59話:ユリアスさまはお優しいのです
小芝居の報告を受けてから30分後、中庭にモグラさんの姿で王太子が現れた。
「きゅぅきゅぅ⤴」
すぐさまその顔にピオニーが飛びついて貼り付くお約束があり、アウリアはふだん着のワンピースドレスにサンダルをあわせて、急いで庭に出た。
最近はモグラ邸に来るのにモグラになる必要はなかった。
(朝の謁見の後、モグラさんに変身してここへ?)
ピオニーを顔から剥がしながら、ユリアスが言った。
「失敗したな」
「おいでになるなり失敗だなんて。伺いました。小芝居をされたそうですね」
「いや、アレはうまくいった」
「え? 小芝居は、うまくいったのですか」
「そうだ。失敗だと言ったのは、アレをもっと早くやるべきだったと思ってな」
(むむ。この方は何をおっしゃっているのです?)
「そなたを面白いと思ったときに動いておれば、後手に回らなかった。まったく、オレも慎重になったものだ」
「何が起きているのかわからないのです。説明を求めます!」
ピオニーを頭に乗せたまま、ユリアスは機嫌良く笑った。
「オレも知らなかったのだ。レンに聞くまで。そなたが婚約者でなければ、オレはデビュタントのエスコートができない。王家法を調べたが、当日、デビュタントの日に婚約を発表すれば問題ない」
ユリアスから具体的にどんな芝居をしたか聞いた後、アウリアは察した。ユリアスはとにかく早く、お妃選びという面倒から解放されたいのだ。
しかしこれまでの経緯から、最有力候補のドレイヴェン公爵令嬢でなければ周囲が荒れるため、ひと目ぼれストーリーで、他の妃候補はいらぬと宣言したのだ。
(この場合、ユリアスさまではなく、わたしに矛先が向けられるだけなのですが……)
アウリアは意を決して言った。
「そのように急がれなくても、エスコートは兄にお願いしようと思います」
ずっと悶々としていたことだった。ユリアスを見るとどうにも口にできずにいたが、勢いに任せることにした。
しかしそこへサラがタイミング悪く、冷えたシャンパンを運んできて、ユリアスの気が削がれた。一気に飲み干して、話は終わったとばかりの空気になる。
「ユリアスさま」
「アウリア」
二人は同時に互いの名を呼び、アウリアが一歩引いた。
ユリアスが少し早口になった。
「貴族街、領地のアルテ侯爵邸、ここも含めてすべて結界を強固なものにした。不審者は入れぬゆえ、ゆるりと過ごせ。アキトを使いっ走りに使ってよい。デビュタントに必要なものはこちらから人を派遣する。当日はオレが侯爵邸に迎えに出る」
「迎えに? いらっしゃるのですか?」
「当然だ。そなたの大切なデビュタントだぞ。正式な形で行う。そなたをエメラルド宮に泊めたかったのだが、馬車を出すことで周囲への牽制にもなる。派手にしよう」
(わたしのデビュタントが……見世物になるのですね)
アウリアは遠い目になりながら異論は口にしなかった。
王太子の言葉は決定事項だから。
公爵たちは? 他のお妃候補は? 宰相の娘は?
聞きたいことが山ほどあるが、飲み込んで、一つだけ訊ねた。
「デビュタント前に、お兄さまと会えますよね?」
ユリアスはグラスをトレーに返すと、不安そうなアウリアの肩に手を置いた。
ピオニーが離れて、アウリアの頭上へ移動する。
「潜入は成功した。後は連れ出すだけだ。上級魔道士を派遣している。心配するな」
「会えるのはいつですか? できるだけ早くお兄さまにお会いしたいのです」
アウリアは食いいるようにして、ユリアスの今はモグラさん顔を見つめた。
勝手に国を出て、異国で投獄されたのは兄たちなのに、ユリアスの救出が遅いと焦れるのはお門違い。わかっていても早く、一日も早く兄に会いたい気持ちは抑えきれなかった。
ユリアスはアウリアの顔に手を伸ばし、身構えるアウリアを見つめながら眼鏡を外した。
「これはもういらぬだろう」
(でも……)
「わたしの顔の一部なのです」
「慣れよ。デビュタントでは眼鏡は許さぬ」
眼鏡を外すと外気が直接目に触れる。レンズがないほうが確かに視界はよりクリアだし、軽くなった気がする。
眼鏡を外すとピオニーもどこか嬉しそうで、アウリアの前でパタパタする。
「キュッキュッキュッ⤴」
「外で眼鏡を外すの、あまりないものね」
「キュッキュルゥ⤴」
ふいに、ユリアスが虚空へ顔を逸らした。
俯いたり動きが固まったりするとき、ユリアスは魔道士と話していることが多い。
アウリアはしばらく待った。
ユリアスの顔が動いて、アウリアと目線を合わせた。
「アウリア。オレが牢獄へ参る」
「え?」
「そなたもそのほうが安心だろう」
(わたしのためなのですか!?)
アウリアは息を呑み、慌てて首を振った。
「いえ! 無茶をなさらないでください!」
ユリアスは頷くと、アウリアの頬を手で撫でた。
その素敵な指先も温もりも感じる暇なく、手が離れる。
「ではな」
「今から?」
「今から」
と言うなり、その場から転移して去ってしまった。
庭の木々が揺れて、木の葉がひらひら舞い落ちる。
「ユリアスさま!」
まだモグラさんとして会っていたときも、ユリアスの行動は素早かった。すぐ動く人だ。王太子なのに、思うがままに動く。
アウリアは振り返って、アキトを探した。
「アキト魔道士! 教えて!」
虚空から鬱そうと魔道士が姿を現した。
ピオニーがメイドに戻って、アウリアの傍らにちょこんと立つ。
「王太子が異国の牢獄へ侵入って、国際法上で問題になるのではないですか?」
アキトは素知らぬ顔を決め込んだが、アウリアは一歩迫った。
「教えて! もし簡単に動けるなら、ユリアスさまなら最初から自分で動かれたはず。でもそうはしなかったではないですか。直属部隊を使われたってことは、王太子が動けない理由があったのでしょう?」
それに対してはサラが言った。
「恐れながらアウリアさま。あのような殿下でも、最初からすべてお一人で解決に動かれるわけではありません。諜報部隊というのはどの国にもある機関であり、暗躍するのは織り込み済みです。協定もあります」
「……そう」
「戦は別ですが、殿下は人を動かすお立場にあられます。殿下のお力だけを頼っていては、人が育ちませぬ」
「ああ……そうね」
(確かにそうなのです。でも、レティシア嬢も牢獄に収容されたというのに、ユリアスさま自身が動かれないことが、少し、不思議な気もしたのです)
「それより気になるのは殿下の魔力です。私は王家の館にいるとき、魔道具を使う不審者対策として、魔道具や魔力を感知する魔道具を持たせられておりました」
「魔力探知機ね」
魔道具の眼鏡を強制的に回収されたことを思い出す。
「殿下のように大きな魔力を持つ場合、専用の探知機で感知されるのではないかと」
「バレる?」
アウリアの言葉にサラは首を傾げ、二人はアキトへ目を向けた。
メイド・ピオニーがアキトの足の臑を蹴って、「ハケ」と命じる。
アキトはくねくねしてから応えた。
「侍女さんの仰る通りです。殿下は魔力が大きいがために、その痕跡が残りやすいんです。魔塔に属さない野良魔道士もおりますんで、そうした者と契約していれば、魔力の痕跡から誰の者か辿ることもできたりします。まあだからといって、大国パールシアに抗議する国はありゃしやせんぜ」
(ふぅん)
「面倒になるとしたら、相手方はまだ、おのれらがパールシアにとって重要な者を捕らえていると知らないことですかね。殿下が動かれたことで、それ勘づかれてしまうというわけで」
「なるほどな」
と、サラが頷く。
今のところ、アルテ侯とレティシアは盗賊団の首領夫妻と間違えられており、身元はバレていなかった。そのため作戦は二段階で、最初に潜入して極秘裏に二人と接触。その後、別の囚人とすり替えて脱出することになっていた。
アウリアは心配になって、両手を合わせた。
(わたしがすぐにも会いたいなんて言うから……ユリアスさまは、わたしに何の不安もなくデビュタントを迎えてほしいと、考えてくださっているのです。そんなところは、お優しくて……わたしにはもったいないお方だと思う。わたしはいつも自分のことばかり考えているのに)
泣きそうな心地にあるアウリアを見て、アキトがけらけら笑った。
「アウリアさま。殿下は殺したって死にやしませんぜ」
その言葉にアウリアがむっとし、ピオニーが再び蹴った。
「うひひひ」
アキトを喜ばせただけだった。




