第二話「変人のレッテル」
──どこからともなく、かすかなラジオの音が聴こえていた。
軍歌か、それとも誰かの口笛か。
風に乗って遠ざかっていく旋律の行方は知れない。
吐く息は白く、空気は凍えるほど澄みきっている。
だが、足元には濡れた落ち葉が重なり、しっとりと靴の裏にまとわりついた。
街は静まり返り、まるで誰かが息をひそめて様子をうかがっているような──そんな張り詰めた空気が漂っていた。
富神 楓は、その空気のなかで確かに異質だった。
くたびれたTシャツに、見慣れぬ化繊のズボン。
首もとからのぞく奇妙な発光──手首には、黒光りする異国の装置。
さらに、右手に握られていたのは、どこの工芸品ともつかぬ不気味な黒い板──。
まるで時代錯誤の見世物だった。
あるいは、神社の裏手に棲む“物の怪”のようにすら見えた。
行き交う人々が、彼の周囲を避けて通る。
道端で遊んでいた子どもが「なに、あれ」と声を上げ、母親は慌ててその手を引いて目を伏せさせた。
兵服姿の若者たちは、彼を横目に何かを囁き、ぴたりと笑みを引き攣らせて目をそらす。
【……楓、、目立ちすぎ、、】
手首の装置から、微かに女性の声が響いた。
──ハルカアオイ。
冷たい風を受けながら、彼だけに語りかけるその声には、焦燥に似た音色が滲んでいた。
「……冗談だろ。コンビニどころか、自販機も見当たらねぇし……え…どこ…これ?」
楓の声は、凍えた指先のように震えていた。
恐れというより、戸惑いに近い。
自嘲の混じる乾いた笑みと共に、現実感の糸が、するりと手からこぼれていく。
その時だった。
「そこの男! 止まれ! 貴様、不審人物だな!」
通りの向こうから、怒声が飛んだ。
振り返れば、詰襟の軍服に身を包んだ二人の男が、こちらに向かってくる。
その足音は凍てついた舗装路に乾いた音を響かせ、凛とした冷気を纏っていた。
表情は鋭く、容赦のない命令がその歩幅に刻まれていた。
──ヤバい。
脳が先に判断した。
「ハルカ、これ──マジでやばいヤツらじゃない?」
【逃げて! 今すぐ、楓!】
「うおおおおおっ!」
反射のように身体が動いた。
舞い上がる砂埃、干しっぱなしの布団を蹴散らし、狭い路地へと飛び込む。
つんと冷えた空気が喉に突き刺さる。胸の奥で鼓動が暴れ、耳の奥がざわついた。
【右! すぐ、左に──建物の影!】
ハルカアオイの声が、かろうじて耳に届く。
だが、その声も、心なしか遠くなっている気がした。
口の中が乾いていた。
呼吸が追いつかず、足の感覚が曖昧になっていく。
そして──
「っ──あっ!」
バランスを崩した瞬間、手の中から黒い板がこぼれ落ちた。
舗装の隙間に叩きつけられたそれは、小さくバウンドし、夜の底に転がっていく。
液晶が一度、ちらりと光った。
そして、沈黙。
「……ハルカ……?」
呼びかけに、返事はなかった。
ただ、あたりを切り裂くように、兵士たちの足音が近づいてくるだけだった。
To be continued…