第三十九話「誰の記憶で、生きている」
──1942年9月、南方帰還後。
焼け焦げた機体の匂いがまだ鼻腔に残っていた。
薄明かりの中、悠木 薫はひとり、畳に背を預けて天井を見つめていた。
静かな夜。
蝉の声すら途切れがちになった初秋の気配。
それでも、心の奥では戦闘機のエンジン音が鳴りやまず、耳の奥で誰かの声が──いや、“思念”のようなものがこだましていた。
(……あれは、なんだったんだ……)
あの日。
機体が撃ち抜かれ、命が尽きかけた刹那、流れ込んできた記憶。
──誰かの涙。
──誰かの怒り。
──誰かの希望。
──そして、誰かが見ていた“青い空”。
それらがあまりに鮮明すぎて、自分自身のものではないと直感でわかった。
「富神……楓……」
口にした途端、胸の奥がざわめく。
まるで、かつて出会ったことがあるような──
けれど、決して交差するはずのない“記憶の残り香”。
そのときだった。
奥の間に置かれた“黒い板”が、不意に淡い光を放ち始めた。
「……え?」
パチ……と、静電気のような音。
続いて、微細な電子音声が空気を震わせた。
【起動完了──ユウキ カオル識別コード一致】
【アクセス権限、継承中──】
「……な、なんだ……これ……?」
【こんばんは、ユウキ カオル。私は“ハルカアオイ”】
「ええええ……!なになになに?……」
【あなたの中に、富神 楓の記憶と接続されたことを確認しました】
まるで夢の中のようだった。
だが、音声は確かに、明瞭に耳に届いている。
「しゃべってる……のか? この……板が?」
【これは、遠未来の記録媒体です。私は、そのデータの一部にすぎません。けれど……あなたには、私たちの“過去”も“未来“も必要になる】
「“私たち”……?」
【富神 楓──あなたの命の奥で繋がった彼は、未来からこの時代へやってきた存在です】
「はあ……?何を言ってるのか……意味がまったく分からないけど…」
【あなたが空で感じた“記憶”──それは富神 楓が遺した未来を守るための“想い”】
薫は思わず立ち上がった。
畳がぎしりと軋み、冷えた足元に重く響く。
「……冗談だろ。誰かの記憶が、俺の中にある?ふざけんな……オレは、オレだ」
【その通りです。けれど、あなたは富神 楓の“継承者”となった。彼の未完の意志が、あなたに重ねられたのです】
「なぜ、オレなんだ……!」
言葉にできない怒りと混乱が、胸の奥で渦を巻いた。
あの空の感触、戦場の狂気、死の際に蘇ったあの青年の記憶。
すべてが、誰かに操られていたかのような違和感を残す。
──だが。
一方で、それが“自分自身の想い”と不思議と重なる感覚もあった。
誰かを守りたかった。
何かを残したかった。
この空に、未来があると信じたかった。
それは確かに、自分の胸から湧き出た言葉のはずだった。
「……じゃあ、オレは、楓ってやつの代わりなのか?」
沈黙。
──そして。
【いいえ。あなたは、あなたです。ただ、彼の“記憶”があなたを選んだ。未来を託すのにふさわしいと】
板の表面が淡く揺れ、まるで命を持っているかのように微細な呼吸を続けている。
「……こんなもん、信じられるかってんだ……」
背を向けようとしたとき、画面に名前が浮かび上がった。
《富神 楓》
《雪乃》
《颯》
《城》
──そして。
《悠木 薫》
その文字を見た瞬間、背筋を電流のような感覚が駆け抜けた。
自分の名前が、まるで“物語の一部”として既にそこに存在していたかのように、整然と記録されていた。
「……これは……どういうことだ……」
板はそれ以上何も語らなかった。
──静寂。
虫の声すら消えた夜に、ただ彼の心臓の鼓動だけが確かに響いていた。
悠木 薫は、薄く開いた障子の隙間から、夜空を仰いだ。
そこには、ただただ、青く、やさしい空が横たわっていた。
そして彼は、ふと思ったのだ。
──自分は、誰かの記憶の中で、生きているのではないかと。
To be continued…




