第9話:「正しさのための暴力なんて、正しさじゃない」
「体罰って、必要だと思う?」
「うわ……お前そういうテーマ投げてくるとき、絶対答え用意してるよな」
「もちろん。いらない。完全に否定派」
「まあ……俺も基本はそうだけど、でも昔の話とか聞くと、“仕方なかったのかな”って思うこともある」
「“昔は仕方なかった”ってのが、そもそも洗脳だと思うけど」
「でも、言っても聞かない子にどう対応すればいいのかとか、現場は大変だと思うよ?」
「だからって手を出すのは、“教育”じゃなくて“支配”。“感情の処理”を“指導”って呼びかえてるだけ」
「でも、“本気で怒ってくれた”って感謝してる人もいるし──」
「それ、“殴られたことで変わった”んじゃなくて、“殴った人が怖かったから言うこと聞いた”だけでしょ」
「……じゃあ、どうすればいいの?」
「“どうすれば言うことを聞かせられるか”って思ってる限り、暴力の根っこから抜け出せないよ」
「…………」
「体罰って、“相手が子どもで弱いから成立する”って前提で成り立ってるじゃん。自分より強いやつに同じことやれるかって話」
「それは……無理だな」
「そう。“弱い立場だからコントロールしていい”って感覚が、“体罰”の正体だよ」
「でも、たとえば誰かが他人を傷つけたりして、それでも言葉が通じなかったら?」
「そのとき必要なのは“止める手”であって、“罰する手”じゃない。暴力を止めるために暴力使ったら、それはもう同じ穴の狢」
「でも……」
「本気で正したいなら、相手の行動じゃなくて“思考”を変えなきゃダメでしょ。叩いた時点で、もう相手は“怒られた”しか覚えてないよ。“何が悪かったか”は吹き飛んでる」
「……たしかに。“痛かった”は記憶に残っても、“考えたこと”は残んないかも」
「だから体罰って、“その場では効くけど、長期的には何も育てない”。教育っぽく見えるだけの、ただのノイズ」
「……ごめん、俺ちょっと前まで、“熱血教師カッコいい”って思ってたかも」
「いいんだよ。“憧れるように作られてる”から。物語の中の暴力って、ちゃんと都合よく美化されてる」
「でも、それ現実では通用しないんだな」
「そう。現実の暴力にはBGMも感動もついてこない。あるのは“やられた側の無言”だけ」
「……じゃあさ、自分が親になったとき。絶対に叩かないって言い切れる?」
「言い切れないから今こうして、言い切ろうとしてるんだよ」
「…………」
「人って、力を持ったときに本性出るからさ。“私は暴力を使わない”って、自分に言い聞かせ続けるくらいがちょうどいい」
「……お前、教師向いてるかもな」
「やだよ。殴りたくなる前に、辞めるタイプだと思う」