表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/48

第十話「脈打つ光、導かれる声」

──燃えていた


すべてが、赤く、熱く、壊れていた。

軋む木材。

泣き叫ぶ声。

血と煤の匂いが、空気に溶けていた。

そして、崩れかけた屋根の影が、ゆっくりと雪乃に覆いかぶさってくる──


ぱちん、と何かが弾けた。


まるで水面に顔を出すように、意識が浮上する。


雪乃は畳に座り、荒く息を吐いた。

喉は焼けつき、襦袢は汗で湿り、背中にぴたりと貼りついている。

膝の上にあった“それ”──黒い板が、かすかに震えていた。


指先をそっと這わせると、黒い板の表面に、脈打つような光が浮かんだ。


──《HARUKA AOI》


その瞬間、耳の奥で──いや、もっと深く、心の奥底で──透明な“声”がささやいた。


【助けてあげて……あなたにとって、大切な人。とても、大切な】


視界に、映像が流れ込んでくる。


鉄格子。

誰もいない留置所の奥。

俯いた青年が、誰かに──呼ばれている。


「……かえで……?」


自分の口から零れたその名に、雪乃は驚いた。

知らないはずの名前。

けれど、確かに胸の奥に火のような熱を残していた。


(──この人を、助けなきゃ)


気づけば立ち上がっていた。

着替える間もなく、髪も結ばず、雪乃は黒い板を胸に抱きしめて、家を飛び出した。



街は、異様な熱気に包まれていた。


朝刊の号外が風に舞い、子どもたちが「勝った、勝った」と声をあげて駆けていく。

街角では軍服姿の男たちが興奮気味に語り合い、婦人たちが手ぬぐいを握りしめて立ち話に花を咲かせていた。


「聞いたか、真珠湾や! 八隻の戦艦が沈んだらしいぞ!」

「わしらの戦闘機が、全部やってくれたんや!」

「これで鬼畜米英も、終いや終いや!」


人々は誇らしげに空を見上げていた。

だがその喧騒を、雪乃はまるで別の世界の音のように感じながら、ただ前を見て走った。


胸の奥には、まだ“もう一つの世界”の熱が残っていた。


──楓。


その名を知っている理由などなかった。

けれど、心が、叫んでいた。


(この人に、会わなきゃ──)



──憲兵本部


灰色の建物の前に立つ憲兵が、ぴたりと雪乃の行く手を塞いだ。


「ここは立入禁止だ。すぐに立ち去れ。」


低く鋭い声。

普段の雪乃なら、怯んで引き返していたかもしれない。

だが、今の彼女は、ほんのわずかだが震える声で答えた。


「……“富神 楓”という方に……どうしても会いたいのです」


その名を口にした刹那、背後から陽気な声が飛んだ。


「──雪乃ちゃんやん!? え、どないしたん?」


制服の裾を翻して現れたのは、泉沢だった。

時代にそぐわぬ軽やかな笑顔と共に、この場の乾いた空気を一変させる。


「富神 楓て、もしかして、あの“ヘンテコな格好の奴”を探しに来たん?」


雪乃は、小さく頷いた。


「この子、オレの知り合いや。大丈夫や、通したって」


軽く手を上げると、憲兵が不満げに眉をひそめながらも門を開いた。


雪乃は深々に一礼し、胸に黒い板を抱いたまま建物の中へと駆けこんだ。



暗く細い廊下の先。

ひとつだけ開いた鉄格子の中に、一人、青年が座っていた。


膝を抱え、光の消えた目で、どこも見ていない。

けれど雪乃は、彼の姿を見た瞬間、なぜか涙がこぼれそうになった。


──この人。


初めて会うはずなのに、心が揺れる。

名前を呼びたくなる衝動。

何かが、確かに繋がっていた。


彼女はそっと、胸の板を強く抱きしめた。


すると、黒い板が、ふたたび脈打つように光を放つ。


──《YUKINO SHIRO》


その名と共に、静かに声が響く。


【あなたは、わたし?】

【わたしは、あなた?】


柔らかな光が、雪乃の胸と、楓の沈黙を、ゆっくりと包み込んでいく。


“もう一つの世界”から運ばれてきた光と声が、“この時代”で、ふたりの記憶をゆっくりと結びはじめていた。



To be continued…


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ