53話:王太子の視力はダチョウ以上でした
侍女長の顔は蒼白になり、アウリアはカリナへと向きを変えた。
カリナは何度か鼻を膨らませた。
「お嬢さまは、どうしても私が猫を殺したことにされたいのですか!」
詰られて、アウリアのほうが憤慨した。
「あなたはワイドさんから、助言を受けています」
アウリアのぞっとするほど冷たい声音が、低く、囁くようにカリアに向けられた。
カリナがたじろいだ。
(わたしが何の根拠もなく追いつめていると思ったのですか? 甘く見られたものです)
「さあ、助言された内容を、言ってご覧なさい!」
今度は鞭がしなるように声が空を裂き、庭園が三度静まり返った。
生き物を軽んじる人間ほど、アウリアが我慢ならないものはなかった。
特に、言葉で自分の境遇を訴えることができない動物に対して、平然と虐待をする行為が許せなくて、カリナを締め上げないだけ自分は理性的だと思うのだった。
侍女長がアウリアの横に来て両膝をついた。
「お嬢さま、お許しください」
「わたしは彼女に訊いているのです」
「カリナがユリの花苗を鉢に植え替えておりました。カリナが自分で鉢植えをするのは、お嬢さまの部屋に持ち込むものだけでございます。それを見たワイドが、ユリの鉢をどこに置くのかと確認しておりました。カリナは……2階の貴賓室だと応えておりました」
カリナは鼻息を荒くしながら、
「置き場所を勘違いして言っただけじゃないの!」
(この子は、まだ続けるのですね、残念です)
アウリアは言った。
「ワイドさんは念のために、フィンが行く場所には決して、ユリの鉢を置かないようにしてくださいと、伝えましたね?」
(でもそれがあだになったのですよ、彼の懸念を見てこの子は確信した。間違いなくフィンを殺せると)
カリナは頭を振ると叫んだ。
「私はお花が好きなだけよ! それなのに、あの猫が花を荒らしてしまうんです。おまけにトイレ以外の場所でもおしっこして、臭いのよ。すごく臭いのよ。猫なんて絶対触れたくもないの。お嬢さまのバルコニーの掃除をするのは私なのに!」
「それで?」
「懲らしめてやろうと思っただけよ」
「それで好物だと知ったイチゴの鉢の横に置いたの? フィンが乗り越えなくてはならないように」
カリナは顔を背けた。
そこへアティアンヌが飛んできて、アウリアがハッとすると、ニルスがアティアンヌを押さえていた。
「よせ」
「でも、あの子が、私が、お花を任せているのを利用して、フィンを殺したのよ」
アティアンヌが泣きだして、ニルスが大きく肩で息をした。
「なあワイド、フェンリンってしつけをしたら、ちゃんとトイレの場所を覚えるよな?」
「はい。フィンはとても賢い子でした」
アティアンヌのすすり泣きがする中、アウリアは言った。
「フェンリンは繊細なのです。ストレスがたまると下痢もするし吐いたりするのです。そんなとき、落ち着く場所に行くのですよ。緑がたくさんある場所でおしっこするのは、フェンリンがワイドさんに、心配させたくないからなのです」
「なに言ってるのよ。猫なのに」
開き直るしかないカリナは悪態をついた。
「フェンリンはとても愛情が深いのですよ。甘えん坊なのに、自分を世話してくれる人に心配をかけまいとするのです。だからイチゴを食べるのです。調子を崩したときも、鉢の裏などにするのです。フィンはそれで隠してるつもりなのです。ほんとうにいじらしい……」
ワイドが俯いて、瞼を押さえた。
アウリアの目からも、ぽろっと涙がこぼれたが、すぐさま拭い取った。
ユリアスがすぐ隣りに来ていたから。
(ユリアスさまが手を伸ばしてくる気配がしたのですよ、危ないのです)
ひと目も憚らずスキンシップをとる無頓着な王太子だった。
変装はしていても、謎の従者に涙を拭われる侯爵令嬢と噂されては、心臓がいくつあっても足らないのだ。
ソフィアが手を挙げた。
「質問がしたいのですけど、アウリアさん、よろしいかしら?」
「ソフィアさん、どうぞ」
「フェンリンを懲らしめるためにユリの鉢を置いたままにした、というのでしょう?」
「ええ。そうです」
「それがどんな罪になりますの? フェンリンは結果的に毛繕いで花粉を舐めてしまったけれど、やり方が曖昧というか、運まかせだわ。そちらの使用人のように、罪悪感すら感じないのも恐ろしいことだけど、現実的に法的に罪に問えるかどうか」
ソフィアの言葉に何人かの令嬢が同意して、皆がアウリアの回答を待つ形になった。
それへ応えようとしたアウリアだったが、セレノールが立ち上がってアウリアの元に来た。
「老師、私に説明させてください」
セレノールはさっさとテーブルの前に出て、ソフィアへ顔を向けた。
「カリナ使用人がやろうとしたことは、未必の故意という犯罪になります。結果が発生する可能性を認識しながらも、それを容認して行動する心理状態を指す、法律における専門用語です」
みひつの故意、とソフィアはゆっくり咀嚼するように呟く。
「直接ナイフで切り裂いた、直接餌に毒を盛ったというのと異なり、立証が難しい犯罪です。しかしフィンがイチゴを食べるときにユリの花粉に触れて、毛繕いで花粉を舐めるときが訪れる。花粉に触れるのが今日か明日か、時期は不明ながら、いずれは舐めて死ぬだろうと思いながら、好物の鉢の横に危険な鉢を置く、この行為には故意、殺意が表れています。
死ぬかどうかわからないはずがありません。我が国では、ユリの花粉は抜いてから飾ります」
「パールシアの法律では、動物を殺しても大きな罪には問えませんのよ」
「稀少価値があるフェンリンは罪に問えるはずですが」
「まあ、確かに稀少動物保護法がございました」
(あら、ソフィアに試されてるのです)
セレノールも気づいて、貴族的にもっとも重要な点に触れた。
「さらに言えば、使用人は、自分が所有するフェンリンを殺したのではありません。公爵家が所有するフェンリンに手をかけたのです。これがフェンリンでなかったとしても──」
「──重罪になります。失念しておりましたわ。ありがとうございます、セレノール王子」
そのときサラが「アウリアさま」と呼びかけた。
セシルが何か言いたそうにしているというので、発言を許可すると、
「昨日の昼、私はユリの鉢を移動させました。イチゴの隣りにあるのは危ないと思って」
(動かしたものが戻された! 確定なのです!)
アウリアの顔に思わず笑みが浮かんだ。
ポーカーフェイスでいなければならない重要な局面だったが、アウリアの中で完全にピースがはまったのだった。
「ありがとうございます。わたしとアティアンヌ嬢が部屋に入ったときは、隣りに並んでいました。カリナさんは昨日お休みでしたね」
カリナは笑い出した。
「あはははは、そうよ。休みだったわ! 今日は忙しくてお嬢さまの部屋になんて行ってないわ。ねえ、私は無実なのよ! 散々人のことを」
次の瞬間だった。
「サラ!」
ユリアスの鋭い声が上がった。
それが合図だった。
サラはあるメイドに素早く駆け寄ると、彼女が悲鳴を上げる間に取り押さえた。
「痛い、やめてください!」
ケイミがサラの手から逃れようと暴れた。
彼女はアウリアにコーヒーを注いだメイドだった。
突然のことに、近くにいたセシルの悲鳴が上がり、令嬢たちが立ち上がった。
ユリアスがサラに歩み寄り、100ミリリットル程度の瓶を受け取った。
「アウリア、これだ」
「ありがとうございます」
「花瓶の水で間違いない」
「まだ持っているとは思いましたが、強引でしたね」
「オレの視覚は全方位だぞ。数百メートル先にいる蟻も見逃さない」
「くぷぷ、ダチョウですか」
(ダチョウはせいぜい40メートルですが)
ユリアスは、ケイミがコーヒーポットに瓶の中身を入れて、ポケットに戻したところを目撃した。
今叫んだのは、彼女がバラの植え込みに瓶を捨てようとしたからだった。
「そなたの推理力を警戒したのだろう」
(ああ、さっきつい笑みを浮かべてしまったのです。あれでケイミを警戒させた気がします。無意識に見たかもしれません)
「ありがとうございます。動かぬ証拠があって助かりました」
(瓶の指紋検出とか面倒くさいですから)
ケイミはサラの手を振りほどこうとしたが、騒ぎはしなかった。
これまでのアウリアの話を聞いても観念したようには見えなかったが、ふんわりした雰囲気はすっかり消えていた。落ち着いた目つきで、彼女が踏んできた場数がわかる。
(悪党って、カリナのようなわかりやすさがないのですよ)
カリナは放置プレイ状態。
アティアンヌが地団駄踏んだ。
「今度は何なのよ~!」
ニルスが素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ変人! まだ何かあるのか!?」
◆~◆
時は遡って庭園に戻る前―――
サラがこんなことを言った。
「最近羽振りのよくなったメイドがいるそうです。そのメイドは侍女長に呼び出された後、解雇の噂が流れたようです」
「解雇……」
解雇できる内容は絞られる。三大嫌疑は横領、窃盗、情報漏洩。
「その子の名前は?」
「ケイミです」
噂というからには、侍女長は証拠は得られなかったということ。念のためにケイミの勤務記録、最近の行動を調べてもらった。
◆~◆
アウリアは瓶を陽射しに透かしてみた。
瓶の中身が花瓶の水であることはわかっていたが、もう一つ確認したいことがあったのだ。
時刻はやがて18時。
まだ明るいが、陽射しは弱まっている。
「ダメだわ。ライトがないと」
ユリアスが大きな手で瓶を囲った。
「これでどうだ?」
「ありがとうございます」
繊細な魔力を出すのが苦手なはずだが、ユリアスの手が光って、瓶の中がよく見えた。
(この糸くずのような細線、光に反応したときだけ見える菌)
とっさに身体が動いて、カリナに向かって走っていた。
「カリナさん!」
「な、なに、何よ」
逃げようとするカリナの手を掴んで、爪で引っ掻き傷のできた手の甲を見た。
「手の甲を掻くのは癖なの!?」
アウリアの勢いに圧されて、カリナは腰を抜かしながら首を振った。
セシルが慌てて答えた。
「最近手が痒いと言って、手袋を渡したのですが、布が擦れるとより痒くなるようで」
思わずアウリアは呻いた。
(そういうこと。癖がないなら癖を作ればいいのです。なんて容赦のない)
「セシルさん! カリナさんの手と爪をしっかり洗って、医療用手袋をさせて。それからカリナさんだけは自分の部屋に入れないように」
セシルは何度も頷き、カリナは状況がわからないという顔でアウリアを振り仰ぐ。
アウリアは一切同情を寄せることもなく、冷たく言い放った。
「あなたは殺されるところだったのです」
「え? え!?」
カリナはサラに取り押さえられているケイミを見て、地面にぺたんと座りこんだのだった。




