31話:選択肢が二つありました
深夜――
アウリアは夢を見た。
それは物心がつくかつかないころの、幼いころの記憶だった。
アウリアは両親に渡された眼鏡を素直にかける日と、断固拒否して投げつける日の極端な二面性を見せて、乳母を手こずらせていた。
金の目の色を隠すため使用人は最小限、代々アルテ侯爵家に仕える由緒正しい家柄の年配者で揃えられ、直接アウリアに触れていいのは乳母ひとりとされた。
両親は領地運営に忙しく、貴族学校へ通う兄が王都から転移で戻ってくるときだけが、アウリアには心安まるときだった。
アウリアが5歳の初夏だった。
アルテ領の森に、陛下がお忍びで狩りに来ることになった。
国王は狩りが得意で、王家直轄領の森はもちろん、各領地の狩り場を巡ることを楽しみにしていた。
アウリアは奥の館に引っ込んでいたが、庭園で得意の木登りに失敗して、枝にしがみついたまま乳母を呼んだのだった。眼鏡をかけない気難しいヴァージョンのときだ。
国王とともに狩りにきていた王子が、アウリアの声を聞きつけて駆けつけたのだった。
「とんだお転婆だな」
木の下で笑うと、両手を伸ばしてきた。
声変わりもまだの9歳の少年だった。
アウリアは太い枝にしがみついたまま、少年の姿に衝撃を受けた。
精霊のように光り輝いていたので、すぐには人間の少年だと認識できなかった。
白金のさらさらした髪を額に落とし、銀の眼帯が左眼を覆っていた。
魔力結界がない場所では、眼帯で魔力を抑制することを知らなかった。
ぽけえとなりながら、神秘的なエメラルド色に吸い込まれて、きれいだと思った。
「ほら、飛び込め」と王子は促した。
「受けとめてやるから」
自信たっぷりの笑顔に勇気を得て、恐る恐る枝から手を離して、王子の腕の中に飛び込んだ。
「怪我はないか?」
抱き留められながら心配そうに訊ねる声や、優しい眼差しに、急に泣きたくなって王子にしがみついた。
「お転婆は卒業だな」
「うん!」
アウリアの袖が破れて、腕に擦り傷ができていた。
王子は自分のスカーフを外して巻くと、器用に可愛らしいリボンを作った。
「かわいい、上手」
アウリアが言うと、王子は声を潜めて言った。
「……母上の、髪のリボンを結んだことがあった。一度だけな、ナイショだぞ」
アウリアが幼かったから話したのだろう。
その母が誰のことか、アウリアが知るのはもっと先のことだった。
そのときはただ王子の美しさと優しさに、胸をときめかせた。
王子はアウリアの靴が片方脱げているのに気づくと、おんぶをして、兄の元まで運んでくれた。
兄が仰天した。
彼が去るとき、アウリアはドレスをつまんで膝を曲げて会釈した。
王子は目元をくしゃっとさせて、「上手だ」と褒めて、アウリアの頭を撫でていった。
アウリアはずっと思い出したこともない記憶だった。
アウリア自身では空白の記憶は存在しないと思っているが、ときどき不意をついて現れる思い出があったのだ。
おそらくその思い出のアウリアは、前世の彼女の意識が強く表に出ていたのだ。
この思い出には続きがあった。
アウリアは国王に謁見していたのだった。
国王は金の目のことを知っていて、アルテ侯爵夫妻に狩りという名目で来訪するゆえ、娘と対面させるよう命じたのだった。デビュタント前の貴族に、国王が自ら会うのは異例のことだった。
当時国王アロンシスは29歳。
アロンシスはユリアスのように目の覚めるような美貌ではないが、華やいだ色気があり、雄々しいエメラルディアの覇王に相応しい風格が備わっていた。
髪は長く明るい金色で、瞳の色はユリアスのエメラルドと異なり翡翠に近かった。
アロンシウスは幼いアウリアの顎に指を引っかけた。
「本物の金の瞳だな。コレは王家に差し出せ」
それに腹を立てたのが、気難しいヴァージョンのアウリアだった。
パシッと陛下の手を振り払い、
「わたくしはペットではありません!」
と、怒りに満ちた顔で叫んだのだった。
その場にいた誰もが青ざめるなか、アロンシウスは驚いた顔でアウリアを見た。
「なんと気性の荒い娘だ。誰に似たのだ?」
アロンシウスは暴君ではなかったが、一流の嫌みで侯爵夫妻を悲しませた。
父ルミエルは争いを好まない穏やかな人で、母アマリナはきっぱりした性格であっても気性は荒くない。
ふたりの容姿どころか性格も引き継がないとなれば、いったいこの娘はどこから来たのだと、手痛い言葉を浴びせたのだ。
アウリアは憤慨して、両親を庇うように立ちはだかった。
「心配していただかなくても、わたくしはアルテ侯爵ルミエルとアマリナの子。母のお胎の中で、兄の下手くそな歌も聴いていましたし、父がめろめろに話しかけてくる言葉も聞いていました」
国王は目を丸くして幼女の言葉を聞き、大人げなかったと一旦身を引いた。
そこからはふたりだけの会話だった。
「よいかアウリア。そなたの心意気に免じて、目の色を理由にそなたを不当に扱うことはしない。国王が誓ってやろう」
「パールシアの誰にも手出しさせぬようにしてください」
「なんと、隙がないの」
「身を守るためです」
「よし。誓ってやろう」
周囲は国王が譲歩したことに驚き、騒然となった。
「そなたも誓いを立てよ。眼鏡でも何でも良い。その目の色がバレるようなことがあってはならぬ」
「はい」
「万が一バレるようなことがあれば、そなたが取るべき行動は二つに一つ」
「はい」
「王家に嫁ぐか、命を絶つか」
陛下は幼女に容赦のない言葉を投げ、アウリアは小さい唇を震わせた後、涙目になりながら頷いた。
「絶対にバレません」
「その言葉、信じるぞ。国王アロンシウスとアルテ侯爵が娘アウリア、我らふたりの約束だ」
アウリアは瞼を押し開くと、けだるげに身体を起こした。
お腹の上からチビ竜がずり落ちていく。
「まあ……どおりで寝苦しいはずなのです」
「すーぴーすーぴー」
ずり落とされても、白金のキラキラしたお腹を出して寝ている。
(そういえばこの子、大魔道士の攻撃を受けたとき、大きくなって庇ってくれたのです)
「ありがとね、ピオニー」
かわいらしい姿に癒やされたのに、手のひらが涙に濡れていく。
はぁ、と息を吐き、身体を丸め込む。
夢の中の幼い自分の堂々とした振る舞いには、感覚のズレがあった。
(前世の彼女の意識があったのですね。わたしはあそこまで強気に話せる気がしないのです)
国王との謁見の場に、少年王子が同席したかどうか、アウリアは覚えていなかった。
だが、国王の考えは初めからアルテ家に示されていた。
貴族家に金の目をもつ娘が生まれ、王家は囲いたい。
(わたしが抵抗したことで、陛下の考えに色がついた。でも、一生バレないなんてことはないのです。兄もそれがわかっているから、わたしに縁談を持ち込まないのです)
仮に結婚できたとして、夫や夫の家族にバレたらどうなるか。
国王が与えた選択肢は二つだけ。王家に嫁ぐか、死ぬか。
王家法によると国王、王太子、王子の結婚相手の資格は、貴族、初婚かつ処女。
一度他家に嫁いだ場合、残る選択は一つ。
潔い自死。
くしゃ。
アウリアは両手で髪を掴むと、くしゃくちゃにかきやった。
(考えるのです。陛下は金の目の利用価値を把握していらっしゃった。わたしのぼやっとした想像と違って、具体的に、懸念していることもおありだった。でも隠せるなら、わたしに手を出さないと約束してくださった。ということは……陛下にとってわたしを抱え込むことは諸刃の剣だったのです。放置もできないからわたしの顔を確認したら、思ったよりキンキラ金の瞳だったから、これはまずいと思われた。それでも年ごろの王子と、婚約という形で整えることまではしなかった。囲いたい気持ちとブレーキが混在した謁見だったのです。
それなのに――)
――そなたを妃に迎える
ユリアスのあっさりした言葉。
アウリアの身体がガタガタ震え出した。
身体の芯から冷えていて、氷に閉じ込められているような感覚に陥っていた。
(ユリアスさまはどこまで陛下の真意をご存じなのでしょうか。陛下はわたしが王太子の妃候補として名乗りを上げることを、お許しになるでしょうか?)
大きなベッドの上を移動して、両足を床に下ろした。
天蓋をめくると、閉め忘れたらしいカーテンから月明かりが差し込み、青い絨毯の敷き詰めた寝室に、幻想的な光が散っていた。
「きれい……」
月を見ようと窓を開け放つと、木々が夜風に揺れて、心地よい風が入ってくる。
王都は学問街の山の中と違って、昼と夜の寒暖差が小さい。
春から夏へ移ろう季節。
アウリアは室内履きを履くと、窓に足をかけて外へ出た。
ふかふかの芝生の上に寝転がると、星空が広がっていた。デュオクロスでモグラさんと歩きながら見た星空のようで、アウリアは泣きたくなった。
(モグラさんのままなら良かったのに)
たまに現れるモグラさんにときめいて、そのうち恋に発展して、手紙を書いたり観劇に誘ったりして。
(少し、ううん、ときめいていたのですよ。恋をしてみたかったのです。……ふつうの恋が。そのうちお兄さまに、もっさりしてるけど優しい人なのだと紹介したりして)
両手で顔を覆うと、目尻に涙が流れていった。
パサパサとピオニーが飛んでくる気配がして、軽く手を挙げた。
「キュゥ?」
お腹の上にピオニーがべたっと張りついた。
「起こしちゃった?」
「キュゥゥゥゥ」
ピオニーを抱きしめると、とても温かかった。




