52話:ブラコンとは思われたくないのです
アウリアはアティアンヌの座るテーブルへ歩み寄った。
「アティアンヌ嬢、あなたは動物の毛に触れると、痒くなったりくしゃみがでたりしますか?」
それには公爵夫人とアティアンヌが顔を見合わせた。
「なぜわかったのよ?」
――猫を飼っていたのにアレルギー?
――猫は花粉で死んだのよね?
――花瓶の水は何だったの?
ニルスが動揺した。
「アレルギーなのか? そんなこと聞いてないぞ」
「小公爵、フェンリンは、あなたがプレゼントしたのですか?」
「……そ、うだよ。珍しくフェンリンが手に入ると聞いて」
「その理由は、単純に妹さんを喜ばせたかったことと、動物が好きなワイドさんのためだったのでしょうか?」
「そうだよ! 見透かしたように話しやがって」
「いえ、妹にプレゼントをする兄はふつうですよ?」
アティアンヌが顔を赤らめた。
ニルスが顔を背ける。
(ん? どういう反応? 恥ずかしいの?)
「早く教えてよ。どうしてわかったのよ」
アティアンヌがせっついた。
(そこはどうでもいいと思うのですが)
「あなたは猫を可愛がっているというわりに、世話に関して無関心すぎました。まるで無関心であろうとしているかのように、不自然でした」
「……」
「その不自然さはあなたの部屋を見れば一目瞭然です。あなたの部屋には猫グッズが一つもなかったのです。猫じゃらしとかね。極めつけが移動カゴ。庭園に行くのに移動カゴに入れると言いました。子どものころにフェンリンを飼っていたわたしからすると、違和感しかなかったのです。窮屈なカゴをどれほど嫌うか。そのとき、ふと、あなたの格好の不自然さに気づきました。しっかり身体を覆う布、重いスカート部分。スカート部分は毛がついたら一枚外せるのではないですか?」
「きゃ」
アティアンヌは声をあげて、スカートを押さえた。
(わたしは何もしていないのです)
「あなたってほんとうに気持ち悪い。どうしてわかるのよ。隠していたのに」
(気持ち悪いは余計なのです)
「小公爵にアレルギーのこと、知られたくなかったのですね?」
「ええ、そうよ。せっかくお兄さまがくださったのに」
アティアンヌはもにょもにょした。うれしかったのよ、と。
「でも動物アレルギーで、昔は軽かったのだけど、フェンリンを飼いだしてすぐ、同じ空間にいるのがツラくなったの。アレルギー抑制剤があることは知っていたけれど、侍女から伝わるかもしれないと思って……」
アティアンヌは目を潤ませた。
さっきまで露悪的な印象だったニルスだが、どこか憑きものが落ちたようになっていた。
「なんだよ。アレルギーならそう言ってくれよ、こそこそワイドに世話を頼んだの僕だぞ。子どものころと違って、動物が嫌いになったんだと思って」
「ど、動物は好きですわ」
それはアウリアが保証した。
「ええ、鳥の水場を置くほどです。庭園に棲む野鳥でしょう。すぐ去って行くから、アレルギーがでなかったのでしょう」
「そうよ。だけど鳥かごで飼うのは無理だったわ」
そのころセレノールが一連のぐたぐだ会話に戸惑っていた。
「老師、よくわからないのですが」
「はい、なんでしょう」
「アレルギーとはいえ、どうしてアティアンヌ嬢はフェンリンに無関心でいる必要があるのですか?」
(そんなこと、本人に聞いてください)
「別に無関心だったわけでは」とアティアンヌは小声になっていく。
「殿下、それはアレです。お兄さまにもらったフェンリンを可愛がることを、お兄さまや周りに知られることを、恥ずかしく思ったからですね」
共感できる令嬢たちから笑い声が起きる。
「べ、別にそんなことないわよ」
「なに言ってるんだ」
二人は剥きになった。
しかしセレノールには今ひとつ伝わらなかった。
「思春期特有の病なのです」
「思春期の?」
「はい。お二人の場合は思春期を終えたはずですが、兄妹は難しいのです。わたしは兄からプレゼントされた財布――まあ、殿下や皆さんは使う必要のないものですが、わたしはぼろぼろになってもまだ大切にしています。今日も持ち歩いていますが、そのことはナイショにしているのです。特に、絶対に、兄には知られたくないというか、なんというか、知られたら、こいつブラコンだろうと思われそうで、気恥ずかしいというか、素直になれないのです」
ブラコンはちなみに誰にも通じなかった。
セレノールがポカンとしていた。
(やんごとなき王子さまはまだ11才。思春期の素直になれない気持ち、体験できるとよいのですが)
「脱線ついでにアティアンヌ嬢に一つ伝えますが、化粧を厚くするのは逆効果です。毛も花粉もべったりつきますよ」
「そうなの? 肌に直接つかないほうがよいと思っていたから」
(メイク担当の方は知っているはずですよ? それに毛をすぐ落とせる生地を選んでドレスをつくればよいのだし、色だって暗くする必要はないのです。毛がついたらすぐわかるようにしたいのかもしれませんが、それにしたって……)
アウリアは首をひねったが、それは本題から逸れるので口にはしなかった。
公爵夫人が結論を急がせた。
「アウリア嬢、花粉の事故ってことなのでよろしいのでしょう?」
アウリアはびっくりしたように、
「いいえ、まさか」
と言って、公爵夫人の圧をはね除けた。
(確かに事故とすれば丸くおさまりますが、そうは問屋が卸さないのです)
侍女長が一歩前に出てきた。
「アウリアお嬢さま、なぜ難しくお考えになるのでしょう。花粉の事故にすぎないことですのに」
アウリアはすっと真顔になった。
「あなたはもしこれが、人間の死体が転がっても同じように言われたのでしょうか?」
「なっ、そのようなことはございません。ですが今は――」
アウリアは侍女長を見据え、彼女が目を伏せるまで睨み続けた。
次いでサラに目配せし、サラはもう一つ、テーブルに鉢を置いた。
「アティアンヌ嬢、これに見覚えはありますか?」
「ええ、鳥の水場に置いているベリーとイチゴね」
「イチゴの鉢を持ってきました。鉢の縁に花粉がついています」
近くに座していたセレノールが見に来て、「ありますね。ユリの花粉かな」と言った。
「確認していただきありがとうございます」
セレノールに礼を述べて、アウリアは皆に視線を戻した。
「みなさん、ワイドさんがバルコニーにトイレを移したことは覚えていますか?」
令嬢たちは戸惑いながらも頷いて反応を返した。
アウリアはトイレだの排泄物だの気にせず口にするが、令嬢たちからすると、具体的なペットの世話まで考えていない。彼女たちは美しい姿のペットを愛でて撫でるだけ。
「アウリア嬢、それなのだけど」
アティアンヌがテーブルに手をついて立ち上がった。首を傾げている。
「おかしいと思っていることがあるのよ」
「はい」
「私ね、バルコニーへ出てしまうと危ないと思って、フィンの部屋には網を張っているのよ。お兄さまにフェンリンをいただいたときからずっとよ。それなのにアウリア嬢は、私の部屋のバルコニーの話ばかり。別棟においでのお母さまはともかく、侍女長も花粉の事故だというでしょう? 私だけ頭が悪いのかしらって、混乱しているのよ」
アティアンヌの戸惑いが、令嬢たちの混乱を呼んだ。
アティアンヌの言葉の意味に気づいたのは、セシルと侍女長だった。
カリナが手の甲を爪でカリカリ掻いているのが、アウリアの視界に入っていた。
「それです」
アウリアは指を立てた。
「お屋敷の構造を知らない皆さんは、フィンがアティアンヌ嬢の部屋のバルコニーの鉢で、花粉をつけたと聞いても、そういうこともあるのね、と思ったでしょう」
アイリンが、うんうん、と頷いていた。
(力一杯ありがとう。話しがいがあるのです)
「ところがこれは、ワイドさんがトイレを外に移すと決めたことで、可能になったことなのです。猫が通り抜けるように、ペットドアなる動く板をつけたのです。一方で、侍女長も他の方たちも、そのことをアティアンヌ嬢には伝えませんでした。なぜか?」
整列する使用人たち――給仕のメイド、侍女、ワイドたちがビクッとした。
アウリアは歩きながら話した。
「アティアンヌ嬢はお兄さまからプレゼントされたフィンを、傷つけまいとしてバルコニー側に網を張りました。それなのに通り抜けができるとなったら、アティアンヌ嬢はどう思われるでしょう」
アティアンヌが無意識に扇をパチンパチン鳴らした。
「公爵家のお嬢さまの意向に逆らえるはずもありません。ですから伝えることができなかったのです。トイレが部屋の中に戻されるのを恐れたのでしょう。動物が苦手な方にとって、臭いは苦痛なのです。
一方フェンリンにとっても、部屋はストレスなのです。どんなに広くても天井があり壁がある。フィンは2階フロアのバルコニーを飛んで遊び回ることで、運動不足やストレスを解消したことでしょう」
パシッ、アティアンヌの扇の動きが止まった。
彼女は今になって気づかされたのだ。自分が無関心を装いながらも命令だけは厳しかったことで、引き起こした問題を。
「さて、イチゴの鉢については、ワイドさんに伺います」
ワイドはアウリアの意を察して答えた。
「イチゴはフェンリンの好きな果実です。イチゴには胃腸を整える作用があります。侍女長に頼んで、この春からイチゴの鉢を置いていただきました」
アウリアは頷くと、侍女長へ言った。
「侍女長、イチゴの鉢とユリの鉢が並んで置かれていたことは、把握していますか?」
「……いえ」
「ユリの鉢は最近置かれたものですね。カリナさん──」
アウリアは視線は侍女長に向けたまま、
「──フィンの好物の鉢の横に、なぜ毒性の強いユリの鉢を置いたのですか?」




