43話:記憶が刺激されました
メイジーがアウリアとピオニーを椅子へ促した。
「今日はハープの勉強会だったの」
そうでしたか、とアウリアは申し訳なさそうにした。
「わたしがお邪魔してしまったのですね。申し訳ありません」
「いいのよ。昔あなたに聴いてもらった曲は、神殿の曲だったから。ちょうどよいと思ったのよ」
「神殿の曲?」
「メイジーさん」
と、ユディットが口角上げて微笑む。
「正確に教えて差し上げませんと。民の間で歌われていたものや、忘れられていた音楽を発掘して、再現する試みが行われています。メイジー嬢が演奏されたのはその一つ。神殿の曲は、一般的には典礼音楽でございますからね」
「私はそれをひっくるめて、神殿の曲と呼ぶのよ」
メイジーは肩をすくめさせた。
ソフィアが、「大雑把すぎるわ」と笑った。
面白そうな試みに、アウリアは興味を持った。
「こちらの勉強会で、古い曲を再現しようとなさってるのですか?」
「いえ。メイジーさんは特別ですから」
「特別?」
「すばらしい才能がおありですし、アクリアス公爵夫妻は、神殿の祭祀儀礼を支援してくださっています。特別に研究成果を共有しております」
(ふぅーん、そういうつながりなのですね。ということは、寄附をたくさんしないと、古い曲を学ぶことはできないと。わかりますわかります。研究にはお金がかかるのです)
「私はハープを習っているはずなのに、まだ楽器に触れてもいないのよ」
と、ソフィアが恨めしそうにユディットを見るので、アウリアはびっくりした。
「ハープが手に入らないのですか?」
「まあ、アウリアさんたら面白いことおっしゃるのね。そうではないの。音楽の基本は歌だと仰って、私は音痴なのに、レッスンでは歌わされるのよ」
雑談が続くため、アウリアはテーブルに用意されたスイーツをピオニーに取り分けた。
メイジーもソフィアもピオニーが気になるのか、無意識にチラチラ視線を向ける。
それが不快なのか、ピオニーがアウリアの膝の上に乗って抱きつくと、アウリアを見上げた。
(ひゃあ、かわいい。……でも、うん。確かに、ユリアスさまの面影があるような。いえ、クリソツレベルかも)
「リィ、イショ」
(ふふ、外だと甘えてくれるのです)
「うん。一緒に聴こうね」
メイジーが立ち上がって、ハープのほうへ移動した。
「ごめんなさい。演奏を聴きたくていらしてくださったのに」
パールシアハープは4オクターブの音域で、低音から中音域。
ハープは貴族階級の楽器で、古い時代の吟遊詩人は小型の弦楽器を担いで国々を渡り歩いた。
「ハープ以外の楽器でも再現演奏されたりするのですか?」
アウリアはユディットに訊ねた。
「ええ。もちろんでございます。ただ、典礼音楽でも、ハープが増えましたかしら。アウリアさんもぜひ、神殿にお越しになってください。神殿の中で響くハープは大変荘厳で美しいのですよ」
(ハープを、神殿にね。最高神官の貴族趣味が反映しているようです)
メイジーが絃の調整を終えて、「始めますわ」と告げた。
「曲名は何かしら?」
ソフィアが訊ね、メイジーが応えた。
「『祝福』よ。でもタイトルは失われていたようだから、後でつけられたみたい。久しぶりに弾くわ」
流れてきたハープの音色は想像より低く、ゆったりしていた。
アウリアは両腕の中にピオニーを閉じ込めるようにして、目を閉じた。
最初はただ美しい音色だという思いしかなかった。
ところがしばらく耳を傾けていると、ところどころ知っているフレーズだと思い始めた。
一つのメロディを、複数のパートが追いかける。
知っていると思った。それもよく知っていて、昔、ヴァイオリンで弾いたことがあると思い、手が動いたのだった。
(カノン……)
ピクリ、と胸の奥で心臓が跳ねた。
頭の中に、前世の彼女の人生が流れ込んできた。
生命維持装置を外された男性に縋って泣いている女性。
凍結タンク室に入り、凍結保存された精子を持ち出す女性。
顕微鏡受精。受精卵観察。研究室をうろうろ動き回る白衣の女性。
泣きながら蹲る女性。
裁判所の証言台に立つ女性。
アウリアが前世の記憶に目覚めたのは、メイジーのハープ演奏を聴いたときだった。
パールシアに存在しないはずの曲、知っていると思った瞬間に、恋人を亡くしたことや、彼の精子で子どもを作ろうとした日々が蘇ったのだった。周囲にバレて裁判になり、精子が破棄された後、彼女はある研究機関からスカウトを受けた。そこへ渡った後の記憶が途絶えているから、若くして亡くなったのだろう。
高校の弦楽部で知り合った彼とは、同じ医学の道へ進んだ。
ただ、奏でられる曲の懐かしさに、アウリアは思いが溢れ出すのだった。
――帰りたい
――会いたい
アウリア自身の気持ちではない。前世の彼女の心の欠片が、完全に消えたわけではない彼女の思いが、不意を突いて暴れ出す。
ハラハラと涙がこぼれ落ちていった。
ペチペチ頬を叩くピオニーの小さな手の感触に、アウリアはとっさにピオニーに顔を埋めさせた。
「リィ、イタイイタイ?」
「ん……ん……」
演奏後、アウリアが涙を流したことよりも、レンズが濡れても眼鏡を外さないことに、周りが軽く引いた。
ソフィアが代表する形で訊ねた。
「それほどまでにおイヤなのですか?」
「ええ。眼鏡を人前で外すことに慣れていないのです」
理解はされなかった。
ユディットは感心したように言った。
「『祝福』を聴いて大泣きした少女がいると、メイジー嬢から伺ってはいましたけれど、驚きました。信じてはおりませんでしたの」
「いやだわ。ほんとうのことだと教えて差し上げたのに」
メイジーはアウリアの元に来て、嬉しそうにした。
「やっぱりあなただけだわ。私の演奏を聴いて泣いてくださるなんて」
「ええ、とても素敵な演奏でした。ありがとう。メイジー嬢」
その後、メイジーは6曲演奏してくれたが、知っている曲はなかった。
帰りの馬車の中で、アウリアはピオニーに訊ねた。
「ハープはどうだった?」
ピオニーは何度か首を傾げ、サラが言った。
「端から見ていましたが、あれは寝ていました。最近目を開けたまま寝る特技を会得したようです」
「え!」
ピオニーを見ると、小さく欠伸した。
「じっとしているのは退屈だったかな」
「今はクリスタルを叩いて遊ぶのがお似合いです」
「あははは」
それにはアウリアも笑って同意した。




