第6話:「五億年ボタンは世界の解像度を試す装置」
「五億年ボタン、押す?」
「うわ……それ聞いてくるってことは、もうお前の中で答え決まってんだろ」
「決まってる。押さない。あれは“自我の価値”をわかってないやつが押すボタンだ」
「でも記憶消えるんだろ? 押した本人は一瞬で五億年分の報酬もらえる」
「“記憶が消えるからノーダメージ”って考え方、逆だと思ってる」
「逆?」
「記憶が消えるってことは、苦しみを苦しみとして処理する手段がないってこと。永久地獄」
「いやいや、でも体感は本人だけで、しかもその“本人”は消えるわけで──」
「“その時感じた苦しみ”が存在した事実は、消えないじゃん。記憶の有無に関係なく」
「……それは、哲学だな」
「違う、倫理だよ。“消えるからいいじゃん”って言うやつは、“殺したあと忘れたら殺してないのと同じ”って言ってんのと同じ」
「…………」
「あとあれ、完全に“自分だけの話”に見せかけて、“人類観”が出るテストだからな」
「どういうこと?」
「“この苦しみを他人が味わってると知ったらどう思うか”ってとこが完全に抜けてる時点で、すでに“他者”が存在しない思考になってる」
「でもさ、あれってSF的な話じゃん。自分の中だけの問題っていうか」
「そう思えるやつが一番危ない。“自分の中だけ”に人を閉じ込める発想って、虐待も戦争も全部そこから始まる」
「……お前が親になったら、絶対に五億年分の説教しそう」
「するかも。でもちゃんと途中で“つらいなら逃げていいよ”って言う」
「五億年ボタン押したあとじゃもう逃げられないけどな」
「だから押さないの。どんなに金積まれても、“自分の中に世界が閉じ込められる感覚”を五億年味わいたくない」
「……俺、ちょっと前まで“押す派”だったかも」
「それなりに善良な証拠だよ。人は“自分が苦しむ”より“苦しんでることを他人に理解されない”ほうがきついから」
「だから記憶消されるってとこが救いだと思ってた」
「でも逆に言えば、“誰にもわかってもらえないまま”五億年過ごすんだよ? 自分の痛みを、誰も知らないまま。永遠に」
「うわ……それ今聞いて、一気に無理になった」
「でしょ。あれ、実際に押すかどうかじゃなくて、“自分の中のどこまで世界が見えてるか”を測るリトマス試験紙だよ」
「もう押さないわ。押させないで」
「安心しろ。ボタンがあったら、お前の手ごと折る」
「それはそれで五億年級の暴力だろ……」