51話:猫は毛繕いをするものです
「アティアンヌ嬢に訊ねます」
「え、ええ。何でも答えるわ」
アティアンヌのそういう素直さが、アウリアは好ましいと思う。
「あなたの部屋のバルコニーに置かれている鉢は、あなたが選んだのですか?」
「そこまではしないわ。カリナが来てから、彼女に任せることにしたわ」
「白い花が多かったですね」
「そうよ。さっきも話したのだけど、白い花が好きなのよ」
「ではどんな鉢が置かれているか、皆さんに教えてあげてください」
「ええ……最近はビオラ、クチナシ、オルレア……他には何かしら?」
アティアンヌはカリナに顔を向けて促した。
「それくらいかと」
と、カリナがしれっと答えるのを見て、アウリアの気持ちが絶対零度に下がった。
「もう一つ鉢がありましたよ。応えてください」
カリナは一瞬アウリアを睨みつけて、口をつぐんだ。
するとアティアンヌが思い出して言った。
「ユリよ。白い花だと、他にはもうなかったと思うわ」
アウリアは控えているサラに頷いた。
サラが地面に置いていたユリの鉢をテーブルに載せた。
ユリアスに頼んで追加で運んでもらったものだった。なくてもいいと思ったが、皆がイメージするものがバラバラだとやりにくい。
ユリの鉢は女性が一人で持ち上げるには重く立派な長方形の陶器で、これもまたエイデルン製だった。
セレノールがフォレンテ侯爵夫妻を後見人にしたのは、エイデルンの陶器や美術品を輸入していることが理由だったようだ。
ユリの近くに立つと、アウリアの鼻腔を刺激するほど強い香りが漂った。
「これはアティアンヌの部屋のバルコニーから拝借してきました。なかなか立派なユリです」
アウリアはマノンへ顔を向けた。
「ユリは最近飾られたようですが、侍女長、ユリを選んだのは侍女長でしょうか?」
「違うわ。カリナよ。花は任せているのよ」
と、アティアンヌが屈託なく答える。
「でも香りが強いでしょう? 色も形も好きだけど。次はもういらないってカリナに話したの、片付けてくれてもよかったのに」
(アティアンヌって、天然で人を追いつめるタイプかも……)
アウリアは頷きながら、視界の端でマノン侍女長とカリナの様子を確認した。
侍女長は息苦しそうにし、カリナは腹部辺りで片手の甲を片手の爪で掻きむしるようにしていた。
爪を噛む癖と同じで、ストレスや不安を感じているときに出るものだった。
それからアウリアは最初の仕上げにかかった。
後ろは振り向かずに、そこにいるだろう彼らを意識した。
「次に、フィンが倒れているところを最初に発見した方であり、最後にフィンの世話をしたであろう方にお訊ねします。──ワイドさん」
バラの植え込みの陰から、身なりを整えた小公爵と世話係のワイドが姿を見せた。
ニルスが人前に姿を見せるのは滅多にないことで、公爵夫人が狐を丸くした。それも少し嬉しそうな様子で、ニルスのもとへ歩み寄っていく。
「ニルス、まあまあ」
ニルスは夫人に会釈すると、皮肉げな顔でアウリアに言った。
「ワイドが猫殺しの犯人にされそうなのです」
(ワイドさんを犯人だなんて、決めつけていないのですが)
ワイドはアウリアが庭師だと思った中年男性だった。
帽子を手に握って、強ばった顔でアウリアを見る。
「ワイドさん、アティアンヌ嬢は知らないようですが、フィンの世話をしていたのはワイドさんですね?」
「3年前に、お屋敷で飼われ始めたときから、私がお世話をしています」
「嘘よ!」
アティアンヌが叫んだ。
その場に居合わせた侍女や使用人たちが罰悪そうにした。
誰が世話をしても構わないが、小公爵の世話係というのが、アティアンヌとの関係でまずかったらしい。
アウリアはその件は素知らぬ顔で進めた。
「生き物の世話というのは、可愛がるだけではありません。世話をしたことがない者には、爪を切ることもままなりません。また猫種の中でも魔獣化した猫フェンリンの糞尿はかなり臭いのです。独特といいますか、縄張りをアピールする意味もありますが、フェンリンは攻撃性は低いため、他の魔獣から身を守るために排泄物が臭くなったのだろうと言われています。そのためトイレは常に清潔に保たなければ、猫の部屋を開ける度に、廊下にも臭いが漏れ出るでしょう。臭気対策の薬品もありますが、薬品は慣れない人には難しいものです。だからトイレをバルコニーに出したのですね?」
「おっしゃる通りです」
ワイドの言葉にアウリアは満足し、傍聴する令嬢たちを見廻した。
(演説しているわけではないのですが)
「アティアンヌ嬢が、フィンの世話は侍女が当番ですると言われたとき、不思議に思いました。専用の世話係がいないのだろうかと。それなのに、部屋はとても清潔で、遊び道具も考えられた配置になっていました。遊び方を知っていなければ、あのような配置にはなりません。また餌置き場も見ましたが、餌の粒一つ落ちていませんでした。朝夕2回の掃除では、あのようには保てません。甘えん坊で人が好きなフェンリンは、さみしがると悪戯もします。網だってギザギザにしたでしょう。ところが傷がさほどありませんでした。アティアンヌ嬢が不在のときだけですが、ワイドさんが細やかに世話をされていたのではないでしょうか?」
ワイドはアティアンヌに遠慮しながらも答えた。
「はい。家で大切に飼われている猫は繊細です。餌一つ、体調によっては口にしませんし、よく下痢をしたり吐瀉したり。私は獣医になりたかったのですが、専門医になれる学校は少なく、独学でした。フェンリンに触れることができるのは幸運です。侍女長に頼んで、世話をさせてもらっていました」
(侍女長は、アティアンヌには教えていなかったのですね。彼が世話をしていることを)
「猫、フェンリンの習性を教えてください」
「……毛づくろいのことですか」
アウリアは頷いた。
「ワイドさんはわかっていたのですね」
「はい。黙っているべきか迷ったのですが、このような事態になっておりましたので。申し訳ありません」
「いいえ。ありがとうございます」
テーブルには、ユリアスに借りたハンカチも置いていた。
それを広げて見せる。
「ここに、わたしがフィンに触れた後、手を拭ったときに移ったものがあります。フィンの身体に黄色い花粉がついていたのです。フィンを発見したのはバラの植え込みですが、足はきれいでした。庭園を遊び回ったわけではないのでしょう。では花粉をどこでつけたのか? 足がきれいなままで花粉をつけられる場所が一つだけあります」
セシルとカリナに目を向けると、セシルがそわそわした。
「花粉は、ユリの花粉だとおっしゃっていますか?」
「はい。セシルさんはバルコニーに、このユリの鉢が置かれていたことは知っていましたよね?」
「知っていました」
「ユリの花粉の毒性については?」
「スズランよりもかなり強いです。もし、小さな動物が舐めたら、おそらく……」
そのときセシルの言葉を遮る悲鳴があった。
「やめてよ! 私が悪いとでもいうの!!」
興奮したように叫びながら、セシルとアウリアに噛みつく勢いだった。
周囲にいた使用人たちが驚き、カリナが戦慄く。
「カリナさん、わたしが続けますか? ご自分で話されますか?」
カリナの態度は、ノーだった。
「フィンの身体についていた花粉が、この鉢のユリの花粉と同じかどうかを調べるのは簡単ですよ」
口を開いたのはマノン侍女長だった。
「待ってください、アウリアお嬢さま」
マノン侍女長が力なく自白した。
「わたくしが、花瓶の水をタンクに入れました」
「マノン?」
公爵夫人が侍女長へ目を向けた。
アウリアはマノン侍女長へ歩み寄った。
「花瓶の水をあなたが入れたことはわかっています。ドレスの膝が不自然に濡れていましたから、ここです」
ドレスの膝を指差した。
「あのとき私が近づいたから、でしょうか」
「そうです。あの場所で、フィンの死因は特定していました。猫は1日に何十回となく毛繕いをします。毒性の強い花粉がついたのだと考えました。ところが猫の部屋に行くと、タンクの水が生臭かったのです。花瓶のスズランを見て混乱もしました。フィンを苦しめたのは水ではありません。あの臭いでは、これまできれいな水しか飲んでこなかったフィンは、口をつけません。そのとき、マノン侍女長の膝が濡れていることを思い出しました。異国の王子を迎える日に、侍女長がどんな事情で膝を濡らすのか、想像がつかなかったのです。タンクに急いで花瓶の水を注ぐ以外に」
アウリアは花瓶をひっくり返して見せた。ポタポタと、切り花をつたって雫が落ちるだけ。
「回収したとき、軽いことに気づきました。花瓶の水は空でした」
誰もが花瓶の滴る水に目を奪われていた。
静まり返る中で、誰かが拍手をした。ソフィアだった。
「お見事だわ。でもスズランの水は関係なくて、フェンリンを殺めたのは花粉なのね?」
そうね、そうだわ、と令嬢たちが顔を見合わせる。
公爵夫人が立ち上がり毅然と訊ねた。
「マノン侍女長、なぜそのようなことをしたのですか?」
マノンは観念したように言った。
「猫がいなくなったとの報告を受けて、その後すぐに死んだと聞いたのです。私は急いで花瓶の水を入れました」
「ですから、なぜそんなことをしたのか訊いているのです」
アウリアは公爵夫人に顔を向けた。
「公爵夫人、それは後でもよろしいですか」
「なぜかしら?」
「フィンの直接的な死因と関係がないからです。侍女長の目的は話を逸らせることなのです」
マノンの眉根がクッとよせられる。
ニルスが「はっ」と笑った。
「小公爵、何か?」
「そもそも一番悪いのはアティアンヌだろう。稀少なフェンリンを飼っているのに、遊び場にする場所に、ユリの鉢を置いていたんだぞ」
ニルスの荒げた声を聞いて、アティアンヌは少し混乱しながらニルスを見た。
「遊び場……? あの、わ、私は……」




