49話:身近なところに王太子妃候補に名がある令嬢がいました
アティアンヌがニルスの元へ歩み寄った。
「お兄さま、私のフィンが!」
ニルスは痩けた頬を妹に向けて、軽く首を回すようにした。
「フィンを最後に見たのはワイドだと言われて、連れて行かれたよ。他家のメイドがなぜか仕切っていて、今日はお茶会だろう? なんなんだよ、この騒ぎは」
彼の声は掠れているが、青い目は澄んでいて、肌は青白いとはいえ艶が悪いようにも見えない。
(なんだか、断食中のお坊さんみたいなのです)
ワイドはニルスの世話をする中年使用人だった。ニルスは庭園にいるはずの妹が部屋にいると聞いて、ここへ来たのだった。
ところが不審な動きをしていると感じたユリアスに捕まったのだ。
(当家の跡取りを泥棒猫のようにつまんできたのですね……)
アウリアが簡単に事情を説明した。
ニルスはアウリアに煙るような眼を向けて、
「あー、変人が騒ぎの元なんだな」
棘のある言い方をした。
(引っかき回されていますから)
「犯人はわかったのか」
「お茶会の後にはっきりさせます」
「へぇ」
ニルスはくっくっと喉の奥で笑った。
ユリアスも喉を鳴らすことがあるが、ニルスがするとアウリアは不快に感じた。
ユリアスは美形というだけで許される役得だ。
「フィンを殺した者がいるってことは、私に不満があるということよね?」
アウリアに回答を求めるように、アティアンヌはアウリアの腕を掴んだ。
「誰にどんな不満があるかまでは、話を聞くまではわかりません」
ニルスは気怠げに笑った。
「その会合にはぜひ僕もまぜてくれ。犯人が見つかるといいな」
と、捨て台詞を吐いて去った。
✦~✦~✦
アウリアはユリアスに証拠保全を頼んだ。
やり方はユリアスに任せて、趣旨だけ告げた。
「アティアンヌ嬢の部屋の花瓶と、猫の自動給水器のタンクを保全したいのです。誰にも手が出せないように。水を別の容器に移すことも考えたのですが、それだと犯人、もしくは疑わしい行動を取った者に、言い逃れる隙を与えそうなのです」
ユリアスは請け負った後、アウリアを猫の部屋へ誘った。
「ここだ」
と、水飲み場から五メートルほど離れた、窓際の床を指で示した。
猫が死んだ場所だということだ。
「どうしてわかるのですか?」
「口元と同じニオイが残ってる。それにフェイリンは魔獣だ。死臭が違う」
魔獣特有の死臭はユリアスにしかわからない。第三者に納得させるには、誰かが死骸を運んだことを証明する必要がある。
(まあ、他の証明ができれば後は自ずとわかるのです)
「それと、これを見ろ」
ユリアスが飾りに見えた窓の一部を押すと、パタンと動く。
猫が通り抜けるができるペットドアだった。
「アティアンヌ嬢は言わなかったのに、出られるのですね」
「単純に知らなかったのだろう。貴族がペットのことなど把握していない」
「ふぅん」
ユリアスがクスッと笑む。
「そなたは特殊だ」
「そうですね」
猫はその気になれば外に出ることができた。トイレがここに設置されている。
だが、猫が飛び移れる木や柱などがないため、出られてもバルコニーまでだろう。
そのバルコニーはというと、複数の部屋と連なっていて、猫のジャンプ力があれば、軽やかに飛び移れる距離。その先のあるのはアティアンヌの部屋だ。
「外に出ようとしたが、力尽きたのだろう」
(ここで吐いたのですね。可哀想に)
アウリアはしゃがむと、両手を合わせた。
ユリアスが不思議そうに訊ねた。
「さっきもそのようにしたな?」
「はい。こうすると安らかに眠ってくれる気がするのです」
「そうか」
それから再びサラと合流して、調べたことの報告を受けた後、追加でもう一つ依頼した。
「侍女と使用人の出身を調べてください……」
その理由も伝えると、サラはすぐに意図を飲み込んだ。
(こんな事案でなければ、探偵気取りで楽しめたのですが)
準備を終えて庭園に戻ると、お茶会は盛り上がっていた。
二手に分かれた令嬢たちが列を作っていて皆が笑っている。
アウリアは一時間以上席を離れていたが、その間、セレノールの発案で伝言ゲームをしたらしい。
ソフィアがアウリアの元に来て、「こんなお茶会は初めてよ」と言いながら、笑う目の奥でアウリアを捉える光が強く、瞬いた。
彼女はざっくばらんな伯爵令嬢だが、アウリアは少し苦手意識を抱いた。急に、というわけではないが、強いていえば深みのある緑色の目に圧を感じるから。
雰囲気は最初アイリンに似ていると思ったが、今は似ていないことがわかる。
アイリンは裏表がなくて、単純思考。わかりやすくて、人を疲れさせない。
(実はアイリンが一番わたしとは真逆なのです)
ソフィアは芯が強そうだ。サイドを軽く編み込んだ明るい人参色のストレートヘア、面長の、ふと笑みが消えたときの冷静で知的な雰囲気。
「アウリアさん」
「はい」
呼ばれて、何となく身構えた。
「私ね、王太子妃候補に残ってるのよ」
「え?」
「公平に戦ってほしいわ」
完全に虚を衝かれて、立ち尽くしたようになったアウリアに、彼女はくすくす笑って踵を返していった。
(公平に……? なぜわたしに言うのでしょうか……)
次の瞬間、後頭部に圧を感じて、ふっと後ろを振り返った。
ユリアスとサラのほうへ目を向けると、今は飴色の色気ある目をしたユリアスが、アウリアに不満そうな視線を向けている。
(な、なに? 何か怒っているのです?)
そんなユリアスを、周囲の令嬢たちが熱い視線を浴びせているのだった。
お茶会の最後には、お茶会に参加した皆が手土産に持ってきたスイーツが、ラッピングされて配られた。
(そうそう、今日は女官長がたくさん持たせてくださったのです)
アウリアは『星の花が降る小路』店の菓子を用意していたが、女官長から他の方と重なる確率が高いと言われて、エメラルド宮のシェフが急遽クッキーを作ってくれたのだ。
エメラルド宮のキッチンともなるとすべて最新式魔道具。1時間もあれば数百枚のクッキーを焼けてしまう。
しかも、王太子のシェフが作ったクッキーだとバレもしない。
なぜなら、王宮の催しには招かれる貴族令嬢はいても、ユリアスは令嬢を集めるような催しを一度も開いていなかったから。女官長曰く、王太子妃の役目でございます。
ソフィアがテーブルに戻った姿を見ながら、アウリアの胸がチクチクし始めた。
(王太后さまはわたしで妃は決まりだとおっしゃられたけど、お兄さまとレティシア嬢の電撃結婚など発表したら、お妃選定のやり直しという手順を踏むはず)
王家がドレイヴェン公爵家と婚約を進めていたときでも、他の公爵家は婚約が正式発表されるまではと、娘を候補のままにしていた。
その仕組みについてはアウリアは知らないが、正式発表が一つの区切りだった。それまでは候補に残りたい家は、王室顧問が管理していた。娘の婚期が遅れても、万が一の可能性にかけて。それほどまでに未来の国母と国王の外戚の立場は魅力的だ。
(ソフィアさんは、知っているのですよ。すでにレティシア嬢が有力候補ではなくなったことを。……宰相が秘密を漏らしたとは思わないけど、娘に、心の準備をさせるようなことは言ったかもしれない)
彼女の瞳は緑色で、血が濃くなることを避けたい王家にとって、悪い相手ではない。
アウリアは両肘をついて、両手をせわしなく絡めた。
(案外、いえ、かなり良い方だと思うのです。わたしだってついこの前も、他に相応しい候補がいないかって考えていたのです。ソフィアさんは妃になりたいようですし、わたしは自由でいたい──)
「どうなさったの?」
ぶつぶつ声が漏れていて、ロゼリーナが気味悪そうにした。
「ごめんなさい。考えごとをしていました」
「コーヒーはいかがですか?」
メイドたちが、ポットを持ってテーブルをまわった。
フリルの白エプロンに黒ドレス。定番のメイド服。
アウリアは席を外したので、紅茶やハーブティーに手をつけていなかった。
「コーヒーは珍しいわね」
メイジーが言った。
「珍しいのですか?」と、アウリアは訊ねて、メイドにコーヒーをお願いした。
「ええ、さしたる理由はないのだけど、若い子の場合は紅茶かハーブティーよ」
「あら、ミルクを配っていたから、オススメはカフェオレではなくて?」
と、ロゼリーナが言う。保温されたミルクポットも置かれていた。少し入れるというよりは、たっぷり入れてもらうための大きなポットだった。
「カフェオレが流行っているのは知っていてよ。口の中にミルクが残る感じが苦手なだけ」
二人に挟まれながら、アウリアはこの位置取りに居心地の悪さを感じた。
(どうしてわたしを挟む席にしたのでしょう)
それはもちろん、公女二人がさほど仲がよくないわけで、アティアンヌの采配だった。
メイドがテーブルに置かれていたコーヒーカップをソーサーごと取り、コーヒーを注いだ。
頭上でコーヒーのアロマが広がり、アウリアはすぅと吸い込んだ。
(ふむふむ、フォレンテ公爵家のコーヒー豆は何かなぁ……貴族街王道のコーヒー店なら間違いなく美味しいのです)
複数のギルドから取り寄せた豆を季節ごとにブレンドするこだわりだ。
コーヒーカップがテーブルに置かれ、期待してカップを手にした、次の瞬間だった。
「待て」
いつの間に背後にいたのか、ユリアスが立っていた。
(なに?)
アウリアが振り返ったとき、ユリアスが給仕からポットを取り上げたところだった。
みなが注目し、アウリアは心臓をバクバクさせながらユリアスを振り仰ぐ。
おっとりした雰囲気の少女メイドは、すっかりユリアスに萎縮している。
鋭くなったユリアスの目が、アウリアに告げた。
「中身を確認しろ」
ハッとして、コーヒーの香りをスンスンした。
(う、これは……)




