56話:帰ってくるつもりがないですか、そうですか
馬車の中は賑やかだった。
待ちくたびれたピオニーが鳴きながらアウリアの肩をよじ登ったり、ユリアスの顔に抱きついたりして、忙しく動き回ったから。
「きゅううきゅう⤴⤴」
「わかったわかった」
「キュウキュウキュウ」
「遅くなってごめんなさい」
「大変お疲れさまでした」
サラが同情したような顔で、隣から飲み物を差し出した。
魔道士がいると便利なことに、紅茶ポットが出てきたのだ。
向かい合って座るユリアスは顔を戻して、ワインを飲んでいた。どこか愉快そうにしているのは、こうした推理に立ち会うのが初めてで、新鮮だったのだ。
「そなたは面白いな。劇を見ているようだったぞ」
「わたしは精神的にぐったりしています!」
(それに、フィンが可哀想でなりません)
帰る前にもう一度見せてもらって、頭を撫でてきた。
(世話ができないならペットを飼ってはいけないのです)
アティアンヌには最後どうしても一言あって、それも伝えてきた。
ニルスが自分が珍しいだけでプレゼントしたからだと庇っていたが、そうではないことがわかってほしいと思うアウリアだった。
感情が引きずられるアウリアの膝に、メイド・ピオニーが乗った。
(あら、慰めてくれるの? 嬉しい……)
と抱きしめたものの、メイド・ピオニーが甘えるときは目的がある。
詰め合わせスイーツをじっと見つめる。
「ふふ。お夕飯前だから一つね」
と言って、エメラルド宮のクッキーを渡した。
「ワカタ」
つられてアウリアも一枚。サラにも渡したが、後でいただきますと遠慮された。
良質なバターを使った甘いクッキーが身に染みる。
もぐもぐもぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。
ピオニーがアウリアを見て、「オイチ」とにっこり。
もぐもぐ、もぐもぐ。
ユリアスがアウリアの足元を軽く蹴った。
(もう、蹴ったりしてガキですか)
「そなた、また迷いだしたな」
今は紅茶を飲んでいた。美味しそうにしながら、首を傾げる。
「宰相の娘との会話が聞こえていたぞ」
「けほっ」
ユリアスが身を乗り出して、長い手を伸ばしてアウリアの口元に触れた。
ユリアスの美貌に見とれていて、アウリアは反応が遅れた。
「ひゃ」
「クッキーがついてる」
「え、ウソですよ」
ユリアスはくすっと笑い、指をなめた。
サラは顔を横向けて空気と化した。
アウリアは真っ赤になりながら、ユリアスの剣を握るとは思えないような潔癖そうな指の感触を引きずって、胸を高鳴らせた。
(心臓発作で死ぬ)
ユリアスが軽く腕を組んで目を伏せた。
そうするとピオニーの美しい金の羽のように長くきれいな睫毛が見えて、アウリアは少しどきっとした。
(神の手を持つ彫刻家だって、ユリアスさまの美しい目元は再現できないのですよ。ふふん)
21才はまだ乙女のうち。人の美醜に目が惹きつけられるのは仕方がないことだ。
(いえいえ、前世も合わせると人生経験はユリアスさまの上だと思うのですが、美しいものに見とれるのは人間の性!)
メイジーのガン見を思い出しながら、彼女の気持ちがわかると思った。
(音楽を愛する彼女もきっと、ユリアスさまの……変装姿でしたけど、頭の中で壮麗な音楽が鳴り響いたはず。それこそ変奏曲で延々と)
ふと、ユリアスの素敵なエメラルドの瞳が開き、アウリアを見つめた。
人の心を射貫く鋭い眼光に、アウリアはピシッと背筋を伸ばす。
「そなた、忘れていないだろうな?」
「何を、ですか?」
「オレを自由にすると言ったぞ。求婚の際に」
(あ……あれええ? そんなカッコイイこと、言ったのです?)
アウリアは宇宙の彼方を彷徨った。
「そんなことを考えていたのですか」
「いや、魔道士と話していた」
「あ、なるほど」
(自意識過剰でした)
「来月はデビュタントだろう。代理母の件、ドレイヴェン公夫人に挨拶に行かねばなるまい。オレも同行しよう」
「はい。ありがとうございます」
デビュタントで母親が付き添えないとき、故人になっていたとき、付き添い人は必須。正式なのが代理母。
(エスコートは、お兄さまのほうが波風が立たない気がするのですが)
アウリアはユリアスをチラと見たが、その思いは口にはしなかった。
(……でも、あれ?)
何か、アウリアは引っかかった。
(そういえばこの方、王太子なのです。モグラさんではないのです。王太子ほどの高い身分の方が、一貴族令嬢のエスコートなんて、できる?)
アウリアは首を傾げたが、ピオニーがおやつを食べ終えて、アウリアに顔を向けていた。
じぃ…
じぃ……
上目遣いで、エメラルドの瞳をうるうるさせている。
(これは、もう一つおねだりの顔ですね)
「あと一つだけよ?」
「待てアウリア」
「ダメですか?」
ピオニーが焦ったように目を大きくさせて、ユリアスに訴える。
「くっ、そう見つめるな。一緒に食事をしよう。よく考えたらそなたやピオニーと食事をとったことがない」
ユリアスの言葉にアウリアの影がボコボコ鳴った。
「きゃっ」
影の中で狂喜狂乱するアキトの反応だった。
(ごめんなさい。キモい)
ピオニーは立ち上がると、ダンと踵落としをして影を黙らせたのだった。
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そのころ日が沈み始めたエメラルド宮の執務室では、筆頭補佐官レン・オヴィディウスが魔道士からユリアスの伝言を受けて、書類を投げつけていた。
「自分で命じればいいだろうがあああああ」
魔道士経由のユリアスの話では、フォレンテ公爵家に神殿の間者がいた。
『アウリアのお手柄だ。〈白竜の牙〉にケイミなる女の調査を命じておけ』
「お茶会に出かけたはずなのに、アウリア嬢は何をやってる? ユリアスはいつ戻る気なんだ!?」
レンは魔道通信器を手にした。ユリアスが持たなくても今ならつながる。
「くっふっふっふ」
ほくそ笑みながらサラ・クールに持たせた通信番号を発信しようとしたとき、空間から手が伸びて、ペラっと紙が落とされた。
『小姓へ伝えてくれ。メシはレンの分だけでいい』
「はーい、ばっくれた。ばっくれた。――て、ここはてめえの家じゃねえかああああ、私のメシこそいらねえんだよおおおおお」
王太子付き小姓たちは淡々と、レンが当たり散らした書類を集めた。ときどき壊れる筆頭補佐官の姿を見る唯一の者たちだ。彼らはテーブルに、レンの好きな激甘生チョコを並べたのだった。




