表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/13

不思議な出会い


 雨は、静かに降り続いていた。

 軒先から落ちる雨粒が、土を濡らして細かな波紋を描く。庭の木々は重たげに枝を垂らし、苦しそうだ。

 それは、まるで砡の心が形になったかのようだった。


 砡は縁側に腰を下ろし、雨音に耳を澄ませながらぼんやりと外を眺めていた。

 蒼龍の邸での暮らしは、少しずつ馴染み始めている。けれど、その平穏に浸るほどに、あの火事で失ったもの、己の存在の曖昧さが浮き彫りになるのだった。


 ──蒼龍(そうりゅう)の妻。


 そんな言葉が、砡の耳に幾度となく囁かれている。ここへ来た当初は、蒼龍と去坂だけが砡の知る人物だった。しかし、あの火事で他の九帝に遭遇して以降、この屋敷内でも噂になったのだ。奴隷から引き揚げた妻。蒼龍様のご乱心。恥知らずの詐欺師。


 (当たり前……か)


 この館に仕える者達にとって、蒼龍は、頂に立つ高貴な存在だ。九帝の一人で、ましてや有力者である。そんな人物の横にある日突然【奴隷が妻となる】と知らされたら。


 (誰だって猜疑心を懐く)

 

 噂は、屋敷の下男や侍女たちの間に広がり、嫌がらせこそないものの、視線は厳しい。

 

 「身分も知れぬ者が、いつまであの座にいられるか」


 雨音の隙間から、そんな声が今も聞こえてくる気がした。

 これは、偽装結婚だ。愛などではない――ないのだ。

 考え始めると、胸の奥に重たいものが沈んでいく。ふと、砡はそっと己の手を見つめた。

 薄く白い肌に雨の冷気が染み込むようだった。指先をわずかに握りしめると、蒼龍が庇ってくれたあの瞬間が浮かんだ。頬に熱が集まるのを自覚したくなくて、立てた膝に顔を埋めた。


(ぎょく)様。雨の日は心が沈むものですが、甘い菓子は気持ちを和らげてくれますよ」


 かけられた声に、我に返り顔を上げる。

そこにいたのは、去坂(クーバン)であった。盆に菓子を乗せている。蜂蜜糕(ほうみつこう)だ。


「蜂蜜糕は、蜂蜜をたっぷり使って蒸しあげております。美味しゅうございますよ」


「はちみつ……好きです。あ、お茶を入れましょう」

 何にしようか悩み、菊花茶にした。

 風通しのよい棚上に置いた竹籠を手に取る。蜂蜜糕が蜂蜜を使っているので、今回は蜜漬けでないものを選んだ。併せて茶器も運ぶ。


「去坂も一緒に飲もう」


「よろしいのでございますか」


「話し相手になってほしいんだ」


 では、と下座に座る去坂に微笑して、茶器に湯を注いだ。温まる器からお湯を捨て、菊花と湯を淹れた。


「お上手になられましたね」


「去坂が丁寧に教えてくれたから身に付いたんだ」

ご謙遜をと、軽く首を振りながらも、この老父は、嬉しそうであった。

 雨で冷えた体に茶器の温もりが心地いい。

 取り留めもない話から始まり、砡は暫し、団欒を楽しんだ。


「蜂蜜糕は、去坂が作ったの?」


「ふふ、私も昔厨房を通ったことがありますが。今はめっきり。こちらは、市内の有名な茶館で仕入れたものでございます」


「そうなんだ。何ていうお店?」


金華彩(きんかさい)です。茶が有名ですが、点心を始め菓子が豊富なので宮中でも人気でして」


 へぇ、と返しながら、蜂蜜糕をつつく。口の中に広がる甘味が何とも言えず、頬を弛める。それを去坂が見ていたので、口許を引き締めた。恥ずかしいものを見られた。

 (男が菓子一つでニヤつくなんて)


 誤魔化すように、苦味を求めて器に残った菊花茶を飲み干した。



 数日後、朝の経書を勉め終えた砡の元へ、忙しいはずの蒼龍がやって来た。寝る間が短くとも武官姿は崩れることのない男であるが、顔を見れば流石に血色が悪い。


「どうなさいました?」

 お体は、と続けようか迷い止める。自他共に厳しい蒼龍は、そんな尋ね方をすれば、否定して終わりなはずだ。


「少し寝たい。寝所に案内してくれ」


「えっ」


「なんだ、駄目なのか」


「いえ!そんな……ご、ご案内します」


 蒼龍の発言に驚いて、否定したように声を出してしまったが、何とか寝台のある部屋へ案内する。

 応接間からその後ろの部屋へ向かう。四季の描かれた屏風で仕切られたその部屋には、窓がある。

 まだ昼前なため、窓から注ぐ光は優しく床に落ちていた。木の香りを残した寝台には、白絹の布団が端正に整えられ、枕元にはささやかな香炉が鎮座している。夜半焚く、白檀の香りも日中となればない。

 

「香を焚きましょうか」


「いや、今はない方がありがたい」


 ふらり、と寝台に近付いた蒼龍は、そのまま倒れ寝入ってしまった。僅か呆気にとられたが、邪魔をしないよう掛け布をすると部屋から出る。


 今、蒼龍といるとどうにも緊張してならない。

 こういう時に限って誰も訪れない。いや、砡の部屋を訪ねる者など、蒼龍か去坂くらいだ。下男がたまに訪れるが、言付ける主は今は後ろで寝ている。


 座敷に落ち着かなく腰掛けた砡の目は、寝室と出入口を何度も往復して、やがて諦めて瞼を閉じた。


「刺繍でもするかな……」


 腰を上げ、棚に仕舞われた箱を取ってくる。

 妃の役割を学ぶ中で、勉学だけでなく芸事も必要だった。女の仕事と普通の男なら落胆したかもしれないが、砡は奴隷時代何でもやらされたから然程苦ではない。

 蓮の彫り物がされた針箱を開け、現状を忘れる為にとりかかるのであった。


 がたり、と隣室からの物音で砡は、意識を刺繍から離した。どうやら没頭していたらしい。

 再び屏風の向こうへ行くと、寝台で前頭を押さえる蒼龍がいた。


「どれくらい寝ていた?」


「正午の鐘は、鳴っておりませんから。半刻ほどかと」※半刻は、約一時間。


 そうか。と蒼龍は呟き黙ってしまったので、砡は体調が悪いのかと近付く。すると、ぐっと腰を引かれ目の前に倒れ込んでしまった。


「あっ!」


「少し栄養をつけさせてやる」


 蒼龍の腕が砡の腰にまわり、砡はその力強い筋肉に安心する。だが、そんな心を他所に彼はその肉付きを確認しただけのようだった。骨と皮まではいかなくとも、何とも頼りない様相に呆れたのだろうか。


「栄養ですか?」


「そうだ。金華彩へ行くぞ、砡」

 


面白ければ、ブクマ、コメント、評価等いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ