61話:ユリアスの異変
エメラルド宮に着くと、転移ポイントの扉の前にレンが来ていた。
多忙な筆頭補佐官がわざわざ出迎えるのは不自然だった。
アウリアが軽く膝を折って挨拶すると、レンは時間を惜しむように告げた。
「アルテ侯とレティシア嬢が救出されました」
その言葉で、アウリアは思わず喜びの声を上げそうになった。
が、話を聞くために、表情を取り繕う。
「作戦は6月10日には終了し、部隊も引き揚げました」
(そんなに前?)
「お二人はエメラルド宮の医務官の検査を受け、現在はお疲れの回復を待ちながら、事情聴取のために留まってもらっています」
アウリアは神妙に頷いた。
罪は問わない約束だったが、二人は異国の監獄に収容され、救出のために王太子の手を煩わしたのだ。事情聴取の一つもないまま無罪放免とはいかなかった。
(でも、でもこれで一安心なのです。エメラルド宮に滞在されているなら、もう大丈夫なのです)
喜びを噛みしめるアウリアに、レンは歩き出しながら早口で告げた。
「殿下は作戦終了後、魔塔に行かれ、昨日お戻りになり、今は、おそらく、王家の館へ行かれました。牢獄へ行ったり魔塔へ行かれたり、段取りが……めちゃくちゃなのですよ」
(牢獄へ救出に出かけられたのは、わたしのせいです。レンさまごめんなさい!)
だが魔塔は時間の流れが異なるため、ユリアスは自ら行くのを避けると聞いていた。
それでも大魔道士と話がしたかったということだ。が、レンからすれば、時間軸の異なる魔塔からいつ戻るかわからないヤキモキ状態で、王太子の不在をごまかしながらの執務だったのだ。
「魔塔に行かれた理由を教えていただけますか? そしてなぜ王家の館に行かれたのですか?」
アウリアが質問魔というわけではない。情報量が多すぎて、聞くしかなかったのだが――
「ユリアスさまに会えばわかりますよ!」
レンは半ばキレていたので、今は何も聞くまいと誓ったアウリアだった。
それからアウリアは、陛下に謁見したときと同じ装いに仕立てられた。
つまり亡き王妃カラーのドレスを身にまとい、眼鏡を外し、髪型も化粧も寸分違わずに同じにして、ユリアスから贈られた〈女神の息吹〉を首から胸にずしりと飾った。貴重すぎるため、女官長に預かってもらっている。
王家の館へ行くには、エメラルド宮から王宮へ転移し、その後専用の馬車で移動する。
レンは部下の補佐官と、別の馬車で仕事をしながら移動することになり、アウリアは事情を聞くこともできなかった。
移動中アウリアは優雅にお茶をしながら、サラと話した。
「レンさまの負担が大きいと思うのです。ユリアスさまが、レンさま以外の方を信頼されていないのでしょか。ユリアスさまに聞くのも失礼な気もしますし」
それはサラも気になっていた顔で応じた。
「はい。実は私も筆頭補佐官殿に伺ったことがあるのです。些末な連絡まで直接いただけるので、心苦しくなりまして」
「そうよね」
「王太子妃が決まるまでの、特別シフトだそうです」
「ん? 特別」
サラによると、王太子には5人の補佐官と、その下に多数の専門官がいる。
その中には、妃候補リストに名のある家門としがらみを持つ者もいる。王太子の習慣や嗜好を探ったり、小姓や女官らを買収しようとしたりしたのだ。
そのため疑わしき者を排除してきたが、入れ替えても気づくと生えている。
とうとう補佐官まで買収されていたことが発覚し、補佐官選定を一任されているレンは責任を感じて、ユリアスに関する一切を引き受けることにしたのだった。
「その状態を、殿下が殊の外喜ばれたそうで、レンさまに甘えきっているそうです」
と、サラはいくらか苦笑いで話をくくった。
「ふふ……レンさまの責任感を利用して、図に乗っているのですねぇ」
それにあやうく同意しかけたサラだったが、寸前で澄ました表情に戻した。
到着したころには、昼下がりの午後になっていた。
来訪者の馬車は落葉高木のリンデン並木の途中にある、素敵な馬車邸で降りる。
初めての来訪と異なり、ここが正式な降り口だった。
リンデンの帳と呼ばれる並木路を歩くことで、気持ちを整える意味があるのだった。
サラに手を借りて馬車を降りると、薬香園の木々がざわつき、リンデン並木の花びらが一斉に舞い上がった。
(この気配は!)
アウリアはユリアスが転移で現れる直前にわかることがあった。
「ユリアスさま!」
「チチ」
ピオニーもぴょんと飛び跳ねると、チビ竜になった。
まだ姿が見えなかったため、サラが辺りを見廻した。
アウリアはドレスを持ち上げて風の中へ走った。
兄を助けてくれたことへの感謝の気持ちもさることながら、何となく不安な気持ちもあって、ユリアスの顔を一刻も早く見たい思いでいっぱいだった。
と、そこへユリアスが姿を現したのだった。
さらさらした短い白金髪。白皙の美貌を一際際立たせるエメラルドの瞳。
「ユリアスさま!」
うるうるする金の眼を拭ったときだった。
「ほぅ、オレを名前で呼ぶ女がいるか」
(え?)
ユリアスの冷めた声音にアウリアはビクッとした。
宝石のようなエメラルドの瞳にアウリアを映しはするが、まるで初めて会うような反応だった。
それにいつになく、王太子然としていた。
額に美しいエメラルドを飾る金の環をはめている。王太子の徴だが、アウリアが目にするのは初めてだった。純白絹のシャツにエメラルドグリーンのロングタキシードコートのようなスタイル 袖が肘くらいで、両手に金の腕輪をはめている。腰に煌びやかな宝石をあしらった帯を垂らしている。コバルトブルーとグリーン、ターコイズのビーズをあしらったデザイン性の高いボタンが、高貴な人らしい装いだった。
ユリアスは颯爽とアウリアに歩み寄る。
「そなた、金色の瞳を持つか。アルテ侯の妹だな」
(なに?)
戸惑うアウリアに駆け寄ったレンが「公式のご挨拶を」と囁いた。
アウリアは眉根をよせたものの、ドレスをつまむと深く膝を折り、頭を垂れた。
「エメラルディアの未来を照らす若き太陽、王太子殿下。再び拝謁が叶いましたこと、この青天のごとく晴れやかな心地にございます。以前お目にかかった折よりもいっそう凛々しきそのお姿、再び仰げますこと、心より光栄に存じます。わたくしめごときの名を御記憶に留めおかれることはございません。はい。わたくしはアルテ侯爵が妹でございます」
ここぞといわんばかりに、アウリアは皮肉たっぷりの丁寧な挨拶をした。
(わたしのことを忘れたような顔で、何がアルテ侯の――え? え? 忘れてる?)
はっとアウリアが顔を上げると、ユリアスがふっと表情を緩めた。
「察したか?」
「記憶障害を起こされているのでしょうか? だから魔塔へ?」
とアウリアは訊ねたが、ユリアスの視線がアウリアのネックレスに落ちた。
「私がそなたに贈ったと聞いた」
一人称がふだんの「オレ」から、王太子の立場としての「私」になっていた。
(これは、少々距離感がわからないのです)
アウリアはユリアスとはモグラさんとして出会ったせいか、気安く接しがちなことは自覚していた。
彼のエメラルドの瞳には疑念の光が浮かび上がっている。
彼にとって、〈女神の息吹〉は母から直接譲られた大切な形見だった。なぜ見知らぬ女の胸元を飾るのだという思いが透けて見えて、アウリアはその反応に傷つく思いがした。
一方レンは、母王妃と結びつくネックレスをまとったアウリアを見れば、ひょっとしてすぐに記憶が元に戻るのではないか、と期待していたのだった。
――そう簡単にはいきませんか、とぼそっと呟く。
ユリアスはアウリアの不快さを察したように、軽く手で制する仕草をした。
「母上の波動を感じたゆえに来たのだ。そうか……レンが言っていたな。新しい婚約者か」
アウリアとユリアスの間に、冷たい風が吹き抜けていった。
(この感じ……ユリアスさまはどうやら、わたしのことだけ記憶から抜け落ちたようです)
アウリアはネックレスにそっと触れると、王家の庭で、ユリアスにきちんと求婚を受けたことを思い出して、まだ最近のことなのに、懐かしむ気持ちになった。
「このネックレスは先日こちらで、陛下に拝謁する折に、ユリアスさまご自身で、わたくしにくださいました」
「そうか、陛下に会わせていたのだな」
「はい」
ユリアスの異変を感じてか、ピオニーは一度もユリアスにくっつくこともなく、メイドに戻ってアウリアの足にしがみついている。
(モグラさんとして、わたしに声をかけてくれたあの日のことも、お忘れだなんて。それはちょっと、もう、気持ちが追いつかないのです)




