48話:猫の餌だって食べていました
雰囲気が変わったアウリアに気圧されて、アティアンヌは声を翻した。
「あなた、何を言っているのよ?」
セレノールがアティアンヌの傍らに出てきた。
「アティアンヌ嬢。アルテ老師はとてつもなく賢いのです」
(え、なに?)
「それは伺いましたわ。殿下が尊敬なさっているのでしょう」
「はい。私はデュオクロスで、盗人の濡れ衣を着せられたことがあるのです」
「まあぁ……なんて野蛮な人たちなの」
「ええ。人の心は捻れるものですから。そのとき――」
美少年の顔に薄い外面微笑が浮かぶ。
「アルテ老師が裁判で私の味方になってくださり、身を守ってくださったのです。みなさんにも聞いていただきたいほど、すばらしい経験でした。ここは、老師にお任せするのがよろしいと思います」
アティアンヌは納得はしなかったが、反論も控えた。
ただしアウリアには不快感をあらわにした。
ユリアスがアウリアに訊ねた。
「この後はどうする?」
アウリアは軽く目を虚空にそらした。
「わたしは何かすべきでしょうか?」
「ん?」
「猫ちゃんが何者かに殺されていても、わたしには関係ないと思いませんか?」
ユリアスは軽く眉を上げ、セレノールとアティアンヌが同時にアウリアに言った。
「殺されたというの!?」
「老師、問題を放置なさるのですか」
アウリアは肩をすくめさせた。
「よそさまのお宅をかき回すなど、しゃしゃり出て恨みをかいたくありません」
「ふむ、賢明な判断だ」
ユリアスはアウリアの意図がわかったように同意した。
「しかしそれではまた、このようなことが起きるのではありませんか?」
セレノールはアウリアがこの件をどう解決するか、過程に興味がある。
あっさり去られては面白くないのだった。
彼につられたようにアティアンヌが言った。
「ちょっと、気持ち悪いじゃないの。フィンを殺した者がいるなら、見つけてよ」
その言葉を待っていたアウリアだった。
「仕方ないですね。ですがアティアンヌ嬢の協力が不可欠ですよ」
「わかったわよ」
茶会のさなかのことでもあり、セレノールがホストの代役として、公爵夫人と茶会を仕切ることになった。
(皆さんも、わたしが不在のほうが、セレノール王子さまと雑談しやすいのです)
「猫はいかがいたす?」
ユリアスが訊ね、アウリアはアティアンヌに言った。
「お待たせてごめんなさい。弔いの準備を始めてくださって大丈夫です」
アティアンヌは溜息混じりに、使用人たちに指示を出した。
そのころにはサラが合流した。
サラには猫の死骸を発見した最初の人と発見時刻、最後に生きている猫を見かけた使用人を探すよう頼んだ。
アティアンヌの居住エリアは2階フロア全部だった。
3階は小公爵のエリアで、兄妹は使用する階段を分けていた。
ユリアスがエスコートをしたがるので、アウリアは手を借りて階段を歩きながら、アティアンヌに訊ねた。
「フィンの世話は自分でされましたか?」
「世話って」
「アティアンヌ嬢が実際になさった世話を教えてほしいのです」
「そんなの、撫でてあげたり、ブラッシングは、たまにしていたかしら」
(可愛がっていたのですよね? フィンとお揃い感のあるチョーカーをつけるほどに)
「担当は決まっていましたか」
「さあ、当番制じゃないかしら」
「使用人が、当番で、世話を焼くのですか?」
「そうよ。侍女にさせるわけないでしょう」
(いえ、そういう意味ではないのです。そうですか)
アウリアはこの時点でもう調べることを絞っていた。
アティアンヌの部屋は最も奥で、猫部屋は階段に近いところにあった。階段には猫が下に降りないよう扉がついている。
部屋は遊ぶのに充分すぎる広さがあり、猫タワーや砂場、爪とぎなどが置かれていた。
これまた猫が勝手に外へ出ていかないように、窓には金色の網がはめられていた。
家猫だと大人しい子も多いが、フェイリンは思いきり駆け回るタイプだ。部屋が広くても運動不足でストレスを感じていた気がする。
「外に出すことはありましたか?」
「基本的に2階フロアにいるけど、ときどきは移動カゴに入れて庭園に連れて行ったわ。とても元気で。外は好きみたいだったわ。でも今日はお茶会だし、部屋に入れていたわよ」
「部屋に入れていたのに、どうして外に出たのでしょう。どう思います?」
アティアンヌはむぅと頬を膨らませた。
「掃除のときに、ドアを開けたからじゃないの? そこまで管理していないわよ」
「掃除は毎日されますか?」
「もちろんよ。朝と夕方、2回はしてるはずよ」
「朝と夕? 今は?」
昼ですよね、とアウリアは言いたかったが、アティアンヌは少し苛立った。
「必要に応じて使用人が出入りするでしょうよ。何なのよあなたは一体」
彼女の言葉は無視して、餌置き場の台と自動給水器を確認した。
自動給水器は2リットルタンクに水を入れて、中で循環させて、猫が近づくと水が流れでる。
容器に入れっぱなしの水より、流水を好むためそうなっている。
アウリアは器を手に取り、臭いを嗅いだ。
(ん? ……わたしの嗅覚だと微妙だけど)
アティアンヌが軽く引いていた。
「何なさってるの?」
「見ての通りです」
アウリアはタンクの蓋を開けて、中の水に指をつけて舐めた。
ユリアスがビクッとして、アウリアの手を掴む。
(ふふ、鼻が効くので水の混ぜ物がわかったようです)
「大丈夫です」
アティアンヌはますますドン引きした。
「猫の水なのに」
「猫の水は特別ですか?」
「え?」
「使う水を別に用意するのですか?」
「知らないわよ。でも猫用の水として用意したものだから」
(人間が飲む水と同じものを与えているはずなのに)
「わたしも子どものころフェイリンを飼っていたのです」
「あら、そうなのね」
「何でも自分でしたかったので、与える餌も自分で食べて研究しました」
「は?」
「なんだと?」
ユリアスとアティアンヌが唖然とした。
アウリアは構わず、アティアンヌに訊ねた。
「フィンが死ぬ前に、小動物の死骸が見つかったことはありますか?」
アティアンヌは目を見開かせた。
「あるわ。どうしてわかったのよ?」
ユリアスが、ほぅ、とアウリアを見る。
「生き物を殺すのは難しいのです。もしわたしの狙いが最初から猫なら、他の小動物で実験をしたでしょう」
「な、何を言ってるのよあなたは、じ、実験てなんなのよ!」
「鳴き声の小さな、心理的負担の小さい生き物で試すのです。ところが――――」
「と、ところが、なによ?」
「快楽で殺し始めたのなら、動物殺しは続きます」
するとアティアンヌは青ざめて、アウリアにピタッとくっついた。
「怖くなったじゃないの。そうよ。小鳥が死んでいたの。バルコニーに鳥の水場を置いているのよ。でも先週、一羽死んでいるのを見つけてしまって」
(バードバスね……)
「こっちよ!」
と、怖さを振り払うような声をだして、アティアンヌがアウリアを引っ張った。
ユリアスは待ってもらうことにしたが、
「その辺にいる」
と言って、廊下を歩き始めた。
(何かニオイを探ってるのですよ。ふふ、大きな警察犬)
彼女の部屋は居間と寝室と勉強部屋の三室にわかれていた。
貴族令嬢らしい、白と淡いブルーの花柄で統一された壁やクリスタルのシャンデリアが二つ。
厚化粧や派手なドレスからは想像を裏切る、実に品の良い内装だった。
独特の色彩がエキゾチックなエイデルン製花瓶に、スズランが飾られていた。
(ふぅん……公爵家に、貴族街では売られていないスズラン)
バルコニーに出ると、観葉植物や白い花を中心とした鉢が飾られていて、バードバスの石水盤が二つ、妖精や動物の彫刻に彩られていた。小鳥が突きやすそうなラズベリーやイチゴも置いている。
(まあ、この春イチゴはフェンリンの好物なのです。食べ過ぎはダメですけどね)
「スズランは誰が飾ったのですか?」
「使用人よ。私は初めて見る花だったのだけど、気が利く者がいるのよ。ときどき私好みの花を飾ってくれるのよ」
「白い花が好きですか?」
「なによ、あなたって鋭いのね」
(バルコニーに白っぽい花が多かったからですよ)
「あなたもスズランを知ってるのね。あんなにかわいいのに、貴族街では扱わないそうよ」
「デュオクロスではよく見かけます」
「ふぅん、デュオクロスって山の中よね? 行ったこともないわ」
貴族はデュオクロスに用がないから、一生足を運ばない人がほとんどだ。
それでも大賢者や老師に意見を求める者や、大図書館に行く本好きやパレス上級職員は、デュオクロスのメインストリートくらいは知っている。
「ところで──」
これは猫の死とは関係なかったが、
「──清楚でかわいい花が好きなのに、ドレスや髪型は派手なのですね」
アウリアが言ったとたん、アティアンヌは虚を衝かれた顔で笑った。
ドリル束ヘアはアティアンヌに似合ってはいるが、今の流行りとは違う。
「あなたって失礼ね。派手なのはお母さまよ」
「そうですか? とても着こなしが素敵だと思います。少なくともアティアンヌ嬢よりはご自分に似合うものをご存じでいらっしゃいます」
「まあ、ほんとうに、失礼な人ね」
と言いながら、アティアンヌは笑い出した。
はっきり指摘されたのがおかしくて、怒る気も失せたのだ。
「ねえ、何かわかったの?」
「ええ、いろいろと。後はアティアンヌ嬢を担当する侍女と使用人に話を伺えたら」
「それは構わないけど、その半分は庭園にいるわよ。お茶会の後でいいわよね?」
「そうですね。では――」
(証拠保全です)
アティアンヌがビクッとして、アウリアに手を伸ばした。
「どうしたのですか?」
「誰かが話を聞いていたわ」
アウリアは身を翻して、部屋から飛び出て行った。
ユリアスがひょろっとした男の腕を掴んで、引きずっていた。
青白い顔色をして、長いカーディガンのような衣を羽織っている。
(病人?)
「お兄さま!」
アティアンヌが部屋から出てきて、甲高い声を出した。
(え! この方が小公爵?)
フォレンテ公爵家が養子に迎えたニルス、24才。
アティアンヌという実子がいても、その前に爵位を継ぐために養子にされた彼は、法的に正当な跡継ぎだった。




