三人目と四人目
「俺の隣に立ちたい?」
「はい」
蒼龍は微かに目を細めた。砡の返答に驚いたようにも、あるいは興味をそそられたようにも見える。
しかし、すぐにその表情は消え、冷静な声で問い返した。
「俺の隣に立つというのは、どういう意味で言った?」
砡は迷わなかった。
「私は、もうここに生きるしかありません」
蒼龍は黙って聞いていた。砡は続ける。
「これまで、ただ耐えて生きてきました。でもそれだけだった。そんなのは、もう嫌なんです。知らないなんて嫌だ。知りたい、知って強くなりたい。」
貴方のように。
蒼龍は少しの間、沈黙した後、ゆっくりと歩み寄った。そして砡を見下ろしながら口を開いた。
「なるほど。面白いことを言う。だが、お前の言う【知る】とは何を指している?」
「私は……」
拳に力を込めて思いの丈を言おうとした矢先、不意に廊下を走る慌ただしい音が聞こえた。
「蒼龍様!蒼龍様!」
現れたのは、宦官の去坂である。相当急いだのか老父の額に汗が滲み出ている。
「なんだ喧しいぞ」
「も、申し訳ございません。急ぎお伝えせねばと八焔様が……っ」
八焔といえば、牢を出た際に出会った官吏ではなかったか。蒼龍も腹心の名前に態度を改める。
「申せ」
「お調べされていた宝石問屋が全焼したとのことです!」
去坂の言葉がその場の空気を凍らせた。
砡の心臓が強く脈打つ。
「宝石問屋、それって……」
それが、どこの店を指しているのか悟った。かつて自分が奴隷としていた、あの店だ。
目の前が霞む。深く暗い檻、飢えに苦しむ奴隷たちの呻き声、伸ばされる複数の手。散らばる銀塊。冷たい目をした商人の姿が、脳裏に蘇る。
あの場所が……焼けた?
世界が傾くような感覚に襲われた。
蒼龍の視線が砡に向けられる。
「お前……どうした?」
砡は唇を噛み、すぐに表情を整えた。
「いえ、大丈夫です」
だが、蒼龍の目はごまかせない。
「……そんな顔をして大丈夫なものか」
蒼龍は、羽織っていた上着を脱ぐと砡に掛ける。夜風を遮る厚い生地が、まるで砡を守るようだった。
驚いて返そうとするが、視線を逸らされてしまう。
「ともかく、現場へ向かう」
「っ私も行きます」
砡は即座に言った。
蒼龍は少し目を細めたが、反対はしなかった。
「馬車を用意しろ」
去坂が再び駆けていくのを見送りながら、砡は拳を握りしめる。
今、何が起きているのか知りたい。
きっとこれは、偶然じゃない。
夜の街は、焦げた臭いに包まれていた。
宝石問屋の店があった場所には、焼け焦げた瓦礫が積み重なり、燻った煙が立つ。灰が雪のように舞い兵たちが周囲を固め、消火の名残りで地面にはまだ水が流れていた。
蒼龍と砡が到着すると、すでに八焔ともう一人の男が待っていた。
「お前も来たか、蒼龍」
「煌烈」
煌烈。
九帝の一人であり、蒼龍と同じく武官だが、武断派で、その手法は苛烈。部下への統制も極端に厳しいという。
(たしか、王位有力候補の一人だ)
煌烈は、砡に一瞬目をやるが興味なさげに視線を戻した。蒼龍とは違う威圧感がある煌烈であったためそれには肩を下ろした。
砡は、去坂に教えられた有力者の名前を思い出す中、煌烈は焦げた建物を背に、腕を組んでいた。
「……どういう状況だ」
「ここは、お前が先日検挙したらしいな。見ての通りだ。燃え尽きた」
煌烈は瓦礫を蹴り、焼け焦げた死体を示した。
藁敷に乗せられた遺体は、五体。男女の区別がつかぬほどだった。
「ここにいた者の殆どは焼死。だが、こいつだけは違う」
少し離して安置されていた藁敷を捲る。
指し示された六体目の死体は、喉を深く斬られていた。焼け出され煤で黒くなっているが面相がわかる程度である。ただし、それが違和感に繋がっている。喉の切り口があまりに鋭いせいか素人の砡であってもそれが不自然であることが知れた。
煌烈が蒼龍へ推論を述べる。
「死体の状況から、燃え広がる前に外に出ていたんだろう。そして斬られた、あるいはこいつが放火の犯人か。面は?」
蒼龍は頭を横に振った。砡も覗き見たが知らぬ顔だ。
「宝石問屋の奉公人は、全員捕えたわけではない……何人かは聴取が終われば解放している。まっとうな取引先もあったようだからな。」
「言い換えれば、まっとうでない奴らもいるわけだ。そいつらの検挙は?」
「まだだ。というより、相手先はわかるが充分な立証ができなかった。」
蒼龍の目が険しくなる。
「なるほど。ならば証拠隠滅のための放火か」
煌烈は口の端を歪め、自身の肩を揉む。
何もかも燃えてしまったというのか、手の内にある秘密の部屋の鍵もこれでは意味がない。あそこにあったかもしれない石はどうなったのか。炭の瓦礫が広がる場所を一刻も早く探さねばならない。また、その価値を考えると周囲にばれるわけにもいかない。
息が詰まりそうになる。
(もしかしたら、犯人は、石が目的で……?)
石のことを知る蒼龍とて気にならないはずはないのに、静かに口を開いた。
「この炎の背後にいる者を探らねば」
煌烈がその言葉に口元を歪める。
「ああ。だが、特にこんなことをしそうなのが一人いるだろう」
煌烈の言葉に、夜の闇が静かにうねったような気がした。煌烈と蒼龍が込む中、砡は一人ついていけず眉をしかめる。
(一体誰のことを……)
「臆測で会話をするつもりはない」
しかし、その沈黙を破り蒼龍は否定した。
八焔、と低く呼んだ蒼龍の目が冷える。
「更に詳しい調査を命じる。誰かが ‘手を回した’ のか、それともただの事故か……どちらにせよ、背後を探れ」
「はっ」
八焔が去ると、煌烈が蒼龍を見た。
「御史台きっての遣り手もお前の手駒か」
「九帝としての仕事をしているだけだ」
蒼龍の静かな声音に、煌烈は鼻を鳴らした。
「真面目なこった」
その時——。
シャン、シャン。
騒がしい現場に場違いな装飾音がした。
煌烈が顔をしかめる。
「……チッ、 噂をすれば‘あいつ’ も出てきたか」
蒼龍は振り返らず、ただ静かに言う。
「炎煌」
闇の中から現れたのは、金糸を織り込んだ華やかな衣を纏った男だった。黒い長髪を結いあげもせず、ゆったりと垂らし小さな銀の二枚貝がいくつも散らしてある。
炎煌。
九帝の一人にして、莫大な財を持つ策謀家。
彼は口元に微笑を浮かべながら、ゆったりと近づいてきた。
「蒼龍殿、煌烈殿。お久しぶりです」
軽やかな声。その声音とは裏腹に、彼の目は冷たい光を帯びている。
「おやおや、これはまた ‘物騒な事件’ が起きましたね」
焦げ臭さが嫌になるのか、炎煌は、袖で鼻を覆いつつ瓦礫になった宝石問屋を見つめる。
煌烈が腕を組み睨み付けた。
「お前が言うと、全部 ‘仕組まれたもの’ に聞こえるな」
炎煌は笑った。
「そんな、私を疑わないでください。私はただ ‘良い取引’ をしたいだけです」
その目が、砡を捉えた。
「……?」
興味を持ったような、値踏みするような目。
砡が無意識に肩を強張らせる。あれに似た目を見たことがある。奴隷であった間、
「蒼龍殿。そちらの ‘少年’、何か ‘面白い価値’ をお持ちなのでは?」
その言葉に、ぞわりと背筋を這い上がる気持ち悪さを感じる。唐突に蒼龍が砡の手を取り引き寄せた。
(蒼龍様!?)
硬い剣胼胝のある太い指が絡むと脈拍が早くなる。
(どうして?)
砡が戸惑い動けないでいる間に、蒼龍は目を細め威嚇した。
「炎煌、お前が ‘手を出す’ 相手ではない」
「ふふ、では ‘今は’ やめておきましょう」
炎煌は笑いながらも、砡から視線を外さなかった。
(炎煌、気持ち悪い人だ……。でも蒼龍様、私を庇ってくれた?)
励まされたような気になり、砡は胸が高鳴った。
ここで生きるなら——いずれ、有力者たちとも向き合わなければならない。強くならねば。
そして、その様子を夜の影の中から、もう一人の男が見ていた。
玄鴉は焼け跡を見つめながら、低く呟く。
「…… さて、どう出るかな」
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