70話:精霊双獣のようになりたかったそうです
「王太子殿下!」
ゲランが頭を垂れると、その場にいた騎士たちも片膝を折る。
女性陣はドレスをつまんで膝を折り、ルミナスも騎士たちの方に並んで頭を垂れる。
「ユリアス、今日の午餐には来ないはずだろう?」
アレンヴィクは気安く言った。
王太子とドレイヴェン公爵令息は再従兄弟。幼なじみでもあった。
「おまえはオレが来ないと知った上で、オレの妃になる者を脅しに来たのか」
「あの芋女に妃など務まらんと言っているのだ。あまりにも小賢しすぎる」
ふっ、とユリアスは目を伏せて笑みを浮かべた。
アレンヴィクは少したじろぐ。
まだ凄まれたほうがましだと思うほど、長く一緒にいる彼にして初めて見る笑みだった。
「アウリアは小賢しいのではない。賢いだけだ」
「は?」
「アレン勘違いするな。アウリアがオレにとって特別だとすれば、それはオレが、初めて望んだ女だということだ。それ以上に、オレに相応しい妃があるか?」
(リップサービスは一環しているのです。さすが王太子)
アウリアは頭を下げたまま、ぷるぷるしていた。ユリアスの圧のせいであたりの空気が重く、押さえつけてくるので息苦しさすらある。
「皆、楽にいたせ」
思わずホッとして息が漏れる。
(よ、よかった。前のめりにつんのめるところでした)
ユリアスはアレンヴィクに厳しい顔を向ける。
「おまえはおのれのしたことの責任をとれ」
「俺が何をしたというのだ?」
ユリアスは剣を空に浮かせると、手袋を脱ぎ始めた。
それへ騎士たちが息を呑み、ゲランが「お待ちを」とユリアスを止めようとする。
(なに?)
「おまえはアウリアを脅すだけで飽き足らず、助けられても感謝もせず、侮辱し、その前には、オレから奪おうと求婚までした。許さぬぞアレン」
「な……」
アレンヴィクは戦慄き、ユリアスは手袋を地面に放った。
「拾え」
(まさかの、決闘!? )
アウリアは手袋を脱ぐ行為と決闘が結びつかず、今になって理解した。
ユリアスが変装を解いただけなのに、軍礼装になったことに。
とっさに動こうとするアウリアを、レティシアが羽交い締めにして口を押さえこむ。
「レティ……(んぐぐもごもご)」
「いいところだぞ」
レティシアが血湧き肉躍るといった顔で、目を爛々輝かせる。
(うぅ……こんな性格でしたのね)
シンクレアも微動だにしなかった。
(軍門、怖い。小公爵は倒れたばかりなのですよ)
ジタバタするアウリアの視線の先では、何やら始まっていた。
アレンヴィクは地面に崩れ落ちて両膝をつくと、打ちのめされたように呻く。
「なぜだユリアス。俺はきみの片割れなんだぞ。きみと俺は、精霊双獣のエメとディアのように、一対であるのが相応しいというのに」
ん─────?
(なぜ精霊双獣? いえ知ってはいるのですが)
パールシアでは竜が圧倒的な人気だが、竜の守り人たらんとするエメラルド王家の存在があるからで、エメラルディア大陸各地では万物霊崇拝と結びついての精霊信仰が根強い。
エメラルディア大地神は1月の新月に眠りにつき、7月の満月に目を覚ます。その間女神に代わって人間界を見守るのは、様々な神獣たち。最高位にあるのが精霊双獣エメとディア。この双獣は一つの魂を分け合った存在だと解釈されている。そのため番の象徴とされていて、特に結婚や出産において、エメとディアは信仰の対象となりやすい。
精霊は女性に人気で、竜は男性に好まれる。
だからこそ、生粋の軍人のようなアレンヴィクの口から、エメとディアなどと言われると、アウリアはこそばゆいような、恥ずかしいような気持ちになる。
ルミナスなどはポカンとしている。
アレンヴィクは長い髪を地面につけて泣き出し、ゲランや騎士たちから訳知り顔の溜息が漏れる。
何か劇が始まったかのように、アレンヴィクの項垂れた姿にスポットライトが当たっている、ように、アウリアには見えた。
面食らうアウリアを押さえながら、レティシアが笑いを堪えて肩を震わせる。
「我が家では兄が一番、私と殿下の結婚を望んでいたのだ。自分が殿下と義兄弟になりたかったのだろう」
「……そう、だったのですね」
──殺されてしまうぞ
──団長の片思いだからな
騎士たちがハラハラし始めて、ゲランが腰を低くしながら前に進み出る。
「殿下、今日はドレイヴェン公爵家とアルテ侯爵家の縁組が整う日、どうか、寛大なお心でご容赦くださいますよう」
「黙れ」とユリアスはゲランを一蹴し、アレンヴィクを見下ろす。エメラルドの瞳に揺らぎはない。
「アレン、拾え」
アレンヴィクは低く呻くと、手袋に手を伸ばした。
「待ってください!」
アウリアは怪力レティシアを振りほどくと、ユリアスの元へ駆けよった。
そのついでに手袋を奪うと、アレンヴィクが反射的に顔を上げる。
「しゃしゃり出るな」
ユリアスはアウリアには優しい眼差しを向けるが、立場には大きな隔たりがあった。
「アウリア、この場は控えよ」
「殿下、わたしは誰かの権威や他人の力でどうにかしようとは、思いません」
(そもそも嫌いなのです。惨めな思いにさせられたからと言って、力ある人間の仕返しに頼ることが。恥知らずになってしまうのです。でも王太子からすればわたしのためではない。すでに話を進めていることなので、舐めるなこの野郎ってわけです。だけどここは……)
「小公爵さまが回復されたら、自分でぶん殴ります!」
ゲランが熱視線でアウリアを後押していた。なんなら騎士たちも。
どうか決闘の話はなかったことに──
――が、事態を収拾する間もなく、またしても急転した。
アレンヴィクがゴボッと血を吐いたのだった。
公爵夫人が悲鳴を上げ、戻って来た公爵が仰天した。
少し場を離れていただけなのに、王太子がいるわ手袋は落とされているわ、息子は吐血しているわ。何が起きたのか、よほどついていけない表情になっていた。
一方アウリアは冷静だった。
心臓マッサージを施したのがマルスではなくユリアスだとわかったとき、アウリアは懸念が過っていたからだ。
すぐさま医療鞄に戻ると、ユリアスも傍らに膝をつく。
「まずかったか。治療における魔力の危うさは聞こえていたが、魔力操作の練習台にした」
「いえ、すぐ反動が来なかったので、別の要因かと思います」
「別の?」
アウリアが兄たち魔力持ちの心臓マッサージを拒否したとき、魔素が乱れやすいことを想定しただけだった。心臓に溜まった魔素を固めるとか膨張させるとか、予期せぬ影響をもたらすと考えた。
医学ノ塔では、統計のとれない魔力体の研究はしないが、アウリアは兄が魔力持ちだったことで、自分なりの考察を持って勉強したのだった。
アレンヴィクの瞼からトロリとした血が流れ出した。
「アウリア嬢、アレンが死んでしまいます!」
シンクレアが悲鳴を上げた。軍門夫人たるもの決闘は潔く見守っても、これは別なのだった。
吐血のそれは赤く見えたが光ってもいた。
血の臭いは薄い。空気に触れるから凝固するのか、ゼリー状になっている。アウリアは医療器具ですくい取り、携帯式単眼顕微鏡で確認した。
(……魔素中毒患者に似ているのです。でもがん細胞みたいに増殖してる。それもすごい勢いで、顕微鏡越しに見るのもダメかも)
アウリアは一度顕微鏡から目を離した。
公爵がユリアスに迫った。
「殿下! 殿下から治癒魔道士を要請してください。夕刻まで待つよう言われたのです」
「いや、これはオレの魔力のせいだ。治癒魔道士にどうにかできるものではない」
「なぜ殿下の魔力が? 息子に?」
エルヴィクは離れていたし、シンクレアとレティシアも気づいていなかった。アレンヴィクのマッサージをしたのが、変身していた王太子であったことに。
ルミナスは気づいていたが、場を混乱させないためにも口をつぐんだ。
助けるために処置したことで、こんな事態になることは予想できないものだから。
アウリアは考えた。今できる処置があるどうか。
「アウリア嬢! どうにかならないのですか」
シンクレアが声をあげるが、ルミナスが「少し待ってください」と優しい声音で諭した。
(時間差の反動でしたね。吐いたのは魔力の排泄物といったところでしょうか?)
巫女のときは急死した、とアウリアは聞いたのを思い出した。
(巫女のときは濃厚接触があったからだとすると、小公爵さまはユリアスさまが制御した上でのマッサージだった。緩やかな浸透。口から吐き出せたのは悪いことではないはず)
「ユリアスさま」
「なんだ」
「小公爵が吐き出されたものから、ご自身の魔力を感じますか?」
「ああ、カスみたいなものだが、オレので間違いない」
(小公爵の身体も異物を吐き出す免疫機能は働いているので、吐き続けることになる。でも長くはもたない。吐く行為は消耗戦。特に心臓麻痺を起こした小公爵の心臓の血管にはまだ魔素がつまっている。吐くことで、心臓が破裂するかもしれないし、ほんとうにユリアスさまの魔力だけが要因なのか、確証がない)




