62話:陛下がとち狂っています
王家の館を訪れたなら、真っ先に挨拶すべきは王太后であった。
馬車が到着すれば先触れが出る。
ユリアスの身に何が起きたか、確認するのは後になった。
(頭に衝撃を受けたのなら、一刻も早く話を伺いたいのに)
アウリアは焦ったが、ユリアスにエスコートされながら並木道を歩き始めた。
仄かに甘く漂う穏やかな香りを感じて、気持ちが穏やかになっていく。
ふっと、アウリアはユリアスから手を離した。
軽く地面に手を伸ばして葉を拾い上げた。
「どうした?」
「リンデンの葉がたくさん落ちているので。貴重なハーブなのです」
葉はかわいらしいハート型で、ハーブティーにしても苦みがなく飲みやすい。軽い風邪や喉の痛みに効き目があり、化粧品にも使える。魔素が乱れたときにも有効だが、王家の象徴の樹であるためか、ギルドも扱わないことが多い。
「この樹かどうかは知らぬが、竜の谷の巨木も似たような香りがする」
さらりと言われて、アウリアは目を丸くした。
「そのようなこと、話してもよろしいのですか?」
竜の谷の情報は秘匿されている。竜学者でもあるアキトと話すようにはなったが、アウリアの竜の谷の知識はなきに等しい。
「ふむ」
ユリアスは首を傾げた。
「そなたとどこまで何を話しているかわからぬ。大魔道士から、かなり共有していると聞いたが」
「殿下は、竜の谷に関しては慎重でいらっしゃいます。わたしに認められたことは2点、魔塔の文献と、アキト魔道士の知識を共有することです」
「ふん、まどろっこしいな」
「それでよいのです」
「なぜだ?」
ユリアスの視線が鋭くなった。
「殿下は竜の守り人。竜の谷に関しては最上の注意をはらって当然なのです。わたくしへ伝えるかどうかは、わたくしへの信頼度も含めて、図られていたのではないでしょうか」
「ほぅ……そなたは知りたがりと聞かされたが、悪くない返答だ」
(むぅ、何が悪くないですか、人の気も知らないで)
手にしていた葉を一枚、ユリアスの視界に入るよう差し出した。
「この葉、形が心臓に似ていることから、相思相愛の象徴とされています」
「ふぅん。そなた、心臓を見たことがあるのか?」
どこか意地悪げな視線を向けられたが、アウリアは涼しい顔で応じた。
「はい。解剖もしています」
ユリアスは無言で頷いた。
「私は戦場で見ている。きれいな状態の心臓は知らぬ」
(……そんな、何でもないようなお顔でいわないでほしいのです。悲しいことなのですよ)
ユリアスの心が心配になる。
ユリアスの肩越しに、アウリアはリンデンを仰ぎ見た。
木漏れ日の隙間から青い空が覗く。
「古代では、リンデンの樹は裁きの樹、真実の樹と呼ばれたそうです。揉め事があると、リンデンの樹の下に集まって話し合うのです」
「ほぅ、それは良いな。竜の谷でも、竜が好む場所は樹の影だ。水辺で遊んだ後は、木影の岩場で寝そべる。昔は多くの竜が集まっていたのだろう」
「今は寂しいでしょうね。1体だけでは」
竜がたくさん集っていた時代に思いを馳せて、アウリアは葉を風に流した。
ユリアスが片眉を上げてアウリアを見た。
「竜の数は、私が教えたか?」
「はい。王家が管理する竜の数なので、大陸の竜の数ではないと思いますが……それでも、番が現れないと絶えてしまうと、心配されていました」
「その通りだ。このところデュオクロスの地下に目をつけていた。王家の口伝が途絶えさせた竜の加護について知ることが、番を見つける手立てにつながると考えてな」
アウリアは黙って頷いた。
ユリアスは竜の加護について、
―――オレの魔力が人の身では受けきれぬほど強大なことはわかるが、では竜の加護なのかといえば、うまく言えぬが、違う気がしている。
―――竜の加護とは、竜を守るためにもたらされた力ではないか
そんな意見を述べていた。
竜の加護と呼んでいるのは後世の者たちで、王家は竜の守り人の役目を重要視し、ユリアスはおのれの使命は、竜を絶滅させぬことだと考えていた。
だから今はっきりと、番を見つけるために竜の加護を調べている、と思いを整理したのだった。
「殿下、申し訳ありません」
「なぜそなたが謝る?」
ユリアスが面食らう。
「わたしは竜の加護について、一日も早く調べよと命じられていたのです。
が、ぜんぜん集中できていないのです。その大半は、お妃候補問題に引っ張られているからですが」
チクリ、愚痴も言ったが、ユリアスは笑った。
「急げと命じたのだろうが、そなたと会ってそう時間も経っておらぬはずだ」
「ええ、命じられたのは、ひとつきほど前でしょうか」
「では焦るな。一ヶ月やそこらで、長年失われたものを取り戻せるとは思っておらぬ。一度にいろいろ言いすぎたのだろう。許せ」
「そうおっしゃっていただけるなら、気が楽です」
アウリアはあっさり受け入れて、笑みを浮かべた。
「殿下は毎日王太后さまをご訪問されるのですか?」
王族はメンバーが少ない。それだけに仲良くされているのかと訊ねたのだった。
ユリアスは少し困ったようになった。
「いや、なぜここに来たのかよくわからぬ」
「え?」
「たぶんだが、お祖母さまの顔が急に見たくなったのだろう」
(たぶん? 急に? う、これはやはり頭がおかしいのです)
✦~✦~✦
王太后に挨拶を終えた後のこと。
ユリアスが王太后に連れられて別室に行っている間、アウリアは軽食を用意されて、年配の侍女たちとハーブの話をしていた。
貴族女性が扱うハーブと、民間療法で好まれるハーブは異なる。アウリアの知識を得ようと集まってきたのだ。
するとそこへ、国王アロンシウスがひとりで現れたのだった。
転移が禁じられたエリアで、唯一転移が許されるのは国王と王太子だけ。
アロンシウスは自分で転移はできないため、姿を見せぬ専属の上級魔道士がついている。
アウリアと侍女たちが一斉に立ち上がる。
アロンシウスはアウリアの姿を認めると、ちょいちょい、というような手の仕草をしながらニヤリとした。
「話をしようではないか、もうすぐ父と娘になるのだ」
(はひ!? 父!?)
侍女たちがうふふふと笑い、「どうぞ、語らいなさいませ」とアウリアを送り出したのだった。
(ひぃぃ、ユリアスさま、ユリアスさま~!!)
助けを求めるが、彼は王太后と祖母孫水入らずの時間を過ごしている。
アウリアはあれよあれよと庭へ連れ出されたのだった。
(これは、ナイショ話ですか?)
「ユリアスに見つかったら殺されるであろうな」
アロンシウスは冗談ともつかぬことを言うと、翡翠色の瞳をひたとアウリアに据えたのだった。
「何とも不思議な目であるな」
「……はい。わたくしも眼鏡を外した顔は見慣れないので、鏡を見てびっくりすることがあります」
「それは、悲しいのではないか」
「まったくです。自分の顔ですのに」
アウリアの物言いに、アロンシウスは声を上げて笑った。
が、すぐに笑いは消え、アウリアの胸に輝く〈女神の息吹〉に視線が落ちた。
「ネックレス、似合っておるぞ。ネフェルナが好きであった」
「ありがとうございます。今は殿下から、お借りしているものと考えております」
「いや、ユリアスが贈ったのであろう。返すなどと申してはならぬ」
叱責されたが、恐縮の極みだ。
(ほんとうに、これほどの物を受け取っても、見合ったものを返すことができないのに)
アロンシウスはしばし沈黙した後で、とてつもなく重要なことのように告げた。
「ユリアスは私とネフェルナの最高傑作だ」
(え、あ、はい。息子さまが大好きなのですね)
「ユリアスに似た子がほしいのだ。多ければ多いほどよい」
(多ければって……ん……)
アロンシウスの目に狂気の光が浮かび、アウリアはぞっとした。
胸騒ぎがした。
(このお顔、知っているのです。幼いころわたしに、選択肢を与えたときの顔なのです……)
「そなたひとりでは心許ない」
(ひとりでは?)
知らずアウリアは怪訝に眉を寄せた。国王の前では失礼な表情ながら、無意識なのだからどうにもならない。
「ユリアスは今、そちの記憶を失っているそうだな」
「……ご存じでしたか」
「ユリアスのことで、私の耳に届かぬことなどないぞ」
(まあ、そうでしょうけど)
「今が好機であろう」
(好機? どういうことなのです?)
「恐れながら、何を考えておいでなのでしょうか」
「王家の婚姻法を確認しておるか」
「はい」
「王太子の妃は何人だ?」
「原則はお一人です。
──しかし、結婚して3年以内に子が為せぬときは、新たに側妃を迎えることになります」
側妃候補はお子を産めるかどうか。家柄よりも年齢と健康状態、両親ともに男子の多い家系かどうかが重要視される。コリンティア側妃も、その前提をクリアして勝ち取ったと聞く。
が、そうして選ばれても誕生したのは王女二人。それほどまでに男女の産み分けは難しいのだ。
アロンシウスにはすでにユリアスという世継ぎがいたが、ユリアスは魔力ゆえに夭折するだろうと考える者も多く、陛下は二人目の王子を求められてきた。
(それなのに側妃を増やされなかった……ユリアスさまを最高傑作と仰せになるほどだから、二人目の王子は、ほしくなかったのですね……)
その結果ユリアスは国王に溺愛されてきて、レンを困らせる王太子になったのだ。
ちなみに国王に即位した後は、側妃をふたりまで迎えることができる。
側妃を増やす条件は世継ぎができなかった場合と、世継ぎが亡くなった場合となる。
アウリアの脳裏にすべての王家法が過り、アロンシウスは翡翠の目に冷徹な光を宿した。
(な、なにか、怖い……)
「ユリアスに特例を与える。これより1年以内に、ユリアスの子を生んだ者を側妃に迎えるとしよう」




