68話:鷹の来襲
「午餐会? さすが公爵家。定例で開くのですね」
ドレイヴェン公爵家から招待されたと聞いたとき、アウリアは自分は関係ないと思っていた。
「夫人に装いの確認してほしい。婚約誓約書結ぶけど、立会もあるからね」
驚く話ではなかった。
まだ正式に婚約式も行っていないのに、電撃婚約の記事が出ている。
結婚の契約の形式はそれぞれ。当主だけで財産に関する話をまとめることもあれば、本人もまじえて、互いの役目を明確にすることもある。細かい家だと、結婚の約束から成婚の間に、何度も内容を書き換えたり追加したりで、大変だった。
今回はその入口。両家と本人が結婚に合意し、準備が整い次第結婚することを誓約する書面を交わすのである。
✦~✦7月12日✦~✦
アルテ兄妹は馬車の中で溜息を吐いていた。
実は切実な悩みがあったのだ。
それは――
「お兄さま大丈夫でしょうか。殿下に〈女神の息吹〉のお返しもあるし、レティシアさまへの婚姻の証となる贈り物に、公爵家への支度金と贈り物、我が家にそんな蓄えある?」
「大丈夫だよ」
と笑うルミナスの顔はいくらか引き攣れていた。
両親の死から14年。母の実家フィリス伯爵家に豊かな農地と稼ぎ頭のギルドの権利を不当に強奪され、16才で成人前のルミナスは後手に回った。財政が黒字に転じたのは近年のこと、金食い虫転移装置の解禁も最近のことだった。
ルミナスが三十路なのに婚約者もいなかったほんとうの理由が、経済的事情であることは、誰もがうっすらわかってはいた。それを考えないようにしていただけで。
それだけにアウリアは報告しづらいことがあり、もじもじした。
「あのねお兄さま。殿下から、他にもいただいたものがあって」
「ほ、他にもかい?」
「勝手に名義を書き換えて書類を送りつけてきたの。返せないのです」
「名義?」
ルミナスは不穏を察した。聞きたくないところだが、踏ん張って訊ねる。
「な、何かな? さくっと言ってくれ!」
「魔石鉱山よ!」
「ひぃぃぃっ」
贈られたらそれに見合った物を返すのが貴族社会というもの。
ルミナスは引きつけを起こしたようになって卒倒したのだった。
ドレイヴェン公爵邸は王都防衛の一翼を担う。
邸宅は貴族街とパレスとをつなぐ獅子の森近くにあり、軍事宮と騎士宮の鍛錬施設が配置されている。
双子の丘に異変があったとき、軍を動かすのはドレイヴェンだった。
そのため邸宅は森を借景とする坂の上に建ち、他の貴族家と違ってまるで要塞だった。
屋根の稜線に沿って刻まれた凸凹は、装飾ではなく弓兵が身を隠せる防御構造の名残。 左右の塔は、左に厩舎、右に武器庫。
門をくぐると軍用馬車(大型)が二台並べるほどの道が、まっすぐ玄関まで延びている。
左右には軍事宮と同じ槍が立ち、緋色の布が垂れている。
風が吹くたびに揺れる布は、有事の際には天高く伸びて緊急信号旗となる。これも昔の名残。
玄関扉は緋色で、何か審判を受ける気分にさせる。
扉の上から、鷹がこちらを見ていた。
この日、新調した貴族正装に身を包むルミナスは、深海を思わせる青の絹シャツに、同系色の細いタイ。その上に纏うのは、淡いブルーグレーのロングタキシードコート。青から灰へ、光の角度によって微妙に色が揺れる生地は、まるで夜明け前の空を切り取ったようで、ルミナスの青い瞳に似合っている。
襟元にはアルテ家の紋章をデザインにしたルビー飾り。
緋色は軍門や騎士に多く使われていて、レティシアのイメージもルビーだった。
足元の黒いエナメル靴は、コートの淡さを引き締めて、そこにも小さなルビーの飾りが一粒。襟元の炎が足元まで落ちてきたような、計算された統一感。
(青の海に沈む、燃えるような赤一点、どうです? 頑張ったのですよ)
衣装については、サラやアルテ侯爵家の使用人らと考えた。
デビュタントが迫るこの時期、デザイナーはどこもギリギリまで戦争状態。とても急ぎの注文はできなかった。
一方アウリアは、ドレスが有り余っていた。
ユリアスの名で送りつけられた大量のドレスがあるためで、その中からドレイヴェン公爵夫人に相談して選んだ。代理母でもあるので、恥をかかせてはいけないのである。
最初に助言されたのは、母が愛用していたネックレスとイヤリングをつけるということ。三連パールチョーカーで、センターにサファイアが一石ついているアレ。
ドレスは上半身に透明感があるライトブルー。スカートはそれより白みが強く、裾に向かうほど淡くなるグラデーション。切り替えラインに小さなリボン留めがあり、社交界デビュー前の若い令嬢らしいデザイン。
これにはレースマントがついていた。色はオフホワイト。スカラップ(帆立貝)縁と六角ネット模様が涼しげ。
ハーフアップにまとめた髪は、ドレスと色を合わせたブルーのリボンに三粒のパール粒。午餐に相応しい格好にはなったが、何一つ胃に収まらないのは確実だ。
執事の案内で、屋敷内に敷かれた水路に沿って歩いた。澄んだ水は魔石で浄化されているのは明らかだった。
「金竜のパレス(王宮のあるパレス)に水路はあるそうですが、お屋敷の中にあるのは珍しいですね」
執事に聞こえないよう、アウリアは小声で兄に訊ねた。
パレスや王都の噴水はすべて、有事の際の水の備蓄を兼ねていて、地下水路でつながり、浄化装置で清流にされている。
ルミナスも低く頷く。
「軍門家系は狙われやすいんだよ、こんな平和に見えるパールシアでもね」
武力衝突したとき、真っ先に潰されるのが指揮官と伝令、食糧庫だ。
それを把握しているのが代々軍事宮トップ、ドレイヴェン公爵。有事でなくても、軍部は派閥もあって大変そうな印象である。
アウリアは急に寒気がした。
水路のせいで空気が殊の外ひやりとしていたからだろうか。
レースの手袋ごしに少しさすると、ルミナスがふっとアウリアを背に庇うようにした。
「お兄さま?」
「芋女め!」
水路の橋を飛び越えて現れた野獣が一人。
一つに束ねた赤みを帯びた長い黒髪、獰猛な灰色の瞳、軍事宮第三騎士団の制服、緑と黒の配色がトレードマークのアレンヴィクだった。
(きゃっ出た!)
「アルテ侯もいっしょか!」
「お久しぶりですね。小公爵」
ルミナスはにこやかに応じたが、アレンヴィクの目は兄妹どちらを睨みつけたらいいのかと、苛立ったように二人の前で足を止めた。
「アルテ侯! この婚約私は認めないぞ! レティシアを妃の座から引きずり降ろして、小賢しい妹を妃にしようとは!」
兄の背で、アウリアはむっとした。顔を出して憤慨して口を開きかけたが、怒ると血圧が上がるタイプの男はどうも苦手だった。
(この人は頭ごなしだから)
「落ち着いてください。アレンヴィク殿。毎度毎度、よく怒鳴り散らせますね」
ルミナスが苦笑した。
(あら、お兄さま、すでに何度もやりあっていたのですね)
アレンヴィクを追いかけて来たらしい騎士団の部下たちが、水路を足早に渡ってくる。
アウリアからは彼らの姿がよく見えた。アルテ侯とアレンヴィクの一触即発と見た彼らが、どうしたものかというような顔をしている。
(ということは……騎士団を勝手に抜けてきたってことです? それとも昼餐会には出るのです?)
今日の話し合いにアレンヴィクの賛同は不要だった。
騎士団と離れて、飴色のような髪を一つに束ねた印象的な顔立ちのマルス・ランデールがいた。
アウリアと目が合うと、軽く会釈した。
アウリアもつられてペコッとした。
(うわ……やっぱりあの方、目を引く美形なのです。というか……超イケメン、日本人が好きそうな感じ? 眼鏡もかけるのですね)
アウリアの意識が兄とアレンヴィクから逸れていたのはほんの少しの間だったが、気づくとアレンヴィクがガッと片膝を折り、ルミナスが「ひっ」と声を出していた。
(なに?)
「アウリア嬢に求婚する!」




