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66話:誰もが知っていることをなぜか口にできないようです



 兄の攻撃に凍り付くアウリアの横で、ユリアスの澄んで深い双眸が、ルミナスの青い眼を見据えていた。


 戦慄くアウリアに、ルミナスはゆっくり手を差し出すようにした。

「アウリア、僕は殿下には申し上げたよ。アルテ家当主の許可なく、おまえは結婚はできない」

「何を」

 たまらずテーブルに手をついて立ち上がる。

「何をおっしゃっているのですか? 今さら――」


 ルミナスがアウリアの結婚を反対しているなら、もっと早く妹に告げるべきだった。

 それは誰もが思うところだったが、痩せて透き通るような頬を見れば、ルミナス自身追いついていないことは明らかだった。

 アウリアはだが言わなければならなかった。


「お兄さまの不明の時間が長すぎました。わたしはその間に侯爵代理として、様々に動いたのです。陛下にも拝謁して、幼いころの約束の話もしています」

 ルミナスも言いたかった。

「これは、陛下とおまえの約束が優先されることなのか、貴族家当主としての権利が守られるのか。私の立場ではそういう話だよ」


 法治国家として、アロンシスが横暴な絶対君主ではないことを示すなら、国家としては後者を優先しなければならなかった。ただしルミナスの当主復権は、救出されて以降のこと。

 アウリアはユリアスの求婚を承諾したとき、当主代理でもあった。当事者本人の承諾以上の正式な重みを持っている。

 その決定を侯爵はひっくり返せなかったし、代理とはそういうものだった。

 それでもそこを強く指摘しないのは、反対を押し切ってデュオクロスへ渡ったときと違って、結婚には祝福がほしいからだった。


(急だし、乱高下するピオニーの背にまたがっている気分ではあるけれど、わたしは今新たな道へ進み始めている)


 だがルミナスのほうも、失った記憶のために、感情との折り合いができずにいた。

 ルミナスを心配したレティシアが加勢した。


「難しいよ、アウリア嬢。私たちの騒動が原因だけどさ、目が覚めたらいきなり大切な妹が王太子妃になるって聞かされたら、びっくり仰天だね。まぁ私は面白いけどさ」

(むぅ、レティシアさまはそういうお方なのですね)


「でもさルミナス」

 レティシアのしっとりした呼びかけに、アウリアは目をぱちくりさせた。

(ふぅん……)


「婚約発表したからといって、すぐ結婚するわけでもないんだ。()()()()同意して、ゆっくり時間をかけて、妹と話したらどうだい」

 それにはユリアスの目が鋭くなった。

()()()()とはなんだ。おまえはどっちの味方だ」

 レティシアは肩をすくめた。

「殿下、兄と妹二人きりの家族ですよ。ここは寛大さが必要でしょう」


 ルミナスはレティシアに浅く微笑むと、「いったんね」と呟く。

(ふ~ん、仲はいいのですね)


「そろそろいいかえ?」

 壁にいた黒猫が、テーブルの真ん中にトンと飛び降りてきた。

「どうされたの大魔道士さま」

「アルテ侯に聞きたいことがあるそうじゃ。アキトだかの」

 大魔道士が言うと、床からにょきっと魔道士(アキト)が生えて、レティシアをぎょっとさせた。

「ふ、ふつうに姿を現せないのか」

「すみません。影にいたもので」


 ルミナスは土竜色の外套を着たもっさり魔道士を見て、ちょっと気味悪そうにした。

「僕に何を聞きたいの?」


 アキトはアウリアを一瞥した後、 

「前アルテ侯夫妻は、アウリアさまが殺されることを懸念なさっていたとか。金の目をした娘について、前アルテ侯が独自に調査なされたそうですが、復讐を誓って国を去った乙女の話は、1200年も前のこと」


 歴史を整理すると、エメラルディア大陸における人類史は1万年前に遡る。

 神話時代は5000年から7000年前。

 パールシアは国家としては1500年。

 だが3000年前には現在の領地が独立都市として存在し、ユリウス・パールシアが周辺都市を統一してパールシア王国を築く前から、深い関わりを持っていた。


 竜が人となって人間と交わっていたのは、初代国王ユリウスの治世までと言われているが、実際はその後も続いていた。

 竜人と人間の間に、金の瞳を持つ人間を誕生させようとしたスフェーン王朝は、王国誕生から300年から400年の約100年間。

 スフェーンの後、パールシア王朝直系の流れを汲むエメラルド王朝が誕生した。初代はユリウス王朝と呼ばれたので、同系統でも王朝を区別している。


 こうしてみると歴史的には長い間、竜が人に変身して紛れていたことがわかる。

 ただし稀少な存在だったので、宝石好きの竜を歓待できたのは、裕福な権力者だけだったと考えられる。


「一人だけ殺さずに生かしておいたスフェーン家の血筋も絶えて久しく、復讐の話は今や、パールシア貴族でも、知る者はほとんどいないと聞いております。それなのに、おのれの娘が殺されると怯えるのは少々疑問が残りまして。しかもアルテ侯夫妻が恐れたのは陛下ではなく、ユリアス殿下だとか」

「そうだったか?」

 と、記憶障害のあるユリアスはレンに確認した。

「はい。殿下に邪魔に思われることを恐れたそうです」

「それですよ!」

 アキトは興奮し、人差し指を天に突きつける仕草をした。

「殿下の魔力の強大さは周知の事実。竜が地面に咲く花を邪魔に思って、わざわざ潰しにかかるものですかね」

「知らぬ間に踏みつけそうじゃな」


 黒猫が言って、やにわに皿に用意されていたジュースをなめた。

 それを見たピオニーが、パシッと黒猫の頭を(はた)き、大魔道士は勢い皿に顔を突っ込んだのだった。

(あらあら)

「ニャニャーン!(何するのじゃ)」

「行儀悪いそうです」とアウリアが囁いて教えた。

「今は猫じゃ!」

 ピオニーは「ツカエ」とストローを差し出した。

 ストローは最近のピオニーお気に入りアイテムなのだった。


 ハプニングにも動じないルミナスは、話に戻った。

「するとアキト魔道士は、前アルテ侯夫妻が気にかけていたことは別にあり、僕が何か聞かされてやいないかと、期待しているわけかな?」

「はい、その通りでございます」

 

 それへレティシアが軽く手を挙げて、気を引き付けた。

「殿下を恐れる理由かどうかはわからないが、アウリア嬢を見て単純に思うことがあるよな?」

「単純にとは?」

 アウリアは小首を傾げ、レティシアは笑った。

「誰でも知ってることじゃないか。一応前提を確認させてほしいな」

「前提だと?」

 ユリアスが眉をひそめる


 ところが答えようとしたレティシアの口が、開きかけて止まった。

 彼女の中でふっと、意識が切れたように言葉を失ったのだった。

 

 ――あれ……私は今何を言おうとしていた?


「レティシア嬢?」

 アウリアが促すが、レティシアは頭が疼くようになって片手で頭を押さえた。


「すまない。サラ殿、水を一杯」

 と、サラに水を依頼した。

 アウリアが心配すると、ピオニーがぴょんと椅子を降りて、サラの手伝いをしてグラスを運んで行った。

 チューリップドレスをふわふわさせて歩く姿に、「いい子ね」とアウリアはにっこりするが、一方──


 レティシアは金縛りにあっていた。あやしく瞬くピオニーの瞳に見つめられ、しばし意識が吸い込まれたのだった。


 魔力持ちのレティシアは魔力の流れを敏感に感知する。が、精神性攻撃を遮断することができない。

 ピオニーに感じたのは得体の知れぬ緊張であり、原始的な畏れに似た思いだった。


「レティシア顔色が悪いぞ。休め」


 ユリアスの声に我に返り、レティシアは目をまん丸にした。

 今気遣われたのか!? と失礼ながら、以前のユリアスからは考えられないほど人間的な姿に、椅子から転げ落ちそうになる。


 レティシアの知るユリアスは女を寄せ付けず、国王の目があるところだけ仕方なく、冷やかな態度で言葉をかわす男だった。舞踏会でも女は汚物かというような目を向けるため、プライドの高い公女たちは酷く傷つけられてきた。


 人は変われるのだな、とレティシアはしげしげとユリアスを見つめた。

 が、その間に言おうとしていた〈誰もが知っている〉単純なことが、すっかり頭の中から抜け落ちたことには気がつかなかった。


 そしてそこにいる者たちもまた、レティシアにそれを訊ねることはしなかったのだった。





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