22話:手つなぎデートですかそうですか
噴水に虹ができていた。
ユリアスはそれへ手を伸ばしかけて、ふと水盤の縁に目を落とす。
アウリアもつられて目を向けて、ふふ、と笑みが洩れた。
水盤を歩くカタツムリがいた。
ユリアスが殻を掴み、「こいつ、剥がれまいとする」と笑う。
「今かじっているところなのでは?」
「かじる? 水盤を?」
木が生い茂る葉の裏などに生息するカタツムリは一方で、カルシウムを好む。
「この子の殻は大理石と同じ成分なのです。カルシウムを欲して、貝殻もかじるのですよ」
「面白い。ということは、歯があるのだな?」
「はい。種によって異なりますが、数百から数万個」
「おぉ、全身歯でできているようだな」
ユリアスは驚き、ひっくり返す。
彼の手にある小さなカタツムリの殻を見て、アウリアはびっくりした。
「殿下、左巻きですよ! コレは珍しいです」
「ん? そうなのか?」
「ここは蛇が多いですか?」
「お、よくわかるな。完全に駆除はしたが、蛇が生息していたことがわかってな」
「ふふーん。カタツムリの多くは右巻きなのです。でも右利きの蛇は右利きのカタツムリを捕獲しやすので、左向きに進化したカタツムリが現れました。殻の向きが逆だと蛇が食べられないそうです」
「ほぅ」
「カタツムリは種類がすごく多いので、(前世の日本では800種類もいた)わたしも詳しくは知りませんが、ある種のカタツムリでは、左巻きの個体が一定の頻度で現れます。しかもですよ、右巻きと左巻きは交尾ができません!」
ユリアスは声をあげて笑った。
カタツムリを戻して、噴水で手を洗った。
アウリアはハンカチを差し出したが、「拭いてくれ」と言われて、笑いながら濡れた手を取った。
(まあ、戦場に出ていたはずなのに、すごくきれいです。肌がしっとり。美肌ですね)
アウリアが感心して撫で撫でしたので、ユリアスが笑った。
「くすぐったい」
「ご自分で拭かないから。さすが王太子さまは違うのです」
はい、終わりとアウリアが手を離すと、ユリアスは再びカタツムリへ視線を落としながら訊ねた。
「――で、なぜ交尾ができぬ?」
「生殖器の位置が異なるからです。きっとここは左巻きカタツムリの縄張りなのです」
「親切だな」
「親切?」
アウリアはユリアスを振り仰ぐ。
「適合するかどうか明らかだ。無駄に繁殖を試みて、子が生まれぬことを落胆することもあるまい」
ユリアスは少し疲れているように感じた。国王が王太子の結婚を待ち侘びているという。
「遺伝子は生き残りをかけて戦っているのです」
「遺伝子とは何だ?」
「親から子へ。先祖から子孫へ引き継がれる情報です。目の色、髪の色、かかりやすい病、身体能力など。それはでも全部が次の個体に引き継がれるわけではないのです。遺伝子を持っていても発現するかどうかは、自分では決められません」
ユリアスが思いついた顔で訊ねた。
「それは、魔力紋の個体情報のことか?」
「はい、そうですね。個体情報のことです」
魔力紋とは生き物の体や脳がどう作られるかという情報そのものだった。いわばDNAだ。
魔力紋も同じで、親から子へ引き継がれる生物学的な特徴が刻まれる。こちらでは遺伝子のことを固体情報と呼ぶ。
親から引き継ぐものだけで人が生まれるのではなく、生まれに応じた神の祝福があると考えるためだ。
魔塔は約300年程前からパールシア国民の魔力検査を始め、同時に魔力紋の研究に着手したが、解析と解読について公表したことはない。
そのうえ――
「デュオクロスでは魔力紋の研究は禁じられています。魔塔の領域なので、わたしは〈魔力の型〉なる言葉も、治癒魔道士に接した知り合いから聞くまで、知りませんでした」
(魔力の型は、血液型のような感覚で存在するらしいのですよ。それを医学ノ塔と共有しないなんて、ありえないのです。血液型も知らないまま輸血しますかっていうのです)
そのことを思うと、アウリアは腹が立って仕方がない。
「ふむ。本来なら魔力紋の研究内容は、医学ノ塔と共有すべき知識だ」
あっさりユリアスが言うので、アウリアは不満をぶつけた。
「それがわかっていながら、どうして王家は手を打ってくださらないのですか?」
「大賢者デュオクロス9世と大魔道士の取り決めだ。デュオクロスは自ら魔力紋の研究を放棄した」
「そんな! ありえないのですよ」
「何を言っている?」
驚いたのはユリアスのほうだった。
「魔塔デュオクロス宣誓だぞ」
(宣誓? 何の話ですか?)
「学生は知らぬこともあるだろうが、そなたが知らぬのは解せぬぞ」
アウリアは動揺した。
「え、あの……ひょっとして? 老師会に加入していないから?」
ユリアスの表情が翳った。険しい方向へ。
「まさか、嫌がらせで教えてもらえなかったのではないだろうな?」
「・・・」
ありえたので、アウリアは無言になった。
図らずも図星をついたかっこうのユリアスは、アウリアの機嫌を損ねたのではないかと、「冗談だ」と真面目な顔でフォローした。
「教えておこう。その宣誓において、デュオクロス学界は魔力紋の研究を放棄し、魔塔はデュオクロス大図書館の利用を放棄した。理由は、互いの領域、棲み分けをして効率を図るというものだったぞ」
思わず、ポカーンとしたアウリアだった。
ユリアスは苦笑した。
「気持ちはわかる」
「わかってくれるのなら、何も申しません」
とはいえ、胸の中のもやもうは続く。
(専門の細分化はわかるのですよ、でもふつうは協定を結んで互いの知識を共有し、協力して研究を進めるものです。魔道士や人間の考え方は異なる点も多そうですし、それでこそ多様性が生まれるのですよ。こんな○ソみたいな宣言のせいで、デュオクロスは必要な知識まで学べなくなったのですか。大賢者9世さんは頭が悪かったのですか? それとも魔塔の回し者? デュオクロスを弱体化したいのですか!?)
アウリアはハッとした。
(魔塔から賄賂とか!?)
「後で愚痴を聞いてやるから、竜の加護について話そうか」
(くぅぅ、慰められているのです)
悔しがったものの、ハッとアウリアはおのれの態度を顧みる。
王太子の前で失礼が多いことに今さら気づいたのだ。
落ち着きを取り戻して、澄ました顔に戻した。
「竜の加護に話していただけるのですね」
「ああ。期待した話にはならないが」
アウリアは頷いた。
「わかっておろうが、竜の加護については王家の秘密だ。正しく言うなら、国王と国王になる者の間で引き継がれる口伝だった。それが今は途絶えている」
アウリアは目を瞠った。
ユリアスがあっさり明かしたからだ。
口伝だと、途中で文言が変わる可能性がある。
(人の記憶はあてにならないのです。伝言ゲームで遊べばわかりそうですけど)
それでも文字に記せば他の者に知られる可能性があって、王家はそれを危惧したのだ。
「口伝が途絶えたことで、竜の加護が正しくわからない、ということが問題なのですね?」
「そうだ。一つわかっているのは、魔力が強大だということだ。ただしオレのように、生まれるときからというのは珍しいと聞いた。それゆえオレは竜の血が濃いと言われるのだ」
「なるほどです。でも殿下は、ただ魔力が強大なだけで竜の加護と呼ばれているのではない、と思っていらっしゃるのですね」
「ユリアス」
突然、ユリアスが遮った。
(ん? 自分で自分の名を言ってるのです?)
「モグラさんと呼んでいたくせに、殿下では調子が狂う」
(ユリアスと名で呼べと? ひぇええ、それは厚かましいのです)
「いえ、王太子殿下とわかったからには」
アウリアは一歩も二歩も下がろうとしたが、ユリアスはその手を掴んだ。
「ひっ」
「なんだ」
ユリアスが呆れ、エメラルドの美しい瞳を薄くした。
「……え、あの」
「殿下と呼んでおけば不敬にならぬと思っているようだな」
(ギク)
「そもそも呼び方以外、モグラさんと同じ扱いをされている」
(そんなことはないはずですが、モグラがイケメンに覚醒したようなお姿を拝見していても、声がモグラさんなので落ち着くのです)
「わかりました。モグラさんでいきます」
「デュオクロスではそれでいいが、ここではダメだ」
「は~い」
呼び方一つ言いあっているふたりのことを、木立の陰から覗き見する王太子付き筆頭補佐官レンの姿があった。
15分の時間をとっくに過ぎていたため、呼びに来たのだった。
が、思いがけず仲睦まじい雰囲気に驚き、さっと身を潜めたのだった。
「何をイチャイチャと。手つなぎデートですか、ふたりの世界ですか、そうですか」
ずかずか割って入るのは簡単だが、なぜかアウリアの言葉――人の恋路を邪魔するやつはのアレが脳裏を過って、タイミングを逸している。
一方、厳格厳粛な話し合いのために使用される〈我らを正す者〉の部屋では、ティータイムになってしまった顧問たちがいた。
「今日は予定があったのですが、キャンセルしたほうがよさそうですね」
マルティナ伯がフルーツタルトを摘まみながら言えば、ネルラント老伯がロールケーキにフォークを入れて、ニヤニヤする。
「殿下のあのお姿を見たかえ? アウリア嬢をいたく気に入っておられたのぅ」
「それはまずいのではないか」
と、アルディ伯が顔をしかめる。
「ふぅむ。公爵連合が大騒ぎになるであろうな」
ラピディオール老侯が言い、サーストン侯は目を細めながら顎を撫でたのだった。




