58話:有意義な談義の途中に速報が入りました
▌デュオクロス・モグラ邸
アウリアは中庭にホースで水を撒いていた。
デュオクロスは山の中だけあって、比較的雨も降るところだが、このところ晴天が続いている。
ピオニーがチビ竜になって、「キュー⤴キュー⤴」喜んで水の中を行ったり来たり。その度にアウリアに水が跳ね返っていた。
「一緒に過ごして、ピオニーのこと、何かわかりましたか?」
ホースの水を別の方向へ向けて、アウリアは魔道士に話しかけた。
大魔道士が許可した文献をアウリアに運んできたついでに、機嫌のいいチビ竜を見て涎を垂らさんばかりに観察して記録をとっていた。
魔道士は皮膚感覚がないため、初夏の陽射しの下でも外套を着ている。
見る方が暑苦しい。
「それがですね」
アキトは人間くさい仕草で頬を掻いた。
「影の中にいるときの、ピオニーさまのことをよく覚えていないというか……なんというか」
アウリアは眉をひくつかせた。
「寝ていたのですか?」
「起きていましたよ! 破壊大魔王に代わって、証拠保全やらあの犯罪者どもの拘束をしたのは私ですよ!」
「ふぅん、そう」
とアウリアはアキトを横目で見た。
「大魔道士さまにも報告したんですがね、結局私の影では、ピオニーさまをお入れしたまま動けなかったのですよ。殿下の魔力は大きすぎますし、別の場所にいたのではないかと思うんです。はい。面目もございません」
「別の場所ね……あなたたちって、異空間のような場所に物を保管できたと思うけど、どういう原理? 自分の力で空間を拡張する感じなの?」
「いえ、違いますね。なんと言いますか……魔道士は『エネルギー体』なのです」
「ええ、そこだけはユリアス様に教えていただいています。だから、エネルギーを核にするのだと思っていました。それって、肉体を三次元から高次元へ引き上げた、つまり『位相をずらした』ということでしょう?」
アキトはまたしてもびっくりした、という顔で仰け反った。
「へえええ……こりゃ驚いた。そんなふうにあっさり理解できる人間は滅多にいませんぜ」
(いませんぜって……取り繕う気もなくなったのですよ)
「暁ノ塔の学生なら、それくらい理解するわよ?」
「いや、失礼しました。魔塔はデュオクロスと交流を失ってずいぶん経つので、どの程度の理屈まで解明されているのか、掴みきれなかったんですよ」
ふぅん、それもそうね、とアウリアは頷く。
(わたしだって、魔道士の知識体系がどれほどのものか知らないもの)
「我々も核を持っているんですよ。何を核とするかは想像にお任せしますが」
「質のいい魔石じゃないの?」
「うへぇ、ざっくりしてますが、正解です。ただ、魔道士の核になれる魔石は極めて稀少なんです。手に入れようとしても、そう簡単にはいきませんよ」
「大丈夫よ。魔道士になろうなんて思わないから」
アキトの話を整理すると、こうだ。
特別な〈魔石〉は、存在を高次元に繋ぎ止めておけるほどの高出力を誇るが、そのエネルギーも無限ではない。そのため、魔道士の力量によって寿命は長くも短くもなる。
魔道士が使う収納術は、自分自身のエネルギー体が漂っている高次元の余白を利用するものだった。魔道士ごとに魔石の固有振動数が異なるため、同じ余白を使っていても、自分専用の物しか出し入れできない。
余白に保管されている間、物質は形を持たないエネルギー状態となっており、魔道士が「これだ」と意識した瞬間に、三次元に物質として再構成・定着する。
ちなみに「転移」も同じ理屈。エネルギー体である魔道士は、魔石の力で現在地と目的地を、高次元の隙間を通じてピタリと重ね合わせる。そこを通り抜けることで、一瞬での移動を可能にしているのだ。これもまた魔道士の力量に依存し、より遠距離へ干渉できる者ほど格上とされる。
「三次元に物質として定着するなんて、まるで量子力学ね。魔道士は『観測者』というわけですね」
「……観測」
アキトの不意打ちを食らったような表情を見て、アウリアはこちらの世界にない言葉なのかと思った。
(それとも魔塔とは表現が違うのかも)
「……観測。ええ、そういう感じですね。へえ、面白い言い回しです。確かに、我々が意識を向けなければ、高次元に放り込んだ物はただのエネルギーの波だったり霧だったりしてまして」
「つまり、形のない可能性ね?」
「それです!」
「我々はそれをこの世界に引きずり出し、形を固定する」
「それって、三次元で固定されていた物の形が、高次元に放り込んだときは一度バラバラになるから、引きずり出したときに再固定するのよね?」
「そうですそうです」
アキトは何度も頷いた。
(だから取り出すときに、観測する必要があるのですね)
アキトは自分の掌をじっと見つめ、握ったり開いたりしました。
「魔塔の連中は、それを『魔力による具現化』と呼びますが……アウリアさまのおっしゃる観測という言葉、なんかしっくりきました」
「世界は見る者がいて初めて完成する、というものね」
「なんですか、それは?」
「量子力学の基礎的な考え方よ」
(この世界では、魔道士という存在を通して物理的に証明されているのですよ)
「量子……なんとかというのは分かりませんが、アウリアさまはやっぱり賢いですね」
「あのね、わたしは賢さより便利さがほしいのです」
アウリアはピオニーがはしゃいで濡れた髪やドレスをつまんだ。
「これよ! 一瞬で乾かす魔道具が必要よ!」
「へいへい。お安いご用で」
そう言って、アキトが咒を唱えると、アウリアの衣類や髪が一瞬で乾いたのだった。
しかし乾いたというより、濡れる前の状態に戻ったような仕上がりだった。
ユリアスが以前エメラルド湖でアウリアを濡れ鼠にしたときは、魔力で四苦八苦して乾かした。
魔道士のように何か唱えることもなく、魔力で風と温度を操っていた。
「ありがとう。アキト魔道士。でもこれって、ユリアスさまの使われる力と、原理が違うように見えるけど?」
「はあ、鋭いお方ですね」
「気になるのですよ」
「原理についてはご容赦ください」
「ケチ」
「ケチって……」
「聞いてもできるわけでもないのに」
アキトは話せばひょうきんさに親しみがもてる魔道士だった。腕を組んで唸った後、ちょっとだけですよ、と言う。
「ギリギリお伝えするとですね。殿下は魔道に向いておられません。あの方は術を扱う側ではなく、術が生まれる側の存在です。山は自らを山と定義せずともそこにあり、風は理を知らずとも吹く。魔道士はその理を解析し、再現する者。しかし再現できても、理そのものにはなれないんです」
「やっぱり、乾かしたのではなく、濡れていない状態を再現したのね」
アキトが軽く頷く。
(こういうことかな?)
ニュートンの万有引力の法則で、
重力は、 F = G(m1m2 / r^2)
と表すことができる。
だが、この数式があるからリンゴが落ちるわけではない。
さらに言えば、この式は重力そのものの本質を説明しているわけではない。
あくまで「どう振る舞うか」を記述しているだけの経験則にすぎないから。
ニュートン自身も、なぜ重力が働くのかという「根源」は説明していない。
リンゴが落ちる現象を、人間が観察して式にしたように、魔道士は魔道術式で現象を「再現」する。
(……ユリアス様は落ちるリンゴそのもの。現象そのものを起こす方)
ユリアスを見ると、アウリアはときどき不思議な心地になった。
竜の子孫だと思って見ているからだとしても、そもそもエメラルディア大地には竜が存在して、その子孫が繁栄をもたらしてきた。
王国創世の時代から初代国王とともにした貴族たちも、竜の子孫である可能性が濃厚。
みな等しく竜の血筋なら、なぜユリアスだけは特別なのか。
(これも観測の一種なのです? ユリアスさまを特別だと思うから特別になるとか……。でも、生まれながらに魔力が尋常ではなかった事実は、観測というだけでは説明がつかないと思うのです)
ふたりの魔道と科学的な見解のすりあわせが続く中、サラが魔道通信器を片手に珍しく駆け込んできた。
「アウリアさま!」
「どうしたの。サラ、そんなに慌てて」
とアウリアは言って、ハッとなった。
「お兄さまがお戻りになったの!?」
サラとアキトが「え?」と固まる。
「あれ? 今日救出してもらえるのでしょう?」
しっかり水遊びを堪能したピオニーが、アウリアの華奢な肩に小さなお尻を乗せて座る。羽がアウリアの顔にあたらないようにピタッとして。
「あれ、いやあ、違いますよ」
応えたのはアキトだった。
「今日はまだ、潜入作戦が完了したかどうかの報告を受ける日だったかと」
「え?」
サラを見ると、サラも頷く。
アウリアは脳内時計を巻き戻した。
――マルス、これより潜入開始を命じる
――はっ。潜入終了予定は3日後の正午、報告はその一時間後と考えております
「言ってました。潜入開始だって。残念すぎて泣きそう……お兄さまにすぐ会えると思っていたのに」
アウリアはシュンとしたが、サラは魔道通信器を差し出した。
ユリアスかレンだと思って受け取ったが、通話は切れていた。
「申し訳ありません。通話は切れているのです」
サラらしくない取り乱し方だった。
「レンさまではないのですが、別の補佐官から連絡を受けたのですが」
「ええ」
「驚かないでください」
サラは言いにくそうにした。
「殿下が、謎の小芝居をされたそうで」
「ん……?」
「殿下が今日、アウリアさまに求婚することが、社交界全体に知れ渡ったとのことでございます」
(小芝居で、求婚で? 社交界?)
アウリアはそれ以上思考が動かなかった。
「・・・」




