第十一話「二つの目覚め」
鉄格子の向こう──
ふたつの光が、ゆっくりと重なり、共鳴した。
黒い板は脈打つように微かに震え、楓の手首に戻されたスマートウォッチも、ほのかに青白い光を灯し始める。
──《YUKINO SHIRO》
──《HARUKA AOI》
【……あなたは、わたし?】
【……わたしは、あなた?】
そして──もうひとつの声が、時を割くように届いた。
【……楓。やっと……繋がった……】
声が重なり合う。
ふたつの波が、楓と雪乃、それぞれの心の奥底に届いたとき、内なる静寂が小さく震えた。
楓は、驚きに目を見開いた。
ひとつは、間違いなく“ハルカアオイ”の声。
だが、もうひとつ──それは雪乃の声に酷似していながら、何かが決定的に違っていた。
「……ユキノ……シロ……?」
その名を、噛み締めるように呟く。
雪乃もまた、胸に抱いた黒い板から囁かれる声に導かれるように、迷うことなく鉄格子の中の楓へと歩み寄っていく。
「あなたは……“わたし”を、待っててくれた」
「……そして、あなたは……“わたし”を、見つけてくれた」
それは言葉ではなかった。
記憶でも、夢でもない。
もっと根源的な、“感覚”だけがふたりを包んでいた。
楓の視線が、雪乃の手元へと落ちる。
黒く、冷たく、だが懐かしい──見覚えのあるフォルム。
「…それえ!……オレの……スマホ……!」
声が、錆びた空気を震わせて跳ねた。
喉の奥から搾り出された叫びは、
まるで遠く遠く離れた“帰るべき場所”の気配を、ようやく指先に感じたような響きだった。
雪乃は目を瞬かせたあと、ゆっくりと頷いた。
それが“彼”のものであることを、初めから知っていたように。
やがて、泉沢が物音を立てぬようにそっと近づいてきた。
「……なあ、雪乃ちゃん。ちょっとだけ、聞いてもええかな?」
声には、いつもの調子を残しつつも、どこか微かな真剣さがにじんでいた。
「こいつ……どういう関係なん?」
それは“処理”するか、“救う”かの判断を、雪乃に委ねる彼なりの憲兵としての問いかけだった。
雪乃はしばし黙考したのち、そっと視線を落としながら答えた。
「──遠い親戚。」
泉沢が眉を上げた。
「え、ホンマかいな? そんな話、聞いたことな──」
「……私も、最近知ったの。少し……複雑な事情で」
そう言って、雪乃は自然な所作で楓のそばに立った。
「だから……彼は、私が責任を持って引き取る。」
その声は静かだったが、芯のある響きを持っていた。
泉沢は、しばらく彼女を見つめていたが──
やがて溜息交じりに口角を上げた。
「はは……まいったなぁ。雪乃ちゃんに、そこまで言われたら、オレ、もう何も言われへんがな、かなわんなあ」
そして、ひらひらと手を振って、背後の憲兵たちに呼びかける。
「──おーい、こいつ、身元分かったでえ。通したって」
戸惑いの表情を浮かべた憲兵も、泉沢の“妙な押し”に押されて、しぶしぶ頷いた。
一方で、楓はなおも呆然としていた。
ふたつの“声”が、脳の奥で鳴り続けていた。
ハルカアオイ。
そして──ユキノシロ。
「……なぁ、ハルカ。さっきの声……あれ、誰?」
【……わたしの片割れ。あるいは、記録の中の“わたし”。けれど今は、まだ答えられない】
「それって──」
【それよりも、今は……ついていって。雪乃は、楓の“道標”になる】
楓はゆっくりと雪乃に視線を向けた。
儚げで、静かな少女。
けれど、自分のために声を発し、行動を選んだ“強さ”を持つ人。
その胸には、“帰る道”が灯っていた。
そのとき、ふたりのなかで──確かに同じ音が、重なった。
それは、はじまりの鐘のようだった。
To be continued…