14話:暗号文は挑戦状でした
✦~✦応接間✦~✦
アレンヴィクはたんぽぽギルドのコーヒーには手をつけず、無駄なく話を始めた。
「私が報せを受けたのは昼ごろだ。こちらの経緯を話しておこう」
「はい、お伺いします」
5月4日の午後、レティシアは5区の神殿へ、世話になった巫女の病気見舞いに出かけた。奉仕活動も兼ねて神殿に泊まり、6日には戻る予定だった。
が、神殿を出る時間になっても護衛と合流せず、宿泊部屋から書き置きが発見された。
『愛する方と国を出ます』というようなもので、相手の名前はなかったが、周囲の噂からアルテ侯爵だと考えた。
そのときアレンヴィクは軍事宮に詰めていて、公爵夫妻はすぐには伝えなかった。
公爵だけで対応にあたったが、捜索が長引くと判断し、小公爵の耳にも入れたところ、この騒ぎへとつながったのだった。
「小公爵さま、失礼ながらこのように騒ぎを大きくされて、外部に知られてもかまわないのでしょうか」
半ば呆れていたので、アウリアは思わず言った。
「なんだと!?」
「私兵を他家の屋敷に向けたのです、あっという間に貴族街で噂になるのですよ」
「それは」
アレンヴィクは気がつかなかったとでもいうのだろうか。意表を衝かれた顔をみせた。
(え……まさかのただの単細胞ですか)
「まだ駆け落ちかもわかりませんのに、慎重に行動なさってください」
アレンヴィクは一瞬アウリアに呑まれたが、すぐにふんぞり返った。
「駆け落ちでなければなんだというのだ! 国を出ると書かれていたのだぞ」
「わたしは駆け落ちだと思っていません」
「なぜだ?」
アウリアは小公爵に自分と兄の話をした。
「兄アルテ侯は、前侯爵夫妻が亡くなってより、若干17にして爵位を継いで領地を切り盛りし、数々の困難や災難に見舞われながらも、幼いわたくしの父となり母となりて、育ててくれました」
「育てるも何も、貴様は平民の街で暮らしていたではないか」
(貴様ですって!? 単細胞め)
「精神的な支柱としてです。それに平民の街ではありません。デュオクロス特別自治区、通称学問街です」
「ふん」
「その兄が、学問しか取り柄のないわたくしに家を任せて、駆け落ちすることは、決してありません。腐っても鯛、貧乏でも高位貴族、わたくしが家を継げばハイエナの餌食。貴公の家門と違って、当家は侯爵の兄が断罪されれば、爵位返上も迫られかねません。失う物が貴家の比ではございません。
わたくしはレティシアさまのことは噂でしか存じませんが、兄上でいらっしゃる小公爵さまは、剣を嫌うたんぽぽ好きの、草食男子アルテ侯爵が、猛……公爵令嬢と恋仲であると、ほんとうに思われるのですか?」
(危なかったのです。猛禽女子と言いそうになります)
「よく口の回る女だな」
アレンヴィクはおしゃべり女に辟易しながら言った。
「アルテ侯は魔力持ちだ」
(まあ、秘密がバレています。さすが公爵家。調査能力に優れているのですよ)
魔力保有者は国民の1パーセント未満。
稀少な存在ゆえに時に迫害され、時に利用されてきた人たち。歴史から学んだ現在、魔力持ちは自己防衛として、おのれが魔力持ちであることを明かすことはない。
ちなみにアウリアの魔力レベルは10段階の1未満。その点においてはしっかり凡人である。
「魔力持ちと駆け落ちの因果関係がわかりません」
「妹も魔力持ちだ。それも下級魔道士と渡り合えるほどの強い魔力がある。扱いにも優れた能力を発揮する」
「だから何なのでしょうか?」
「魔力持ち同士、意気投合したんだろう! 他に何がある!」
アレンヴィクは眉や頬をヒクヒクさせ、アウリアを忌々しげに睨みつけた。
匿っているなら出せ!
匿っていません。
裏で協力しているだろう!
していません。
話は堂々巡り。
アウリアは行き先など心当たりすらなく、ドレイヴェン公爵家のほうが、秘密の隠れ家を多数保有している。
「捜索隊を出した。隣国にも派遣する」
(すごい財力なのです。私兵も唸るほどおもちなのですよ)
「連絡が来たら、隠し立てはするな。よいな!」
彼は執拗に念を押した後、私兵とともに引き揚げていった。
アウリアは礼儀上見送りに出たが、前庭の馬糞の量に仰天した。
(もう! 馬糞を持ち帰れと言えばよかったです!)
騒々しいアレンヴィク一行が去った後、本邸からアルテ侯爵の側近、ルイス・オーヴェルが到着した。
ルイスはアルテ家門分家オーヴェル子爵家の次男で、29歳。
褐色の髪に若白髪が目立つ童顔で、見た目はちょっぴり頼りなさげの彼だが、執務能力は兄が絶賛する片腕。
ふたりは幼なじみでもあり、兄が結婚するまでは自分もしないと言って、婚約者を待たせている。7才差とはいえ頃合いだ。
「申し訳ございません」
ルイスはアウリアの顔を見るなり土下座した。
この土下座は、アウリアが子どものころルイスと喧嘩して、
「土下座して謝って!」
と言ったことに端を発して、本邸では最上級の謝罪スタイルとして広まったもの。
(作法ではないのですけど)
喧嘩の内容は忘れたが、ルイスの骨の髄まで染みこんでいる。
「お兄さまのロマンスの噂って、ほんとう?」
「わかりません!」
「そうよね……」
ルイスは真面目だが女心には疎く、そもそも関心がない。兄が命じるまで婚約者に花も贈ったことがなかった。
「兄が家を出た経緯、わかるところまで教えて」
ルイスの後ろに控えていた兄の従者兼護衛コヴァが、顔を青ざめさせていた。ルイスと同じように土下座して、手前に剣を置く。長かった自慢の赤髪が、バッサリ切られて、首あたりにひゅるるる、風の音が聞こえてきそうだった。
土下座断髪丸刈り。
この辺りは幼いアウリアの前世の言葉がもたらしたもので、アルテ領の兵士は何かあると断髪する。
(侯爵令嬢って、怖いのですよ……道理もわからないときの言葉なのに、周囲が過剰に反応してしまうのです。前世の彼女の日記にあったのです。迂闊に何も言えないって……)
たぶん前世の彼女は好戦的な性格だったのだろう。
「アウリアさま、申し訳もございません。侯爵さまとはぐれたのは5日の夕方でした。一人でなければならないんだよと言われ、転移装置を使われたので、私は追いかけることができませんでした。しかし転送先はこちらの王都邸でございます。こちらで何かあったのだろうと思い、お戻りを待ちましたが、今日まで何らかの連絡もなく、ルイスに報告しました。……どうか私の首を斬り落としてくださいませ! お気の済むように甚振ってくださいませ!」
「コヴァ、落ち着いて」
自分より動揺している人間を見ると、冷静になる法則。
アウリアはふぅと息をした。
時系列的には、レティシアと一致した。
5日に神殿に向かったレティシアと神殿付近で合流するつもりなら、二人は近くで落ち合う拠点を持ったはず。
そこに兄が一足先に到着。
(わたしへのメッセージを出したのもそのとき。王都内から郵便を出せば、デュオクロス便は充実しているから、わたしは翌日6日には受け取りが可能。レティシアは6日には公爵家へ戻る予定だったから、兄は自分が出るころに、わたしがそれを知るようにタイミングを合わせた)
「でも不思議よね」
アウリアは窓際に立ち、日が沈んだ侯爵邸の庭を眺めた。
部屋にはルイス、コヴァ、サラ、ピオニー、執事が控えている。
「不思議とは?」
ルイスが訊ねた。
「わたしにわざわざ郵便でメッセージを出した理由です。手紙ならルイスに預けておけばいい。事態が明らかになれば、ルイスはその手紙をもって、わたしに会いに来るのだから」
「アウリアさまなら、すぐに追いかけて先回りすると思われたとか?」
「なぜ?」
するとルイスが咳払いして、
「わたくしは絶対に領地に戻らないのですよ!――」
と変声で言う。
(それは誰なのです?)
「――とアウリアさまは思われていますから、何が何でも侯爵さまを捕まえて連れ戻す必要があります」
「それだと、お兄さまは国を出たくないみたいなのです」
「半々ではないでしょうか」
(お兄さまが禁断の恋と領地への責務で揺れ動いて、妹を試す?)
アウリアは判断がつきかねた。
「もう一度、メッセージを読み直すことにします。封筒に他に入っていたのを見落としたかもしれません。学問街に戻ります」
アウリアの決定に、執事とルイスが驚いた。
「あちらへ行かれるのですか!」
「メッセージカードは部屋にありますし」
「しかし! アウリアさま、夕食の準備も整えております」
執事が言えば、ルイスもアウリアを逃がすまいと言った。
「そのカードをこちらにお持ちください!」
(むむ……モグラ邸のほうが気楽なのですよ)
屋敷に泊まると、使用人たちが張り切ってしまって、アウリアは一瞬たりとも一人にさせてもらえなくなる。お風呂さえ使用人たちに囲まれながらで気が休まらない。ベッドに入る瞬間まで人の気配がする。
「リィ、アル」
ピオニーがアウリアのもとに駆けよった。
「え? あるの?」
ピオニーがモグラ邸から持参した郵便の封筒を差し出した。
「リィ、ワスレタ」
(そういえば、鞄に入れるつもりで、テーブルに置いたかもしれません。ピオニーの髪をまとめているうちに忘れたのですよ)
「ピオニーはかしこいね」
「カシコイヨ」
ふふふ、とふたりはニコニコ見つめ合う。
ただし、モグラ邸に戻るタイミングは逸した。
仕方なく、注目を浴びながらメッセージを見直した。
(あ! なんてこと)
それは昨日だって、すぐに気づけたことだった。
ふだんの兄は手紙形式。数枚にわたる長文を好む。
アウリアの心配に始まり、学業のこと、領地のことをしっかり記す。
今回はメッセージカードだった。
メッセージカードは二つ折りで、文言は上の面にある。
アウリアはメッセージカードを書くとき、下の面に書く。
カードを開いたときに、上面に文字があると読みにくい。
(つまり、これはわざとなのです)
カードの下面に筆圧の跡が読み取れた。
(故意に作ったインデントですよ)
「ムラタ、エンピツを用意して」
「ただちに」
アルテ領ではおなじみだが、王都育ちのサラが素早く反応した。
「エンピツとはなんですか?」
「まあ、たんぽぽギルドの宣伝が足りてないですね」
即座にルイスが反応した。
「はい。王都で取り扱う提携店を増やします」
アウリアはサラに教えた。
「これはアルテ領の学校で我が家が配布しているものです。インクを使わない筆記用具で、専用の練り玉で消すこともできるのですよ」
サラの目が輝く。インクは高いし字の練習に使うにはもったいない。
「いいですね。メモや下書きに使えそうです」
アウリアはルイスに言って、サラに1ダース進呈するように言った。
執事が用意した鉛筆を受け取ると、アウリアがやることは一つ。
エンピツでインデントを擦り、文字を浮き上がらせて読み取る。
この方法はラビングといって、前世の技術だと静電気を使った装置で可視化する。
浮き上がった文字は、アウリアが読んでも意味をなさなかった。
『さほちらほきほにまこやけひなさた』
(暗号文ですね)
アウリアは暗号に興味がなかったが、兄は平仮名を覚えると、暗号に使えないかと熱心に言葉遊びを始めた。規則性の把握が得意な人で、日本語で会話もできたほど。
妹が一瞬で解読できるように作ったなら仕組みは簡単。
兄に平仮名を教えるときに使った五十音表を思い浮かべてみた。
(行をずらすとよさそうですね)
さ→か
ほ→の
ち→し
(かのしよのいのちは……)
「!」
ピンときた。
(彼女の命はおまえに託す、なのですよ。
でもなぜ? もし見つかって連れ戻された場合、レティシアが貞操を維持していれば、王太子との結婚になるはず。他に公爵家のお嬢さま方はいるのに、レティシアだけが候補として残り続けているから。そこには理由があるはずで。
ということは、そんな方と駆け落ちしたと思われるお兄さまは、お咎めなしとはいかないはず。表向きは駆け落ち断罪はないとしても、お兄さまはご自分の心配をさなるべきなのです。それなのに、彼女の身を案じていて、わたしに託すとまで言う)
兄の思考を辿るため、アウリアはうろうろと歩き回った。
(お兄さまは王太子と公女の結婚を阻止したいのでしょうか?)
「ん……」
みなが固唾を呑んでアウリアを見ていたが、痺れを切らしてルイスが口を開く。
「何と書かれているのですか?」
アウリアは首を振った。
「教えられません。これはお兄さまからわたしへの挑戦状なのです」




