20話:殿下の恋路の邪魔をする意図はございません
顧問たちがそっと息を呑んだとき、扉が開いた。
「王太子殿下がおみえになります」
さっと全員が立ち上がる。
サーストン侯も杖を使って立ち上がる。
アウリアはハラハラしたが、それが彼の矜持であった。
重鎮らが頭を下げると同時に、アウリアもドレスをつまんで膝を曲げた。
扉から風が吹き抜けたようだった。
(すごい……殿下がお越しになった瞬間、空気が一変したのです)
実は真正面の席は空席になっていて、王太子がおみえになるので空けていたのだと、今アウリアも気づいた。
部屋は広いが、声が届く範囲とあって、距離が近い。
(デビュタント前なのに、王太子殿下に拝謁するなんて……)
「みなさんお顔を上げてください」
(この声って、オヴィディウス伯のレンさま?)
アルテ領の隣がオヴィディウス領だった。一年に何度かは貴族街の屋敷に顔を出す必要があり、そのときエンピツの件で、小伯にアウリアが説明したことがあったのだ。
エンピツはアウリアが兄に作ってと頼んだもので、レンが本人に話を聞きたいと言ったのだ。オヴィディウス領の学校でも配布している。
顔を上げて、アウリアはやっぱりと頷く。
褐色の髪を組紐で編み込む独特のスタイルは、伝統的な装いの一つだった。
(竜の尻尾とか呼ぶのですよ。鱗柄に見えますしね)
そのとき、正面の壁がざーっと動いた。
国王と王太子が<我らを正す者>に臨席するときは、王家の紋章を掲げるのが習わしで、壁に彫刻された紋章が浮き上がったのだった。
紋章の前に、王太子殿下が現れて着座した。
その姿はまさに竜のような存在感で、風で、火で、光で、水で、といった元素そのものの気配を帯びて圧倒的だった。
(ほんとうに、竜の子孫なのでしょうか?)
さらっとした白金髪の間から除く強烈な意思を秘めた黒炎のような双眸がアウリアを捉えた。
(あ……)
王太子がアウリアの金の目を見ているのがわかった。
何を思っているのかわからない。
人間かどうかもわからないよう人は、人の思考を停止させてしまうのだと、アウリアは初めて知った。
落ち着くと、王太子殿下の顔の輪郭が見えてきて、ハッとするほど美しいエメラルドの瞳に目を奪われたのだった。
(……ピオニーみたい)
アウリアは辛うじて立っていたが、「アルテ侯爵代理」とレンの声がして、我に返った。
顧問たちはすでに着座していた。
「続けよ」
王太子が短く命じた。
あくまでもこれは王室顧問とアウリアの――本来は王室顧問調査部の仕切りだったが、王太子が主導するわけではなかった。
マルティナ伯が言った。
「では先ほどの続きから伺いましょう。アウリア嬢が申したことにして」
アウリアはほっと胸を撫で下ろした。
金の目に触れなかったから。
ここはさすがの王室顧問と言ったところだろう。
ひとりラピディオール老侯は金の目が気になって仕方がないようで、アウリアの顔を食い入るように見ていた。先に、先にと言いたい気持ちが駄々もれだったが、最後は諦めてどっしり構え直したのだった。
(あのですね……正面に王太子殿下って、どんな拷問なのです?)
顔を上げれば正面だし、右翼左翼に顔を向けたら不敬な気もして、少々落ち着かない。
(あ、そうだ、ピオニーピオニー)
ここはもう、目の前にイケメンピオニーがいると思うことにした。
「恐れながら、わたくしは先ほど殿下の婚姻相手として、ドレイヴェン公爵家のレティシア嬢に絞られた件について、ある意見を述べました。それはレティシア嬢しか、王太子殿下のお子を身ごもることができないと、王家が考えているというものです」
王太子がピクリと反応した。
(物言いがストレートでしたでしょうか)
ラピディオール老侯が言い添えた。
「殿下、その考えに至った理由をアウリア嬢から、伺うところでありました。アルテ侯とレティシア嬢の行方云々など聞いたとて、時間の無駄でございましてな」
王太子が頷く。
「くだらぬことを聞くつもりはない。アルテ侯の妹は老師。兄がおこした騒動について、無策で望むはずがなかろう」
王太子殿下の声が、さっきの一言よりはっきりとアウリアの耳に届いた。
(ん? ん?)
もちろん気の抜けた感じはまったくないが、品のある声の性質やイントネーションが、アウリアの知る男性と同じだったのだ。
脳裏に過る顔に動揺し、戸惑った。
(モグラさんモグラさんモグラさん……大事なことなので、3回唱えてから落ち着いてみました。違いますよ、違うのです、声のそっくりさん。この世には三人、声だけ似すぎる人がいるのです。だって、さすがに、ないのです、ははは──それより、殿下の突然参加の意図がわかってよかったのです。わたしのことを知った上で、何か言えるのなら言ってみろ、というわけですよ。でもお兄さまの行方など尋問しないわけで、駆け落ちの真の目的を言ってみろ、二人の命乞いをしてみろというようなことで、進めよ、と解釈するのです)
アウリアは殿下に顔を向けて言った。
「殿下、恐れながら、先に申し上げておきたいことがあるのです」
「かまわぬ。いくらでも聞こう」
(調査官相手と進め方を変えなければならないのです。予定では、二人は駆け落ちではありませんわ、実は……と、レティシア嬢の危機感をお伝えする導入だったのですよ。ですが、殿下の場合は──)
「──では申し上げます」
軽くお腹に力を込める。
「人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえ!」
「は?(アルディ伯)」
「ひぃッ(筆頭補佐官)」
「ふふ(ネルラント老伯)」
「へっ?(マルティナ伯)」
「ほぅ?(ラピディオール老侯・サーストン侯)」
「・・・(王太子)」
間抜けな反応は「はひふへほ」だと、兄が言っていたことを思い出したアウリアだった。
「あるいは犬に喰われて死んじまえ、マムシに当たって死ね、などと言い換えられることもありますが、まずもって申し上げたいのは、わたくしに、殿下の恋路を邪魔する意図は一切ございません! が、しかし、邪魔することになるのです!」
その場にいた全員が戸惑っているうちに、『殿下の恋路』に虚を衝かれて、二度面食らうはめになっていた。
王太子は複雑そうな眼差しになり、ゆっくりと前のめりになった。
「どういう意味だ?」
「わたくしは社交界にはとんと縁がございませんが、それでも友人のひとりはいますし、友人から殿下とレティシア嬢の間には、ロマンスの欠片も色気の欠片もないことも聞き及んでいます。ところが殿下はレティシア嬢がお好きなのです。アプローチもなさらないのでは、鈍感なレシティア嬢に伝わるはずもございません」
王太子の反応は無。怒るそぶりも見せず、脳内でアウリアの言葉を咀嚼している様子だった。
(さすがに迂闊な反応は見せませんね。お見事なのです)
顧問たちは我先にと何か言おうとしたが、顔を見合わせて、ここは最高顧問サーストン侯が口を開く。
「その、だね、一体、何を言っているのかな?」
「はい。パールシア王国はエメラルディアの覇権国。伴侶に国や大貴族の財力政治力を必要としないほど、王家も盤石です。それは三百年遡って、国王さまの結婚を調べれば明らかです。何と、9割が恋愛なのです! 驚きました。つまり殿下もレティシア嬢がお好きでいらっしゃることがわかるのです。そうでなければ、レティシア嬢しかいないなどと思われないはずです」
「待て」
王太子が軽く手を挙げて、アウリアを制した。
レンなどはポカンとしている。
「いや、続けよ」
王太子は手を下げ、アウリアは頷いた。
「はい、ここで問題なのは、レティシア嬢が命の危機を感じていることです」
顧問たちは罰悪そうにした。
(ああ、知っていたのですね。やはり)
「竜の加護を持つ王子については、過去の王室の歴史を紐解けば明らかでした。389年前にも竜の加護持ちの王子が、さらに893年前にもそのような記録がありました。公表された情報には、竜の加護持ちの王女の記録はありません。
しかし竜の加護持ちの王子のお妃は、いずれも出産直後に亡くなっています。公爵家の方々が、その事実を知らないはずがありません。口伝もありましょう。
また、調べれば誰にでもわかることなのです。ただしこうした記録は古語で記すことが習わしで。古語を書いたり読めたりできるのは、学者と専門官だけです。兄はこの事実を知ったと思います」
アウリアの話が終わるのを待ちかねたように、ネルラント老伯が挙手した。
「ネルラント老伯、どうぞ」
マルティナ伯が促した。
「アウリア嬢や、ええ、こなた先ほど、殿下の恋路を邪魔することになると申したの」
「はい」
「恋路で済むなら良いのじゃ。ことは世継ぎの問題なのじゃ。こなたも知っておろう。魔力の高い令嬢はレティシア嬢だけじゃ。此度は出産直後に死ぬことはなかろうと、期待しておるよ。まあ、そうはいってものぉ、彼女の心が決まるのを待ってやりたいのも本心じゃ。我らコレクトレスの総意じゃと思うてたもれ」
「ドレイヴェン公爵夫妻も、娘の気持ちが固まるのを待っておられる」
サーストン侯が気の毒そうに言った。
顧問たちはみな、殿下の恋と考えられてはたまらぬと、いくらか表情を硬くしている。




