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史学:蒼龍とは

史学:蒼龍とは

 (ぎょく)は、去坂(クーバン)が作法書等をとりに行き、誰もいなくなった室内を見て、少し肩の力を抜いた。

 (おかしな話だ)

 と、今更ながらに思う。

7年前、鍛冶屋を纏めていた実家が政争に巻き込まれ没落した。それ以来、奴隷として諦めて生きてきたのに。

 

「…………」

 

 砡は、今までとは違う高貴な衣を着せられている。襤褸衣とは違った意味で、所有物になった自分がここにいる。柔らかい絹の袖から覗く奴隷の紋を撫でる。そこは、焼き印で押されたその上に、幾重にも鞭や痣がつけられ、傷だらけになっている。

 

「こんな私を妻にするなんて、何を考えているんだか」


 とはいえ、昨日の蒼龍の態度を見る限り。自分を女のように扱うというのではなく。石の礼、奴隷への慈善というのが正しいのだろう。豪奢な部屋、与えられるだろう宮中での教育。それ以上に、砡は、期待をもってしまう。


宮中(ここ)なら見つかるかもしれない」

家族を壊した罪人がーー


 向かいの廊下から沢山の書物を抱えて、去坂がやってくるのが見えた。

 


 龍山國の始まりは、陽前2000年頃。始祖帝君が荒れ狂う五つの龍を平定し、建国したことに始まる。

 始祖帝君は、腹違いの九子をもうけ。後に九帝一族と成るその子供たちは、広大な大地と豊富な水を利用し、国を発展させ周辺国と競り合いつつも龍山國を強大な国にした。

 

「そして175年、今より10年前。王が崩御され王座は空席になりました。本来であれば皇太子が王を継がれるのですが、王ご崩御の直前に亡くなられた為、その席を巡り九帝一族が名乗りを上げます。」


 そこまで言って、去坂は一旦区切る。

 去坂から龍山國の史学を教わっていた。

場所は、屋敷の北側奥。やや薄暗いが春とはいえ寒く、特に北西にある険しい山肌を滑るように流れ込む風は、冷たいため扉を大きく開く居間は避けたのだ。勉強台がわりの卓に、温かい茶と足元に火鉢をを置いてくれたことに去坂の配慮が感じられた。


「……つまり、今の王座争いは、九帝の誰がその席を奪うかという話、ということですね」


 砡は、去坂の言葉を咀嚼しながら呟いた。去坂は静かに頷き、手元の書を閉じる。


「そうでございます。九帝たちは皆、始祖帝君の血を引く名門ですが、それぞれに支持する貴族や派閥があり、完全に対立している。中でも有力なのが、炎煌(えんこう)玄鴉(けんあ)煌烈(こうれつ)――」


「そして蒼龍(オレ)だな」


「!」


 さっと、宦官である去坂は、腰を落とし後ろへ下がる。砡は驚いて顔を上げた。扉の向こうに立つ蒼龍(そうりゅう)の姿が目に入る。


 陽光を背に受け、長身の影が伸びる。その姿は、鋼のように鍛えられた武官の証そのものだった。


「……勉強中だったか」


 砡の視線が蒼龍の金の瞳とぶつかる。途端に、息が詰まるような緊張感が走った。


「史学について学ぶとは、なかなか熱心だな。よいことだ」


 蒼龍はゆっくりと砡へと歩み寄る。

 初めてしっかりと対峙する距離。

 砡は、急いで座っていた椅子から離れ腰を落として礼をする。


「この度は、余りあるご厚意に感謝致します。蒼龍様」

 

「大したことは、していない。気にするな」

 

 そう言うと左手を軽く振って、そのまま対の椅子に腰掛けてしまった。どうやら話があるらしい。去坂の方を砡が見ると、空気を察して部屋を出ていく。


「奴隷だから文字も読めぬかと思っていたのだがな」


「……奴隷になる前、少し触れることがあったんです」

  蒼龍は砡をまっすぐに見据えたまま、低く問うた。


「お前、龍命石のことをどれ程知っている?」


「……あの石のこと、ですか?」


 砡は、わずかに眉を寄せた。言葉の意味はわかる。しかし、どの文脈でそれが語られているのかが分からない。


「石の礼、と仰っていましたが、蒼龍様がおっしゃった国の命運を左右する石。というのを聞いたばかりで。それが具体的に何を指すのかは……私は存じ上げません」

何しろ知らずに運んでいたのだ。

 

「そうか」


 蒼龍は一つ頷くと、卓上に置かれた茶碗を軽く回した。静寂が部屋を満たす。


「石とは、龍山國の礎そのものだ」


「……礎?」


「そうだ。お前も史学を学ぶなら、そのうち気づくだろう。この国の歴史は、龍命石と共にある」


 蒼龍の視線が、一瞬砡の袖口に向けられた。砡はその意図を測りかねたが、袖に隠れた奴隷の紋を無意識に撫でる。


「お前がそれを知るのは、そう遠くないだろう」


 それだけ言うと、蒼龍はふっと視線をそらし、続けた。


「それはさておき、お前が今学んでいる史学のことだが」


 砡は姿勢を正す。


「先ほど、九帝について学んでいたな。お前はどう思う?」


「どう、とは……?」


「王座を巡る争いについてだ。お前は外から見て、どう感じる?」


 砡は一瞬言葉に詰まる。


 九帝の争い。始祖の血を引く王族たちが、それぞれの派閥を持ち、王の座を巡っている。その中に蒼龍もいる。


「私は奴隷でしたから、」

 

「そういうのは、いい。今のお前の意見を聞いている。」

 

「……混乱している、と感じます」


「混乱、か」


 蒼龍は微かに口角を上げた。


「確かに、混乱しているだろうな。だが、それだけではない」


 砡は蒼龍の表情を伺った。鋼のような黄玉の瞳が、砡を射抜く。


「この国の未来は、ただの争いの勝者が決めるものではない。どれだけ力を持ち、どれだけ信を得るか。それが重要だ」


「……信を得る、とは?」


「それはお前が学ぶべきことだ」


 その言葉の裏に含みがあることは、砡にも分かった。だが、それ以上問うことはできなかった。


 去坂が再び部屋へ戻ってきた。


「蒼龍様、お呼びがかかっております」


「そうか。ならば今日はここまでにしよう」


 蒼龍は立ち上がる。


「砡。お前にはまだ学ぶべきことが多い。だが、そう焦ることはない」


 ふと、蒼龍が砡に手を伸ばした。


 砡は息を呑む。


 彼の手は、冷たいものだと思っていた。しかし、その指先が砡の顎に軽く触れると、思いのほか温かかった。


「……っ」


 そのまま、砡の視線を絡め取るように、蒼龍は静かに言った。


「いずれ、お前自身が答えを見つけるだろう」


 まるで何かを見透かしているようなその目に、砡は動けなくなる。


 ——この人は、何を考えているのだろう。


 去坂が咳払いをし、砡はようやく我に返った。


 蒼龍は何事もなかったように手を引き、踵を返して部屋を出ていく。


 残された砡は、ぼんやりと自分の顎に触れながら、心臓の鼓動がわずかに速くなっていることに気づいた。


 

 




 

 

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