第四話「わたしのなかの“わたし”」
──夜の闇は、やけに重たかった。
風ひとつ吹かぬ夜だった。
遠くの農道から、犬の遠吠えが途切れがちに届いてくる。
障子の向こうで、煤けた電柱の灯りが、わずかに揺れていた。
薄暗い和室。
火鉢も消え、吐く息はうっすらと白い。
雪乃は綿布団の上に膝を抱え、黙って座っていた。
膝に置かれたのは──
昼間、裏路地で拾った“それ”。
黒く滑らかな板。
冷たい艶を帯び、どこか生きているような存在感。
見たことも、触れたこともない。
けれど、手に取ったとき、不思議と胸の奥が騒いだ。
まるで、忘れていた誰かに触れたような感覚。
「……あなたに、会いたかった……」
ふいに口をついて出た言葉に、彼女自身がはっとする。
──誰に?
どうして、そんな想いが?
雪乃は、そっと自分の頬に手をやった。
いつのまにか、涙がひとすじ、こぼれていた。
「……なぜ、泣いているの……?」
自分に問うように呟いた声は、冬の空気に溶けていった。
その時、耳元で──
風が囁いたような、かすかな声。
【……わたしも、あなたに会いたかった】
まるで、長い眠りから目覚めるような気配だった。
冷たい何かが、指先にふれる。
けれど、それは怖くない。
懐かしい温度。
記憶だろうか。夢の続きだろうか。
それとも──まだ訪れていない、遠い未来の断片?
彼女には、まだ答えはなかった。
けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
この夜、世界は確かに──わずかに“歪んだ”。
静かな、けれど抗いようのない変化が、
そっと、彼女のなかに灯っていた。
To be continued…