69話:会いたいときに現れる人です
叩きつけるような言葉があたりに響いた。
(ひぃっ、お兄さま、怖いのです!)
絶句してルミナスの背にしがみつくアウリアに代わって、ルミナスが言った。
「おやめください」
「いいややめぬ! まだ間に合う。王太子妃ほどの名誉は与えてやれぬが、筆頭公爵家ドレイヴェン公爵夫人だ。悪くあるまい! 妃の座はレティシアに譲れ!」
(地位や名誉のために、妹を蹴落としたとでも言うのでしょうか。この人は初めて会ったときも、そう決めてつけていたのですよ)
「アルテ家当主として、今のは聞かなかったことにします」
そこへアルテ兄妹到着の知らせを受けたレティシアが、ドレスをつまんで走ってきた。
「兄上、何をされているのだ!」
レティシアは目が覚めるような光沢のある青に、明るい金を差し色にしたシャープなデザインのドレスをまとっていた。赤みを帯びた金髪は夜会巻きにして、ドレイヴェン公爵家の鷹の紋章を象ったかんざし風髪飾りをつけていた。
(かっこいい……色は、お兄さまカラーですかね)
アウリアはもう現実逃避していた。
「おまえは騙されているのだ!」
アレンヴィクは血走った目でレティシアに言い、執事により騒ぎを聞きつけた公爵夫妻が駆けつけて、息子の姿に天を仰ぐようなそぶりをした。
「アレン!」
エルヴィクの叱責が響き渡った。
アウリアはそのとき初めてドレイヴェン公爵の姿を見たのだった。
アレンヴィクの顔立ちやすらりとした背丈は母親シンクレアに似ていたが、髪の色や目の色は公爵譲りだった。息子とは違って小柄だ。
「父上」
と、アレンヴィクは歩き出したが、ふと動きが止まった。
それはアウリアの視界の中で滑るように落ちていった。
(え?)
明らかな異変だった。
「兄上!」
レティシアが手を伸ばすと同時に、アレンヴィクはその腕に崩れ落ちた。
アウリアはとっさにルミナスの後ろから飛び出た。
「動かさないで横にしてください!」
「なんだって?」
「レティ、言う通りに」
ルミナスが落ち着いた声で言い、レティシアは急いで床に横たえた。
一気に緊迫する中、アウリアはアレンヴィクの傍らに膝をつく
「どきなさいアウリア嬢。すぐに運ぶ」
公爵が告げてアウリアの肩に触れたが、アウリアは顔を上げずにいった。
「わたしは医者です!」
あなた、と公爵夫人が首を振り、公爵を脇に下げた。
脈拍、瞳孔、反応などアウリアが見たところ、アレンヴィクは意識を消失していた。
アレンヴィクの脈が触れず心臓が停まっているのだった。
ふと、小公爵からしゃくるような不規則な呼吸音がでた。
「息をしてる」
レティシアがホッとするが、アウリアは早口で説明する。
「無呼吸と同じです。小公爵は持病がおありですか?」
「何もない」
アウリアは頷くなり、アレンヴィクの胸の飾りと服を力一杯引きちぎった。
「何をする」と驚きの声があったが、アウリアは説明する手間を惜しんで立ち膝になる。彼の固い胸の真ん中に手のひらの根元を押し当てて、ピンと肘を伸ばす。そして真上から強く押して、心臓マッサージを始めたのだった。
「公爵さま、心臓圧迫蘇生の心得はありますか!」
「くっ……」
公爵は一瞬後悔の色を浮かべる。
「昔一度講習を受けたのだが、私がする機会はないだろうと思ってしまった」
シンクレアがエルヴィクに、
「あなた、治癒魔道士の要請を」
公爵は頷くより先に身を翻した。
「アウリア、交替するよ」
と言って、ルミナスがすでに上着を脱いでいた。
心臓マッサージはひどく力を使う。話すだけで息が切れる。
ルミナスを目の端で捉えながら、
「治療活動における魔力の流れ把握してる?」
「流れ? いや、こんなのはやったこともないよ」
「だったらダメよ。無自覚な力がよくないの。一度でも体感があればいいけど」
「自分の魔力が阻害するなんて、考えたこともなかった」
レティシアが悔しがる。
アウリアはマルスを呼んだ。彼は器用で優秀だと聞いていたから。
マルスが駆け寄ってくる中、続けてアキトを呼んだ。
「アキト! 声だけ返して。わたしの医療鞄をモグラ邸から持ってきて! わからなかったらサラを連れていって!」
へいよ、と頭上で声がした。影って地面の中というわけでもないのですね、と一瞬どうでもいいことを思う。
アウリアはリズミカルに胸骨を圧迫し続けながら、隣に来たマルスに言った。
「わたしのすることを見て、覚えてください。手が胸の真ん中から離れないように。ずれてもいけない。1分間に100回以上の速さで、わたしのリズムを覚えて」
マルスは頷くと、アウリアのリズムを真似てみる。
「そう、そのリズムです。肋骨を折る勢いで力を込めていいです。心臓を復活させるためだから! ではわたしと交替してください」
マルスは素早くアウリアと入れ替わった。
アウリアは立ち上がると、待機する騎士たちへ向かった。
「小公爵は心臓麻痺を起こしています。ここに来る前、いつもと違ったことはありましたか」
「私が答えよう」
副団長のゲランを名乗る男が前に出た。眉の濃い癖のある相貌で30代半ば、小公爵団長のお守り役である。
「転移を数回繰り返しました。規則を破って」
「兄上のやつ」
レティシアの声に怒りがまじる。
「軍事宮では転移装置の利用に制限を設けているんだ。身体に負担を強いるらしい。兄上がいた場所から王都に転移する場合、利用できるのは3、4日に一度が限度だろう。それも片道だけだ。一往復だと負担が大きい」
「アレンは2日前にも王都へ戻っています。そのとき気づくべきでしたね」
シンクレアが言い、アウリアも応じた。
「体力があって、持ち堪えてしまったのかもしれません」
その間にサラが医療鞄を持って現れた。
「アウリアさま! これであっていますか? 不足の物はありますか」
大きな箱形鞄を広げながらサラが言い、アウリアは膝をついて中を確認した。
医師免許を取得したとき、医学ノ塔でもらったものだった。
それをカスタマイズしている。
「ありがとうサラ、発作に対応できる物はそろっています」
アウリアはアルコール消毒をして、サラに手袋をはめてもらった。
注射器と薬剤を準備した。
そのときアレンヴィクの目が開き、マッサージを嫌がるそぶりになった。
マルスにマッサージをやめさせて、魔素計で全身の魔素を図る。
レティシアが覗き込んで、「正常値だ」と言う。
「はい。だから確信しました。心臓麻痺のときは誤診を生みやすいのです」
魔素首に聴診器を引っかけると、振動板を手で温めてから、アレンヴィクの心臓にあてた。
この聴診器は二重構造で、振動板に魔石を埋め込んでいる。
空気中の魔素は通さず、生物の生命活動と結びついた魔素の振動だけを音に変換する。
魔素計は全身の魔素量を示すだけで、それ以上の役目はない。
聴診器は心臓部の魔素量に特化している。
魔素が心臓の血管に詰まることがある。
軍医は転移の多い兵や騎士に、特有の症状が出ることを把握していた。経験で。
異音のタイプは訓練を受けないと判断できない。
空気中の魔素が静かな川のせせらぎだとしたら、現在アレンヴィクの心臓は濁流の唸りが残っている。
レティシアがアウリアの一挙手一投足を見て、ピタリ横についてくる。
心配もさることながら、鞄の中身やアウリアの処置に興味を持ったのだった。
「兄上は無事か?」
「はい。心臓の血管につまった魔素を排出すれば楽になります。ですが治癒魔道士がすぐ来るなら、何もしません。薬を投与すると、丸1日は眠ることになるので」
「だったら眠らせておけばいいさ」
レティシアは安堵して笑った。
アレンヴィクが胸を押さえて、気怠げに目を開く。
「小公爵さま、わたしの指を見てください」
アウリアは指を2本立てる。
「何本ですか?」
「2本」
「パールシア国王の名前は?」
「アロンシウス陛下」
と、アレンヴィクは掠れた声を出した。
「なんだ、人をバカにして」
「脳が無事か確認したのです」
レティシアは呆れた。
「兄上、意識を取り戻すなり悪態か」
アレンヴィクは赤みを帯びた黒髪を乱しながら、アウリアを奇異な目で見た。
「……芋女、魔力もち、か?」
「レベル1以下。平々凡々です」
アレンヴィクは軽く目を閉じた。
「治癒魔道士に、骨折した右足、を、治癒して、もらったことがある。それに、似ていた」
「ここまで会話ができるなら大したものです」
アウリアは投与薬を取り出した。
アレンヴィクの灰色の目の奥を昏く光らせて、アウリアを睨む。
「貴様、私を、危険な目に陥らせてから、恩を、売ろう、と画策したのではないだろうな?」
(な────今、なんて?)
アウリアは投与薬を手にしたまま、頭の中が真っ白になった。
見守っていたルミナスが憤慨したが、それより早く公爵夫人が叱りつけた。
「なんとひねくれたことを。それが恩人に対する物言いですか」
「アレンヴィクさま、それはあまりにも穿った見方かと」
ゲランも苦言を呈し、レティシアが拳を握ったが、倒れた直後の兄を殴るわけにいかないと思い直した顔で、「くぅ」と片手で包んで押さえた。
納得がいかないアレンヴィクはなおも続けた。
「……これまで、も、違反は、してる。が、未だかつて、一度も、倒れたことはない」
(はぁ……)
医師として当然の救護活動であれば、お礼を言われたかったわけではなかった。
それでも感じやすいアウリアの心が、さすがに挫けかけた。
脱力感に襲われる。
アウリアは淡々と点滴セットを準備した。
「アウリア嬢、気を悪くさせてすまない」
レティシアが不遜な兄の代わりに謝罪し、アウリアは浅く微笑んだ。
「治癒魔道士がいつ来るかわかったら教えてください。それによっては点滴は必要です」
そう言って、差し出されたルミナスの手を借りて立ち上がった。
「大丈夫かい?」
「はい。ぜんぜん。何を言われたって平気です」
「アウリア……」
ルミナスは悲しそうにした。
正式に王太子妃に内定されたら、アレンヴィクのわかりやすい悪態が、まだかわいく思うだろうことが、わかるからだった。
アウリアは、ふぅ、と一呼吸おいた。
(落ち着くのですよ。こんなこと、何てこともないのですよ)
アウリアは負けるものかとキュッと唇を噛みしめる。
が、その思いが爆発したのだろう。
バシャアアアアアと水路の水が一斉に吹き上がったのだった。
「きゃっ」
それは自然発生的なものではなく、大気が揺れる感じで、アウリアをハッとさせた。
振り返ると、マルスだと思っていた男がユリアスに変わっていた。
さらさらした短い白金髪。白皙の美貌を一際際立たせるエメラルドの瞳。真っ白な軍装に王太子徽章ブローチで留める純白のマント、片手に大きな剣を握っていた。
「レン、オレは我慢したぞ」
彼の背後にはレンがいて、アレンヴィクに恨めしげな眼差しを向けていた。
アレンヴィクが何度も勝手に持ち場を離れていることを知り、ユリアスはドレイヴェン公爵家へ乗り込むことにしたのだ。レンは後始末が必要になると思い、魔道士の転移陣で追いかけたという状態である。
「ユリアスさま」
その姿を見たら、アウリアの胸の奥からあふれでる想いがあり、自分でもおどろくほどだった。
(マルスさんふうに化けていたなんて、すぐ気がつかなかった……ふふ。わたしもまだまだ――あれ? ユリアスさまが心臓マッサージされたのですよね……)




