リチャードとランチを食べそびれた日 前編
「リチャードくん⋯。君は、いつになったら成果を挙げるんだ?」
青年リチャード・オブライエンは窮地に陥っていた。
会社の社長室に呼び出された彼は今、社長に尋問のようなヒアリングをされていた。
「そうですね⋯。本当に申し訳ないです⋯」
「入社してからそろそろ半年、君と同期のロイヤーくんは十五匹のドラゴンを討伐しているというのに、君は未だ一匹も討伐できていない。はっきり言って"魔法使い失格"だ」
そう言いながら、社長が両肘をついて顔の前で手を組む。すると、更に一段と室内の雰囲気が強ばる。
「今月の給料支給日は一週間後だな。その日までにめぼしい結果を出せなければ、君は⋯」
社長がニコニコしながら右手でサムズアップをする。ただ、その直後に自分の首元へとサムズアップを持っていくと、舌を出しながら首を切るジェスチャーをしたのだった。
そのジェスチャーにリチャードは身震いする。そのまま動けずにいるリチャードに、社長のフラストレーションは高まっていき、爆発する。
「分かったらいきなさい。時間が惜しいだろう?」
「はい⋯」
リチャードはとぼとぼと社長室を飛び出す。
一階の用具庫から魔法石の備え付けられた杖と黒いローブ、ほうきを取り出して、リチャードは街へと繰り出した。
「はぁ⋯。ほんとに参っちゃうなぁ。怒る気持ちも分かるけど、なにもあんなに言わなくても⋯」
空飛ぶほうきにまたがって、リチャードは街の見回りに向かう。
社外に出ると、辺りには歴史を感じさせるレンガ造りが並ぶが、奥の方には現代的な高層建築が両立する港町が広がる。
イングランド最大の街にして、世界屈指の歴史都市、ロンドン。
この街はドラゴン多発地帯に位置するため、歴史や街並みにはドラゴンの爪痕が物理的にも精神的にも刻まれている。
そんなドラゴンを討伐する専門職こそがリチャードの職業でもある魔法使いで、ロンドンをドラゴンの脅威から守っているのだ。
「そんな職業に憧れたけど⋯ドラゴンは怖いよ〜。最前線で戦えてる人たちは尊敬だな〜」
呑気なことをグチグチというリチャード。ロンドン生まれロンドン育ちの彼は、幼少の頃から魔法使いを見て、夢見て育ってきた。ロンドン人にとって魔法使いはヒーローも同然だった。
だが、彼は挫折を味わう。魔法使いに対する認識が甘かった。現場に出て彼は初めて知るのだ。やられたいドラゴン、非力なドラゴンなどいない。襲撃に来るドラゴンとの命のやり取り、本気の殺し合い。何度も殺されかけた。その都度、命からがら逃げて、同僚に後始末をしてもらい、上司や同僚に叱られる毎日。そんな生活にリチャードもウンザリしていた。
「多分、俺この仕事向いてないんだろうなぁ⋯。でも新しい就職先を探すのも⋯なぁ⋯」
ふと、リチャードはなにかに気がつく。
「あれ!?ここはウェイリー通りのはずなのに、道が⋯ない!」
ズラっと続くレンガ造りの歴史的建物群。だが、その建物群の中で日常のように振る舞う異変にリチャードは気がつく。
「間違いない。この建物がおかしい」
地図を見ながら、リチャードは着陸する。
そして、異変に取り付けられたドアノブを捻ってみた。
扉は鍵など掛かっておらず、すぐに入れてしまった。
扉の中は酷く殺風景だ。打ち付けのコンクリート。リチャードの入ってきた扉と窓枠以外、それが床や壁、天井となって室内を灰色で統一させていた。
ただ一つ、床の引きずったような赤いシミを除いては。
灰色の室内の奥に、このシミの主であるなにかがいる。
空いた扉の光に照らされて、そのシミの主の正体、その実像が浮かび上がっていく。
そこに居たのは、灰色の壁や床に赤いシミをつける少女だった。壁によりかかり、途切れ途切れの吐息から、弱っているのは明白だ。
だが、リチャードの目は彼女の傷ではなく左腕に向けられていた。
華奢な体躯に似合わない、大きく、赤い鱗と人の命など簡単に奪えてしまいそうな鋭い爪を備えた手。疑う余地のない、ドラゴンのそれであった。
「ド、ドドッ、ド⋯ドラゴンだ⋯」
自分の命を何度も奪いかけた存在を目の当たりにして、リチャードは露骨に怯んでしまう。
震えて膝に入っていた力が抜ける。折れるように膝が崩れて、彼は尻もちをつく。逃げなくては⋯いや、こいつを殺してしまうか?殺せるわけがない!
彼は思考が纏まりきらない。巡り巡る思考に支配されて、彼はいつの間にか動けなくなっていた。
彼女がリチャードの存在に気づく。
気づいたと同時に、リチャードが「ヒッ」と小さな悲鳴を挙げる。今なら彼女の一挙手一投足が恐怖の対象だ。
少女はこちらの様子を伺いながら、目と声でリチャードの動きを制す。人間の声帯だが、唸り方は人のそれではない。彼女の警戒心の高まりに呼応するように、彼女の体の傷が癒えてゆく。
「バウ!」
一叫び⋯彼女が吠える。
彼女は四足歩行の姿勢でリチャードに向かってゆく。
「バアアアアウ!」
そしてより大きく吠える。リチャードは恐怖のあまり、叫び声すら上げられなかった。
ただ直感的に悟ったのは「あっ、死んだわ。遂に」であった。リチャードは反射的に両手を顔の前に構えて目をつぶる。
グウ〜
なにかが部屋に鳴り響いて、リチャードは目を開けた。自分の顔の前では少女がシュンとしていた。
自分を襲うと思っていた対象が突然萎えたことに、リチャードは不思議に思ったがふと、その正体に気がつく。
「⋯⋯お前、その⋯⋯腹、減ってる、のか?」
鱗をまとう左手がするすると収縮し、哺乳類、ホモ・サピエンスのそれとなる。
どうやら空腹でリチャードを襲う気力さえもないらしい。その場で犬が寝る時にするような顎を床につけたポーズでぐったりとしてしまう。
そして、自分が殺される恐怖感が拭われた今、リチャードの脳裏には、少女を殺すかどうかの葛藤が漂ってくる。
殺すか、殺さないか。迷ってる時点でダメだ。ここでこいつを殺せば⋯クビは免れる!チャンスだ。一思いに──
リチャードはぐったりとした少女に杖を向けた。こんなにも近い。外しようがない。しかし、照準が定まらない。手が震えている。こんな無防備な少女だが、それは見た目だけの話だ。疲れ果てたドラゴンが目の前にいる。こんなチャンスは二度と起きえない。
リチャードはもう一段階力を込める。杖に力を集中させて⋯。
「あーもう!」
リチャードは杖をしまってしまう。
入れ替わるようにバッグから紙袋を取り出した。
バッグを漁る音を聞いてか、はたまたリチャードの声により、静寂が破られたからか、少女が片目を開いてリチャードの様子を伺う。
「ほら⋯食べろよ」
リチャードは少女に向かって、紙袋を差し出す。
少女は紙袋の匂いを嗅いで訝しんで見るも、次の瞬間すごいスピードで噛み付いた。
「あぁダメダメ!ダメだよ!紙袋から出さないと!」
少女を制止しながら、紙袋を取り上げて、中のサンドイッチを少女に差し出した。
少女は再び香りを嗅ぐと、やはりというべきか勢いよく、噛み付くようにサンドイッチを頬張った。
「危なっ!」
その迫力のある食べ方に、リチャードはうっかり手を引いてしまう。まるで自分の手ごと噛みちぎられるような、そんな錯覚を覚えるくらいダイナミックな食べ方だ。
実際、腕を引かなければかじられていたかもしれない。彼は反射神経の存在意義を身をもって体験できただろう。
そんな事を思っていたら、あっという間にサンドイッチは消えてなくなっていた。
「お前⋯もう食っちまったのか?」
リチャードが尋ねる。少女は目を輝かせて、まるで「もっとくれ」と言わんばかりの表情だ。
ただし、紙袋ごと渡したリチャードの手元にはもうサンドイッチが残っていない。リチャードはバッグの中を一度チラリと見る。無論、サンドイッチがもう一個あるなどと言うことはない。
「あー、その⋯もう無いんだ。ごめんね」
その言葉を聞くなり、少女はしょげてしまう。
そのしょげた表情のまま、また、さっきのポーズに戻ってしまう。落ち込んでいるようだった。
その表情を見ていると、リチャードは少し申し訳ないという感情が湧いてくる。
ドラゴンに感情移入するのはおかしいと、心のどこかで感じていたものの、彼はそれ以前にドラゴンとはいえ少女を、このまま放っておく気にもなれなかった。
「なあ!⋯その⋯俺も昼飯まだなんだ。一緒に、食べにいくか?」
リチャードは手を差し伸べながら彼女を食事に誘った。食事に誘われた少女は目を丸くしながら体を起こす。
まさに驚きと嬉しさの混じった表情だった。




