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8話:きみはオレのものだろう


 場所は移って、デュオクロス裁判所の一室だった。

 外はすでに日が落ちて、夜も更けてきた。


「疲れたのですよ」

 アウリアは溜息を吐くと、テーブルにべたっと両手を伸ばした。

 ぐたっと、ぐで○まのようになって、このまま眠ってしまいたい。

「お疲れでしたね。まさか飛び入り代理人とは」

 

 ロイ・ノーマン博士が苦笑した。

 彼はアウリアが16歳のころは医学ノ塔の指導教授だったが、二年で同じ立場になり、今ではアウリアを先生と呼ぶようになった32歳。

 アウリアとロイとの付き合いは長い。

 アウリアが指紋に関する論文を発表できたのも、彼と彼の妻の協力があったればこそだった。

 

「よかったですね。アウリア先生。ほんとうによかった」

 今日の勝利を知って、ロイは駆けつけたのだった。

 青い瞳に涙まで浮かべて嗚咽を漏らすほどで、アウリア以上にロイは喜んだのだった。

 ニールが半ば呆れながら、ロイの肩を叩いた。

「泣きすぎですよ。ノーマン先生」

「そうですね……ええ、泣くことではありません」

 


 盗難事件は、エマの自作自演だった。

 リオはリーダー格の正義感を利用されて、エマの手のひらで踊らされただけだった。

 しかし法廷を開いた場合、自白では終わらない厳しさがある。

 子どもだからと言って容赦はしない。

 第72論文は指紋照合の有用性を認められた内容であるため、司法官らによって指紋照合が行われた。

 イアンのロッカーの暗証番号を押すボタンや内側から、彼女の指紋が検出された。目撃者は協力者だった。

 一方で、文鎮からイアンの指紋は出なかった。

 彼女は誰にも文鎮に触れさせないようにしていたという。

「汚い手で触らないで」と手を叩かれたクラスメイトもいた。

 そのクラスメイトは法廷には来なかった。

 文鎮に付着していたのは彼女と司法官の二つだけだったのだ。

 そうした作業で薬品を用いる場合、医学ノ塔の立会官を必要とした。

 司法官たちも薬品取り扱いの免許は持っているが、不正防止の意味もある。


 タリア裁判官が差し入れのスコーンをテーブルに用意した。

 初等部生の学生裁判は久しぶりで、みなが疲れていた。

 ニールがスコーンにかぶつきながら言った。

「大人と違って、泣き叫ぶのがつらいですね」

「ええ。しかし虚偽の訴えをして留学生を貶めようとしたのです。一つ扱いを間違えば、国同士の問題に発展します」

 タリアが今回事案を受理して、学生裁判を開廷した理由だった。

 大使館の人間が片隅に座っていたらしいが、アウリアは気づかなかった。


 するとカイロンは異国の貴族、それもデュオクロス特別自治権を飛び越えて問題になるほどの高位貴族。名前も偽名だろう。

 アウリアは嘆息した。

 彼が高位貴族の留学生ではなかったら、指紋照合までしてはっきりさせなかったかもしれないと。


(わかっていたのですよ。身分関係なくと言いながら、身分にもっともこだわっているのがデュオクロス。古代大賢者の理念に、人の感情が追いついていない。最初から形骸化していたのです)


 報告書の作成を手伝った後、アウリアはロイと一緒に裁判所を出た。

 裁判所は大図書館に近い。

 ロビーでサラが待っているはずだったが、現れたのは相変わらず土竜色の外套を羽織ったモグラさんだった。

 アウリアはパッと目を輝かせた。

 久しぶりに顔を見たせいか、

(あの変眼鏡顔がなんだっていうのでしょう。ホッとしたではないですか)

 ロイとの挨拶もそこそこに、モグラさんのところへ駆けよった。

 モグラさんは柱に寄りかかっていて、アウリアを見るなりむっとした。

「遅すぎる!」

「サラに聞いてますよね? 学生裁判は一回ですべてを終わらせるという原則があって」

「そなたは」

「そなた?」

「いや」

(ん?)

 モグラさんが言い直した。

「きみはオレのものだ。勝手によそで働くな」

 そう言って、アウリアの額を小突く。

(無報酬です! ――ん? オレのもの? ああ、その言い方はダメなのです。わたしは下僕ではありましぇーん)

 そうは思っても、突かれた額に触れると、あったかくて自然と頬が緩む。

「へへ」

「なんだ?」

「なんでもないです」

 モグラさんはアウリアを促して歩き出した

 学問街の中でもっとも賑わっているのが中央通りだった。

 魔石の一つ、火炎石で灯る外灯が通りを明るくしている。

 店の閉店時間が早いため、通りにいるのは居酒屋風の店に行く学生たちが多い。

「何かあったのか?」

「え?」

「昏い顔で出てきた」

(どういうこと? 表情まで見えたのですか?)

 外柱からだと、ロビーの人間の顔がよく見えたらしい。 

「見間違えなのです」

「ふぅん。やせ我慢するな。どうせ一度盛大に泣いてる。吐き出して構わん」

 その瞬間、アウリアは顔がくしゃりとした。

「もう……泣かせているのはモグラさんなのです」

「今日はハンカチ持ってるぞ」

 モグラさんが差し出したピンク色のハンカチを、アウリアは借りて目を押さえた。

「そんなに大変な裁判だったのか?」

「いいえ。でも、昔のことを思い出して」

「昔?」

「15歳のときです。学生裁判の被告として、わたしは大法廷に立ったことがあるのです」

「大法廷は、注目度が高いときに使われる部屋だな」

「はい」

 アウリアは話した。

 

 その事案は今回の裁判と似ていた。

 医学ノ塔の女子学生フローラから訴えがあったのだ。アウリアが母親の形見のペンダントを盗んだというものだった。

 アウリアは当時、医学ノ塔で研修を受けていた。

 アウリアが盗んだところを目撃したという証言者は11人もいた。

 アウリアと同じ研修チームにいて、仲良くはなかったが、そんなふうに虚偽の証言に加わるとは思いもしなかった。

 彼らはまた、アウリアが研修中に利用を許可されていたロッカーを破壊して、ペンダントを取り出した。

 アウリアには身に覚えのないことで、当時は狼狽した。

 はめられたと思っても、理由がわからなかった。

 フローラとは同じ寮ですれ違う程度の関係だったのだ。


 アウリアはペンダントに触れていないことを立証しようとしたが、当時は指紋の話をしても通じなかった。というのも論文で発表されたこともなく、根拠となるデータもなかったためだ。

 当時の裁判官はアウリアの話を遮り、詭弁と断じて有罪判決をしたのだった。

 侯爵の兄がそのときばかりは駆けつけて抗議したが、高位貴族が脅しに来たと学生新聞が騒ぎ立てた。

 

 モグラさんが低く唸った。

「それで、例の72号論文を発表したのだな」

「知っているのですか?」

 アウリアは驚いてモグラさんの横顔を振り仰ぐ。

「現在その論文を読んでいない司法官などいない。いたら職務怠慢で資格剥奪だ」

「ふふ、なんだか偉そう」

「そうか」


 パールシアでは事件が起きた後、王都・各領地の裁判所に属する捜査官が現場に派遣される。

 捜査官はその際、裁判所が所有する稀少な魔道具を用いて犯人を特定したり、事件解決の糸口を見つける。

 そのため一回で審理を終える学生裁判では、捜査官は登場しない。


 アウリアは学生裁判から4年後、72個目となる論文を発表した。

 そこにはこんな言葉を記して怒りを爆発させた。


『この国では軽犯罪を企む人間は、うまくやれば自分だとバレないという意識が強い。簡易裁判における証拠の扱いは皆無に等しく、小事ということで充分な捜査も行われないのが現状だからである』


 いきなり指紋の話をしても、受け入れられないことはわかっていた。

 そこで魔力紋と比較する方法をとった。

 

 パールシアでは生後1ヶ月以内に魔力検査を受ける。

 管理するのは魔塔という組織。

 目的は魔力量を検査し10段階のレベルを登録すること。魔力保有者は、年間出生数に対して1パーセント以下であるため、大半の人間が0から1レベル。

 魔塔は魔力保有者さえ把握できればよかったが、測定の副産物とし、固有の魔力紋も登録した。


 魔力量が変動する可能性があるのに対し、魔力紋は生涯変わらないのが特徴だった。

 専用の魔道具を使えば血液1滴で、その血液の主が誰か特定できる精度を誇る。

 通常の裁判では、大事件のとき魔力紋照合が使われるようになった。

 ただし裁判所の申請に基づいたときだけ。


 もっとも事件現場に血痕がなければ、魔力紋は検出できない。

 そこでアウリアは、指紋という新たな個人特定の方法を示唆したのだった。


(前世の日本は、犯罪捜査においては優れていたのですよ)


 一方的に裁判で負けた後、3年かけてデータを集めた。

 協力してくれのはロイ・ノーマン博士夫妻だった。

 夫妻が経営する病院と提携病院を借りて、赤児から90歳の老人まで、3000人の指紋を採取した。

 3年かけた理由は、同じ人物の指紋を定期的に採取するためだった。

 論文発表後、長期的な追跡が必要だという指摘はあったが、これにお墨付きを与えたのが医学ノ塔の学長だった。


  深い火傷や皮膚疾患で隆線が破壊されれば変わることもある。また加齢による皮膚の弾力性低下で読み取り精度は落ちるだろう。が、指紋は皮膚の深層(真皮)で決定されるため、表面的な傷では変わらないと考える。この説を支持すると声明を出したのだった。


「かっこいいではないか」

「へへ、カッコイイのですよ」

「ほんとうに褒めている。そなたは悔しい思いをしたが――」

 と、モグラさんの大きな手がアウリアの頭に置かれた。

(わわっ)

「他の者を救えた。もう泣くな」

「泣いてないのですよ~」

 アウリアは言って、借りたハンカチで鼻をかんだ。

 モグラさんがクッと喉の奥で笑う。

(だって鼻水が止まらない……)


「今日はモグラ邸に泊まるのですか? 仕事の進捗確認ですか?」

「いや、すぐ戻る」

「じゃ、いったい何しに来たのです?」

 モグラさんは眼鏡をくいっとあげた。

「サラから報告が来て、魔力人形がおかしいそうだな?」

「ピオニーです。ぜんぜんおかしくないのです。かわいいだけです。会いましたか?」

「まだだ。あちらへ行こうとしたら、そなたの気配が裁判所にあった」

(気配が? この人、魔力もち?)

「もう戻る」

「へ? 今?」

「今」


 大図書館の裏通りにサラの姿が見えた。

「ほら、行け」

 アウリアは背中を押されて、つんのめった。

 背後からモグラさんの声がした。


「魔力人形が暴走したときはサラが対処する。心配するな」

「そんな心配はしていません」

 と言ったが、アウリアが振り返ったときにはもう、モグラさんの姿はなかった。

「はひ?」


 サラがアウリアの前まで来て息を切らした。

「申し訳ありません。来客があって対応していました」

「来客?」

「モグラ氏の関係です」

「今、そのモグラさんが来て、でも転移して、消えたのですよ!」

 アウリアは興奮した。

 聞いた話では、転移装置を使わずに転移ができるのは魔道士だけだから。


「彼は魔道士なのですか?」

「違います」

 アウリアはもっと言葉を待ったが、サラは情報を寄こさない。

「魔塔の職員とか?」

「アウリアさま、モグラ氏が必要とする人材は――」

「――詮索しない人」

 わかっているのです、とアウリアは呟く。


 わかっていても、転移できるモグラさんを見たら気になって仕方がない。

 それに――――

 モグラ邸に戻りながら、アウリアはふと思った。

 彼は多忙な時間の合間をぬってピオニーの様子を見に来たはずなのに、アウリアを待っていた。

 待つ時間があったのなら、モグラ邸でピオニーを確認することもできたのに。


(心配してくれたのでしょうか。でも、サラに聞いたから裁判所に来たのですよね?)

 そのへんのことをサラに聞きたかったが、脳みそはすでにパンク状態だった。

 他にもっと考えることがあったはずの一日だった。

 だけどアウリアの心に残ったのは、モグラさんの言葉だけだった。


 ――きみはオレのものだろう


 ひぃぃぃぃ。

 切り取るところが間違っているのです。


 ――勝手によそで働くな


 こっち。そう、こっちなのですよ。




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