63話:キスはすませていると思われていました
陛下と側妃の話をした後、アウリアは体調が悪いと言ってお暇した。
ユリアスの顔を見たら、理不尽に攻撃してしまいそうに感じたのだ。
アウリアは自分が先回りして考えて、自己完結する傾向があることを自覚してる。
そんなときは誤った結論を出さないためにも、一人になる。
(お兄さまにも会えず、ユリアスさまはわたしのことだけ記憶障害、笑えないところへ、とんでも側妃の特例話、竜の加護を調べたいのに、まるで、集中させまいと得体の知れない力が働きかけてるみたい……ん……もちろん考えすぎなのです。デビュタントもあって気忙しいだけなのです)
◈~◈
あのとき―――
陛下の話を聞いている間、頭の芯が痺れたような恐怖を感じる以外は、すべて正常だった。言葉は理解したが、陛下の人格や王としての資質まで疑いだして、不敬な視線を向けないようにするだけで精一杯だった。
王家法の婚姻において、妃の資格は厳格な定めがある。
家門は伯爵家以上であること。
養女ではないこと。
処女であること。
過去に重い病を患っていないこと。
極端な思想を持たないこと。
つまり婚前性交渉が成立した時点で妃にはなれない。
突然追加された『婚前に子を為す』という矛盾した要件は、候補だけでなく国をも揺るがす事態となる。
そして一度まかり通れば、それは特例ではなくなる。次からは前例となり、やがて基準になる。王位継承に関わるからこそ、婚姻の厳格さは特例を認めない一貫性によって初めて機能する。だのに、国王は自ら破壊しようとしている。
(陛下はユリアスさまが強大な魔力の反動で、ぽっくりと死ぬことを恐れておられる。レティシア嬢を逃すまいと軍を動かそうとされたほど。だからって……)
国王はアウリアに宣言した。
「ユリアスの王太子妃はアウリアそなたである。そなたより先に側妃候補が子を為そうとも、そなたの子が優先となる」
(わたしが王太子妃になれるかどうかで気に病むと思われて、だからわたしに予告しているのですか!?)
アウリアは呻いた。
怒りのマグマで胸が焼けつくように熱くて、息ができないほどに。
国王の足元に魔道士特有の小さな転移陣が広がるのを見て、アウリアは叫んだ。
「ユリアスさまのお心を! もっと大切になさってくださりませ。儀式のときから、どれだけ傷ついてこられたとお思いなのですか!」
アウリアの声は届かなかった。
国王は消え、その直後、アウリアはその場に崩れ落ちた。
ユリアスが子を望み、叶えるためならアウリアは全力を尽くす。そう決めている。医学の知識で、おのれができることはすべてする。
だがそこにユリアスの気持ちがなければ意味がない。彼の意志を尊重してこその子作りなのだから。
◈~◈
窓から明るい月光が差し込んでいた。
満月夜だ。
(ピオニーは満月夜ごとに成長する見立てもあるのですが……あら、アキトを呼んであげたらよかったですね)
窓を開けるとピオニーが喜び勇んで外へ出て行く。
「キュウキュウキュウ⤴⤴⤴」
お尻をふりふり、尻尾の金の環も見せつけるようにして、アウリアを外へ誘い出そうとする。
「くぅぅ、あざとい。あざといですよ」
自分がどう振る舞うとかわいく見られるか、わかっている。
ルームシューズを履いているので、アウリアも窓から出てピオニーを追いかけた。
噴水が好きなピオニーはバシャバシャ、翼で水を切りながらはしゃぎだす。
その水が雨のように降り注いで、アウリアは手で顔を覆った。
「ピオニー。わたしまで水浸しになるのです」
笑っているも、ピオニーが「キュウウウウウ」と雄叫びをあげながら翼を広げ、グ~ンと巨大化したのだった。風を巻き上げ、庭の木々が一瞬でなぎ倒される。
「ピオニー!」
ガラガラッとどこかで窓が開いて、サラの声がした。
「アウリアさま、今ものすごい音が!」
湯気が出ている。入浴中だったのだ。
「サラ、大丈夫ですよ~遊んでま~す」
モグラ邸は魔力結界で覆われている。内側で起きている限り外部には漏れない。
アウリアはピオニーの元へ行き、輝く金の竜と向かい合った。
王家の館で巨大化したときは、大きな口で胴体を挟まれていたため、正面から見ることができなかった。
「うひゃああ……大きいのですね」
大きすぎて全体像を捉えきれない。
満月の青い光を浴びて輝く金色の鱗が、キラキラと粒を出しているかのようで、それは神秘的な光景だった。形良い長い尾っぽ。鳥のような大きな翼。四つ足が華奢だ。
(思ったより蜥蜴っぽくない)
スマートな顔にハンサムな角。牙もしっかり生えている。
ピオニーが長い首を突き出して、つぶらなエメラルドの瞳でアウリアを覗き込んでくる。
「まあ、キュートなお顔。竜になってもユリアスさまに似てる? ふふ」
「キュッキュルゥ」
サイズが変わったのに、声は赤児のようなまま。愛らしい。
ピオニーの顔に手を伸ばして口元を撫でた。届くのはそこが精一杯。気持ちよさそうに喉を鳴らすので、頬を寄せて撫で撫でする。
──と、ふわり、突然アウリアの身体が浮き上がったのだった。
「えっ、ちょ、ちょっと、まさか、ピオニーちゃん?」
バランスがとれずにジタバタしているうちに、ピオニーの背にポトンと落とされた。
「乗せてくれるの?」
すくっとピオニーが立ち上がり、たちまち視界が高くなると、モグラ邸を囲む木々の外側が見えてきた。大図書館の裏通りだ。
「ピオニー待って、お散歩はしないのよ。結界の中にいて」
次の瞬間、ブォン、とピオニーが地面を蹴って飛び上がった。
「ひゃっ」
落ちそうな勢いだったが、アウリアの身体を包む膜のようなものができて、手を離してもピオニーと一体になったように離れなかった。
そのときだった――
上空から吹きつける風があり、ぶわっと逆髪になって上半身が揺れた。金髪は伸び放題で、今や腰まであった。お風呂から上がった後は無造作にしているので、強い風が吹くとなびいてボサボサになる。
「ピオニーここまでだ!」
と、虚空からユリアスの声がした。
「どこに?」
満月を背にする影が浮かんでいた。
その影が人の形にしては大きく、そして歪だった。
一瞬だが、アウリアには大きな竜に見えた。
(なんです? ピオニーの残像のせい?)
指で瞼を押さえて、瞼の裏と月光の明るさを溶け合わせる。
「ここだ。無事か?」
目を開くと、そこにはもうユリアスの姿があった。片目に魔力抑制の銀の眼帯をしている。
「ピオニーが空を飛びたがっています」
「ダメだ。我慢させたらものすごい顔で睨まれたが」
ダメだぞ、とユリアスはピオニーの翼をポンポン叩く。
アウリアは笑ったが、アウリアの横に降り立ったユリアスがハッと息を呑む。
「そなた、目が、光っている」
「え、光ってる?」
ユリアスの白金の髪が額や頬を横切って風に揺れた。
悠々と、結界ギリギリの中を飛ぶピオニーの背へ、ユリアスも静かに降り立った。
鏡がないのでわからないため、磨かれたように美しい鱗に顔を映してみた。
その鱗に見えたのはアウリアの顔ではなかった。
原初の光が生まれるよりも遠く、始まりと終わりが溶け合った永劫の広がり。
飲み込まれるようにして、アウリアは鱗に触れた。
光のきらめきが弾かれ、そこに世界が現れた。
壮大な谷、圧倒的な嶺の連なり、巨大な岩場、五色に輝く大空、エメラルドの大地、珊瑚が広がる大海原、空を埋め尽くす竜の群れ、古代の街並、激しく争う軍勢、のどかな穀物地帯、遊ぶ子どもたち、空から落ちてきそうな巨大な星、流星群。そして暁の光に照らされた巨大で壮麗な樹。それが世界樹だといわれたら納得しそうな威厳をたたえており、その下に鱗は銀色、内側はエメラルドに輝く竜が寝そべっている。
どこまでも広がりゆく未知の世界の断片が、そこらじゅうに散らばっていて、それでいてどこか懐かしい。
鱗を撫でるとピオニーが心地よさげに鳴き、それに共鳴したようにアウリアの中に美しい音がなだれ込んできた。頭の中ではなく、身体の中で鳴り響く音のようで、それは不思議な感覚だった。
(音楽とは違うようです……ピオニーはクリスタルを叩いて遊ぶのが好きでしたね)
「アウリア?」
ユリアスが片膝をついて、アウリアの顔を覗き込む。
「どうした? 呆けているようだが?」
「ええ……」
アウリアは軽く片手を上げて、ユリアスの胸に触れた。
何か、存在の確かなものに触れていないと、身体が震えてしまうのだった。
その震えはただの震えだった。寒いからでもなく、怖いからでもない。
世界の振動の一部のようなものだった。
(クリスタルはヒーリングで使われている。大事なのは周波数? そういえば、ザトウクジラは歌と呼ばれる複雑なパターンの音を、数十分間にわたって繰り返すのです。イルカは個体ごとに特有の名前のような音を持っていて、仲間との識別に使用したはず。それに……そう、口伝、口伝というのは)
さらに深い思考へに沈みかけたとき、ユリアスのしなるような声が耳元で響いた。
名を呼ばれた気がしたが、今何かとても重要なことを考えたような気がして、我に返りながらも不快な思いがした。
「なんです? 今ちょっと」
ユリアスの両手が伸びてきて、アウリアの頬を包み込む。
ピオニーの鱗のように冷たく滑らかな感触が、アウリアをビクッとさせた。
「あの……?」
目を閉じたり開けたりする度に、ユリアスの睫毛がアウリアの睫毛に触れるほどに近づいた。
「番になるか」
(え?)
ユリアスの低く艶めいた声音に熱い吐息が感じられて、アウリアはぎくっとした。
思考停止でアウリアが身を引くのと、ユリアスの手が背中に回って激しく抱き寄せるのが同時だった。
「ユリ――」
名を呼びかけて開いた唇が強く、激しく、彼の唇で塞がれた。
(!?)
その瞬間、ビュウゥン、と高度が下がって、アウリアとユリアスはピオニーの背の上で軽くバウンドした。
「きゃっ」
「わざとやったな!」
ユリアスが舌打ちし、アウリアはとっさにユリアスの胸を叩いた。
「ドサクサに紛れて!」
「そなたからいい匂いがする」
「わたしは……、ッ! 記憶がないのでしたらなおさら……」
言うなりアウリアの目から、ぶわっ、と涙が溢れ出た。
涙がキラキラ光るほどいっぱいで、ユリアスはぎょっとした。
「ん? 頻繁に会っていたと聞いたのだ。キスくらい――」
アウリアは上目遣いで睨んだ。
「清い関係です。恋人同士ではないのですよ」
それにはユリアスの眉がピクリとした。
が、長い金髪を華奢な身体にまとわりつかせながら泣き続けるアウリアを見て、ポンと頭に手を置いた。
「恋人がよくわからぬが、泣くのはひどいぞ。求婚して承諾を得たと聞いている」
(そ、それはそうなのですが……)
モグラさんの記憶がないユリアスとのキスが嫌だったのだが、その思いは口にできなかった。
千々に乱れた爆速思考が流れ、遅れて、ユリアスの弾力ある唇の感触が蘇り、全身からボッと火を噴く思いがした。
恥ずかしさに動揺すると、それを隠すようにドスの効いた声が出た。
「イチゴもマンゴーもいい匂いなのですよ。そうやって男というのは、香り高いフルーツをつまみ食いするのです」
アウリアの詰りに唖然とするユリアスだったが、
「ふむ、そなたの言う通り、いい匂いが一種類とは限らぬな」
とつぶやき、アウリアの柔な拳でお腹を打たれたユリアスだった。
「手を痛める」
ユリアスは女の華奢な手はすべて病的に細かった母を思い出させて、心配になるのだった。
アウリアの白い手を取ると、どこまでも無防備なアウリアをからかいたくなる。隙だらけのアウリアの頬へ唇を寄せてチュッとした。
「ひっ」
アウリアが引き攣れると、ユリアスは再び顔を近づけ、アウリアは両手で彼の口を覆った。
「おふざけ禁止!」
「くっくっく」
「殿下」
「ユリアスと呼べば良いではないか」
「むぅ。ユリアスさまだって、私、なんて仰るから」
そのころ急いで着替えて庭に出ていたサラは、上空のピオニーの背の上でいちゃつく様子を察して、さっさと身を翻したのだった。




