16話:モグラさんが尊くて困ります
青い空。
のどかに浮かぶ雲。
テラスを彩るやわらかな木漏れ日。
それは樹木の枝葉のすき間から差し込む陽の光。
風に揺らめき、葉の重なりで変化する光の粒が、まだら模様を作る。
コーヒーカップに口をつけるモグラさんの上品な姿が――土竜色なのに、木漏れ日の濃淡で三割増しの輝き。
(こうしてモグラさんをあらためて見ると……ええ、どうしよう。尊いのです。土竜色の太縁ダサ丸眼鏡をかけたお顔が……)
ひぃぃぃ。
と、内心叫んだアウリアだったが、ふと違和感を覚えた。
彼の髪が美しい白金の輝きにきらめて見える。
(……黒髪でしたよね? 目の色は?)
こうして見ているのに、この瞬間も顔の輪郭や眼鏡の奥の目がはっきり認識できない。
レンズは透明なのに、目の虹彩が特定できないのだ。
(わたしの眼鏡がおかしいのでしょうか)
魔道具の眼鏡だから、不具合が生じた可能性は否めない。
(でも、そういえば、モグラさんて、声や仕草の印象しか残らない方なのですよ)
凝視すると、モグラさんが不思議そうにアウリアを見つめ返すので、アウリアは慌てて目をそらす羽目になる。
(うぅぅぅ、尊い~と叫びたくなるのはなぜなのです!?)
彼の前では夢中になってイチゴタルトを頬張るチビ竜が、金色の鱗をキラキラさせている。
(う、まぶしいのです)
「落ち着いたか?」
「え、はい。5つも、ケーキやタルトをいただきました。やけ食いです」
「そうか」
彼は喉の奥でクッと笑う。
(サラが言っていたのです。彼の眼鏡は変装道具だと。当たり前ではないですかと。デュオクロスは、貴族が素顔で歩く場所ではないと思われているのですね。これが現実なのですね)
アウリアは気を取り直して、ドレイヴェン小公爵が乗り込んできた経緯について話した。
そして兄からも国を出るというメッセージは受け取ったが、駆け落ちではないという見解も話した。
「駆け落ちではない根拠はなんだ? 妹の勘というのは聞かぬぞ」
「兄からもう一つメッセージを受け取っているのです。まだ誰にも話していません」
「見せてみろ」
観念していたので、メッセージカードは用意していた。
彼の前にすっと差し出した。
「下の面を見てください。黒く色をつけたところがあります」
「これは見たことがないが? 文字か?」
「はい。わたしと兄の間で使っている文字です。他の人も理解しません。それなのに兄はわたしにさえ、暗号で書いて、さらに擦らないと文字が浮き上がらないようにしたのです」
「何重にも警戒したわけだ」
「兄の場合、遊び心も働いたはずです。単純に、わたしへの挑戦状だと思うのです」
「ふぅん、挑戦状か」
モグラさんはこの状況を面白がっていた。
表情には出さなくても、人がわくわくする雰囲気というのは伝わるもので、アウリアはもう開き直ったのだ。
(そりゃ、他人事なのです。面白いと思うのですよ。流行の小説は王子や王女との身分差ロマンスですけど、竜の加護を授かる王太子を振って国外へ逃げるお妃候補なんて、ハラハラドキドキ、一気に読破ですよ)
「アルテ侯とそなたの距離感がわからぬな」
「ぷっ」
「なんだ?」
(そなた。ふふ、言い直したりしなかったり)
気を付けていても、話し方の癖はでてしまうもの。
(この方、侯爵令嬢に対する二人称がそなたってことは、四大公爵家あたりの方かもしれません。貴族年鑑くらいめくっておくのでした)
「秘密の文字でやりとりするほどの仲かと思えば、公爵が学問街に顔を出した話はついぞ聞かぬ」
と言って、モグラさんは思い出す。
「いや、一度あったな」
「ええ。わたしの学生裁判のときです。でもあれ以降、兄は自分の訪問がわたしにマイナスになると感じたようです」
「ふぅん」
「でも、兄妹としては仲がよいと思います。離れていればこそ、かもしれません。妹が何を学んでいるか、どんな論文を発表したか、兄はすべて把握していましたし、わたしの報告を心待ちにしてくれていました。
わたしが躓いたときも、兄から丁寧な助言が届きました」
「それはすごい。そなたに助言ができるとはな」
「兄は物事の本質を素早く捉えて、規則性を見いだすのが得意なのです。助言もわかりやすくて、つい頼りたくなるのを我慢します」
「そういう面はあるな」
「……(あら)」
アウリアはそっとモグラさんを上目遣いした。
(兄のことを知っているのでしょうか? 社交界に出入りしていれば、おかしくもないのですが)
「魔道通信器は使わなかったのか?」
貴族家には魔道通信器がある。必須の魔道具だ。
「はい。学問街の学生は平民がほとんどです。通信器で実家に甘えられる学生はいません。わたしも同じ条件で暮らしたいと思いましたし、兄もそれは理解していました」
(それは建前ですけどね)
兄の声を聞いたら、ホームシックになりそうだったから、送ってほしいとは頼まなかった。手紙の文字を読むだけでも、寂しさが募ることもあったのだから。
「話を戻そう。ここには何て書いてある?」
モグラさんはカードに隠されていた文字を指で示した。
アウリアは頷くと、一気に告げた。
「彼女の命はおまえに託す」
すーぴー、すーぴー。
ピオニーの寝息が横たわる。
「彼女の命はおまえに託す―――か。
ふむ。そなたはどう考える?」
アウリアは話が長くなることを伝えて、見解を述べた。
「前提として、アルテ侯は公女の命に危機感を抱いています。
ではどんな危機感を抱いているか、あるいは抱くに至ったか。
それを考えます。
ところで、人の命を守るという一点に絞ったとき、もっとも信頼のおける人に保護を求めるのが筋です。この場合ドレイヴェン公爵家の方々ですが、家族や家門一族がみな仲良しで、互いを思いやっていると考えるのは危険です。
実際、公女は家を出るという選択をとりました。
さらに、国まで出るという選択をとりました。
つまり、彼女に脅威を与えるものが、家や国家にあるのです。
さて、ここで登場するのがアルテ侯です。
アルテ侯と公女は急接近したようです、仮に、そこに恋心が芽生えたとて、アルテ侯は140万のアルテ領民の領主。王太子殿下のお妃候補の女性と手と手を取り合ってさよなら~、は考えられません。公女が誰かに命を狙われていたとしても、国外へ出る選択は悪手です。根本的な解決には至らないばかりか、国内に残した人々の反応が過剰になるからです。
女性の視点に立てば、特定の身内以外の異性一人に頼るのは悪手です。
公女は公爵家の生まれであり、王太子さまの妃候補になったからには、異性との関わりを最小限に慎むことが求められます。
ところが社交界では、公女は恋多き女性と言われているようです。
その言動は誰が見ても明らかで、王太子さまとの結婚を望んでいないという主張なのです。
彼女の意志を考慮したのか、理由はわかりませんが、実際婚約に至っていません。
ですが、ドレイヴェン公爵家と王家、ひいては国家の中枢の方々は、この婚約を望んでいるのでしょう。
なぜ公女は結婚を望まないのか。
なぜ最終手段ともいえる国を出る行動に踏み切ったのか。
推察するに、誰も彼女の言葉に耳を傾けなかったのだと思います。
いえ、意見は聞かれたかもしれません。でもその上で、結婚は既定路線、時間の問題になっていきました。
公女は追いつめられたのですよ。
ここまで行動で示せば、王家も考え直してくれるかもしれないと、切実に願っているかもしれません。
一方で、王家や国の中枢部の方々が、この騒動を潰してなかったことにする恐れも感じているはずです。
いずれにせよ、二人は見つかります。
わたしは二人が連れ戻された後、二人が生き残る道筋をつけなければなりません。
それが兄の依頼であり、おまえならできるよね、という兄からの挑戦状だと思う由縁です」
モグラさんは黙って聞いた。
アウリアは水差しの水をグラスに注ぐと、軽く煽った。
ふぅ。
「面白い」
「はい?」
「アルテ侯は、妹の能力があれば、解決できると考えたわけだ」
「はい。そうです」
「お?」
アウリアのきっぱりした物言いに、彼の顔が期待に満ちてきらめいた。
(うっ……この方の突然発光するキラキラ感はなんなのです?)
「わたしが持つ知識の中に解決策があると考えたからこそ、わたしに丸投げしたのですよ。学校を卒業しましたし、兄から見れば、わたしは暇人です」
モグラさんはくすっと笑った。
「暇人なのか?」
「むぅ」
とはいえ、モグラさんは真面目な顔になった。
「考えはわかったが、そなたは肝心なところに触れていない」
「はい。ドレイヴェン公女の命の危機とは具体的に何か、ですね」
「そうだ」
「そうなのです。特定できないと、わたしの知識のどれが役に立つのかわかりません。なので、兄の手紙を読み返すところから始めようと、モグラ邸に戻って来たのです」
「公女と親しくなったのは最近なのだろう? 過去の手紙にヒントがあるのか?」
「そればかりは、わからないとしか言えないのです。でも丸投げするからには、わたしが気づけるはずだという確信があるはずで、そうでないと困るのですよ~」
モグラさんは不思議そうにした。
「そんなことをしなくても、王室顧問調査部に、公女が妃候補になった理由を聞けばよいのではないか?」
(それはそうなのですけど……王太子さまのお妃候補なのですよ。おいそれと聞けるわけがないのですよ。わたしはデビュタントも延ばしているのですから、叱られるのがオチ)
「釣り合いからすると、ピッタリですけど」
「ふぅん……」
モグラさんは少し不満そうにした。
「そう思いませんか?」
「さあな」
(あれれ? ひょっとして)
アウリアはじっと下から彼を見つめた。
(レティシア嬢に懸想しているのです? だからお兄さまと公女のロマンスが気になって、それで忙しい合間を縫って、わたしに状況を探りに来た!? まあ。まあ……そういうことだったのですね。はぁ……そうですか……)
アウリアは思考がぐだぐたになっていたが、態度にはおくびにもださなかった。
「王室顧問調査部に聞けるなら聞きたいです。公爵家は四家ありますから、レティシア嬢に絞った決定打がほしいところこです」
「どの公爵家も、王太子の結婚が決まるまでは望みをもって、婚約者を持たせないそうだが」
「うわぁ……」
(王太子妃になれば次期王妃。公爵家の水面下の熾烈な争いが目に浮かぶのです)
「それでも王家が求めるのは、ドレイヴェン公女なのですね?」
「そういうことだ」
「はっきりしたいのですが、公爵家の家格ではない?」
「そうだな」
(王太子さまもレティシア嬢が好きなのでしょうか? 王太子なのだから、公爵家なら誰を選んでもよさそうですしね)
アウリアは立ち上がると、両手を組んで背伸びした。
「うーん、少し歩きます」
「付き合おう」
目を覚ましたチビ竜ピオニーが、当然のようにモグラさんの肩に止まった。
「くぅ、裏切り者」
「きゅっきゅるぅ⤴」
「もうおやつをあげません」
アウリアは大人げなく、ぷいっと顔を背けた。
すると、チビ竜は慌てたそぶりで、びゅぅん、アウリアの肩に移ったのだった。
「キュ、キュウ」
「怖いな」
モグラさんがぼそっと言う。
ふふふ。
肩にしがみつくチビ竜の頭を撫でながら、アウリアはハッとした。
「魔力!」
足を止めると、モグラさんが振り返る。
アウリアは言った。
「ドレイヴェン公女は魔力持ちです。兄もそうなのですが、小公爵が、二人が気が合ったのは魔力持ち同士だからだ、とか怒鳴っていたのです」
(単純なことだった。王太子は強大な魔力を持っている。他の公女たちには魔力がなく、レティシア嬢だけ魔力があるから、王太子の妃候補一択になったのだとしたら)
モグラさんの反応は鈍かった。
「同意、しないですか?」
「一つ指摘すると」
「はい」
「王太子の魔力は強大だ」
モグラさんの周りに風が吹いていた。
木の葉が舞い、チビ竜がアウリアの肩から離れた。
アウリアは何となく息を呑んだ。
「王太子さまは生まれながらにして強大な魔力をお持ちで、竜の加護をも授かったと聞いています」
モグラさんが頷く。
「そんな王太子が、伴侶の魔力をあてにする必要があるのか?」
「……あ!」
(王太子さまからすれば微々たる魔力。今さら王太子も王家も、下級魔道士程度の魔力を取り込む理由がないのです。だとすると――――」
彼は微笑むと、軽く手を振った。
「モグラさん」
ハッとしたときにはもう、彼の姿はなかった。
アウリアは何となく眼鏡を外し、彼が消えた空間をひとしきり見つめた。
その頭の中では多数のピースから、必要なものだけが組み合わさり、一つの絵が完成したのだった。




