3話:オレの家に住めと言われました
寮の退出が明日に迫ったその日、アウリアは管理棟の窓口にいた。
「何とか、仕事が見つかるまで、寮に住まわせていただけないでしょうか」
外聞も憚らずに掛け合っていた。
―――またやってる
―――どうして侯爵家に戻らないの?
―――家出だってきいたぞ
エントランスで、学生たちが眉をひそめたりクスクス笑ったりしている。
侯爵の反対を押し切って門を叩いた10歳のとき、大賢者がアウリアの後見人になった。
儀式をクリアした者はデュオクロスの学徒として扱われ、成人前の子どもは大賢者の後見を受けることができたのだ。
しかし卒業すれば解消される。
寮を出されたら今度こそ本当に流浪の貴族令嬢が誕生する。
焦っていると、背後から声がした。
「流浪の娘」
「――!」
モグラさんの声だった。
が―――
(こんなに品のある声でしたでしょうか??)
もっさりした見た目の印象のせいで気がつかなかったが、あらためて聞くと、艶があって、上品な発音は侯爵の兄を思わせる高位貴族のそれと同じ。
貴族階級が話す言葉には特有のアクセントやイントネーションがある。
そのため王国では誰もが無意識に、自分たちと同じ階級か否かを嗅ぎ分けている。
(モグラさんはひょっとして、貴族でしょうか?)
そう思っても、口に出して訊ねはしない。
デュオクロスの建前は身分性別年齢関係なく、だ。
アウリアの場合は家出少女として悪目立ちしたため、貴族だってよ、と知れ渡っただけで、通常は身分を明かさない。ただし雇用関係となると身分証を出すことになる。
モグラさんは窓口に紙を出すと、アウリアに「来い」と告げた。
学問街の暮らしも長い。アウリアも平民言葉を使うようになったし、ぞんざいな扱いをされることにも慣れていた。それは喜ぶことなのかどうかは別の問題だが。
「何かご用ですか」
「仕事をやろう」
「まあ!」
思わず喜ぶも、すぐに怪訝な思いがした。
(同情でしょうか。それとも仕事を少しさせて、社会の厳しさを教えてやるとかいう話ででしょうか)
アウリアは眼鏡の内側で、じとっとした目を向けた。
「同情するなら仕事をくれ――」
「は?」
「――とは思いますけど、短期のお仕事はお断りします」
「交渉できる立場か」
「探しているのは長期で働けるところなのです。すぐに部屋を借りなければ、あああモノホン流浪の娘なのですよ」
一瞬、モグラさんが首をひねりかける。
が、気を取り直して言う。
「流浪の心配はない。オレの家に住め」
「な!?」
アウリアは反射的に飛び退いた。
「……オレのですって!?」
両手でがっと身体を掻き抱く。
モグラさんが冷ややかになる。
「何を勘違いしてる」
「ではどういうつもりなのです?」
「暁ノ塔を唸らせた、その頭脳を借りたい」
「あら……」
「仕事プラス衣食住の保証付きだ。借りてる家だ。女性の同居人をつける。侍女として扱え」
モグラさんの様子は真剣そのもの。
アウリアはだが警戒を残しつつ言った。
「とってもありがたいお話ですが、なぜそこまでしてくれるのですか? 侯爵の兄に、何か見返りを求めるつもりですか?」
「侯爵ではない」
モグラさんは間髪をいれず言った。
「きみの頭脳を使う対価だ。最年少で暁ノ塔に入り、落第も発狂もすることなく首席で卒業した人間を抱え込もうというのだ。貴族街に屋敷を用意してもいいほどだ」
(ああ……ええ、そうなのですよ)
アウリアは頬を赤らめた。
こうも正当な扱いを受けることに慣れていなかった。
流浪の貴族令嬢などと馬鹿にされてしまって。
(感覚が麻痺していたのですよ。ふふふ、モグラさんは道理がわかる人です)
アウリアは胸を張る思いで、仕事内容を訊ねた。
「詳しいことはサラ・クールに聞いてくれ」
「サラさんが秘書なのですね」
「そうだ」
「わかりました。お会いします。どこに行けばよろしいですか」
「そうだな」
男は場所までは決めていなかった顔だったが、長くは考えなかった。
「図書館のカフェで待ってろ。サラが勝手に声をかける」
(はいはい。わたしの顔は知られているようですからね)
管理棟を出てクリスタル広場を横切っていると、突風が吹きつけて、アウリアの長い金髪を巻き上げた。
ゴムで軽く一つに束ねただけだった。就活する先もなくなったため、気合い入れて整えなかったせいだ。
「きゃっ……すごい風」
アウリアは髪を押さえながら空を仰ぐようにした。
澄み渡る青空に大きな影ができて、アウリアはハッと目を見開かせた。
(空飛ぶトカゲ? ──いいえ、ここは)
まさか……
「竜!? 竜です!?」
アウリアはびっくりして、モグラさんに同意を求めた。
彼も空を仰いでいた。
「そうだな」
「初めて見ました!」
竜は絶滅危惧種。
一生目にすることなく生涯を終える人間の方が多い。
(いきなり衣食住が保証されたり、竜まで見たり)
「何か引き寄せていますよ。運が向いてきました」
「変な物まで引き寄せるなよ」
「は……」
太陽を横切っていくように見える竜の姿に見とれるアウリアに、モグラさんが呆れる。
「口が開いてる」
「きゃ……失礼しました」
アウリアは恥ずかしくなった。
(さすがに口を開けた姿を見られたくはなかったのです)
「モグラさんは、竜を見たことがあったのですか?」
「……なぜだ?」
「落ち着いているから」
「はしゃぐこともでないだろう」
「そうでしょうか。風だってすごかったのです。ちょっと不思議な現象にも思いますが」
「ん? どこがだ?」
「え?」
当たり前のように受け入れるモグラさんに、アウリアのほうがびっくりした。
竜の大きさは公表されていないが、今アウリアが視界に捉えた大きさは小型機程度か、それ以下と推測できる。
空を横切った竜が6、7メートルだとして、翼を揺らしたところで地上に突風を起こせるだろうか?
あの突風が春一番的なものではないことは、十年住んでいるアウリアには分かっている。広場に突風が起きたのは、間違いなく竜が横切ったからだ。
(理屈に合わないのです。目視できる程度の上空から、地上に突風を起こす?)
「ひょっとして、竜が意識的に風を起こしたのでしょうか。広場を狙って?」
アウリアの考察が口から漏れた。
モグラさんはアウリアを見下ろし、アウリアは答えを求めるように彼を見た。
モグラさんの眼鏡が翳って、奥の瞳は見えなかった。
彼は軽く空を仰いで言った。
「考えすぎだ」
「そうですか?」
(竜が特別な力を持っていることは絵本で擦り込まれる。だから考えすぎじゃないと思うのですが。
「――あ」
「なんだ?」
「いえ」
(モグラさんも漢字だと土竜なのです。ふふ)




