オリバーは感傷に浸った。
その頃、ヴァージルは社の保有する教会で、祈りを捧げていた。
教会の牧師は、彼がなぜ拳銃に祈りを捧げているのかが分からなかった。
しかし、金を貰えることや、牧師として彼の祈りを無下にできなかったので、彼の望みを引き受けることにしたのだった。
拳銃を弔う人間は彼しかいないので、教会は牧師とヴァージルだけが賛美歌を歌い、祈祷を捧げた。
ヴァージルが葬儀を終えて教会を後にしようとした時だった。
「ヴァージルさんって、ほんと変わってますね」
笑いながらヴァージルは呼び止められた。呼び止めたのはロイヤーだった。
「なんだよ。たまには空気読め」
「拳銃……いや、魔法石に祈りを捧げるなんて……フフッ、面白い人だなって」
「るっせえな。せいぜい喚いてろ」
「リチャードくんのバディになったらしいですね」
それまでの嘲笑混じりだったロイヤーの話しぶりが突然落ち着く。話は煽り合いから本題に突入したことを感じさせた。
「……それがどうかしたかよ」
「いやぁ……羨ましいんですよ。本当は僕が彼とバディになりたかった」
「アホか。ルーキーの小僧にお守り任せるわけねえだろ」
「でも、僕は前期、社内で二番目にドラゴンを討伐しているんです。最後の最後であなたに成果を奪われなければ、僕もあなたも十六匹。僕はあなたに並んで、この会社で一番ドラゴンを討伐できていたはずだったんです」
「なんだそれ。負け犬の遠吠えにしか聞こえねえな。そもそも、なんでお前はリチャードとバディ組みたいんだよ。まだ一匹しか討伐してねえんだぞ」
「分からないんですか?彼の凄さを」
「凄さ?」
「彼は……」
ロイヤーの口から明かされた言葉を聞き、ヴァージルは耳を疑った。
リチャードが現場に到着すると、そこは惨状と言う他ないような、地獄のような景観だった。
上空が交戦の舞台となったウェストロンドンの高級住宅街、ノッティング・ヒルでは、辺りにローブを着た死体が倒れており、街を象徴するカラフルな建物には所々黒いシミがつけられている。そしてその正体が、かつて魔法使いだった炭や、酸化してヘモグロビンの劣化した血液だということは、街に転がる幾つもの死体が物語っている。
「これは大仕事だな……」
リチャードはそう言うと、強大なドラゴンに挑み街を守った名誉ある残骸を片付け始める。
「魔法使いの方ですか?」
一人の作業着を着た男性が、リチャードに駆け寄ってくる。
「お手伝いありがとうございます。それにしてもすいません。お仲間が居るかもしれないのに、こんな事をさせてしまって」
「覚悟の上で来ていますよ。それより、遺体の処理はどうすれば……」
「それなら、向こうのブルーシートの上にまとめてあります。ここに、仰向けで並べるようにお願いします」
「……分かりました」
リチャードは、ブルーシートの位置を確認しに行った。
ブルーシートは近隣の公園の敷地に、所狭しと敷いてあった。
その上には多くの遺体が並べられていた。どれも焼けたような跡があり、中には一部が見つかっていない遺体も見受けられる。
その多くの遺体の中で、リチャードは奇妙な遺体を見つける。サイズ感からして男性の遺体──だと思う。
見たところなんの変哲もない、ただの焼死体だが、リチャードはそれが死んでいるように見えなかった。
好奇心。いや、魔法使いの本能が彼を動かした。
リチャードは遺体にナイフを突き立て、胸元を開いた。
「これ……なんで……」
その遺体の胸元に埋まっていたのは、拳程度の大きさをした、乳白色の魔法石の原鉱だった。
第八話【完】




