第39話 だっちゅーの
俺とパルトは、シュバルツに案内されて屋敷の中へと進む。どこかの貴族が建てただけあって、豪勢な玄関を抜けると少し広めのホールに出た。
「使用人たちは、明日帰られるように手配済みです。どうか今夜まではご容赦を。」
シュバルツはそう告げると、パルトに対して丁寧に頭を下げた。さっき俺に指摘されたことがだいぶ効いているのだろう。シュバルツがクロフォード家以外に頭を下げるのは珍しい。対するパルトは、どうしていいか分からずに困惑しているようだが。
シュバルツはそんなパルトを見て目を細めた後、今度は俺の方を向く。
「それでは、大旦那さま。ご夕食になされますか?すでに準備はできておりますが……。」
「そうじゃのぉ。腹も減ったし、飯にするか。パルトはどうじゃ?」
今度は俺がそう問いかけると、パルトは恐る恐るだが、小さく頷いた。
そうして、この別荘での生活が始まったのである。
〜
夕食後、俺がパルトと一緒に部屋でくつろいでいると、不意に部屋のドアがノックされた。それに驚いたパルトが、座っていたソファーから逃げるように飛び降りて、俺の後ろに身を隠す。その様子に苦笑しつつ、俺がノックした人物に入るように促すと、1人のメイドがドアを開けて入ってきた。
「大旦那さま。食後の紅茶でございます。」
彼女はそう言うと、一礼してテーブルの上にお茶のセットを並べ始める。その様子を眺めていて、俺はふと思った。
ーーーメイド1人くらいは残してもいいかも。
メイド服の上からでもわかる豊穣の双丘。動く度に重力とのダンスを楽しむかのようなその装いは、俺の感性を一気に刺激する。それは、ワルツのように優雅で、タンゴのように情熱的で、ジャイブのように軽快に。
それを見ていたら、孫のエマやアリシアたちの双丘が頭に浮かんで離れなくなる。
(名残惜しいのぉ。やっぱり、信仰を我慢するのはなぁ……。)
双丘への信仰を我慢する。それは本来、俺らしくない判断である。いくらパルトのためとはいえ、双丘への信仰心を失っては俺が俺でなくなってしまう。魔王軍の残党を打ち倒した時、俺は悔いのないように生きようと決めたのだ。孫との時間、家族との時間、そして俺の好きな時間を大切にしながら生きようと決心した。ならば、その信条に沿って生きなければ、自分に嘘をつくことになるのではないだろうか。
そう思った途端に、俺は考え方をすぐに切り替えることにする。
(よし!やっぱり明日、シュバルツに指示しよう。メイドは1人だけでも残すように、と。)
確かにバイブルを守り抜く上で、使用人たちはいない方がいい。余計な人員配置は、俺にとってリスクを残すだけなのだから。だが、そもそもバイブルだけで俺の信仰心が収まるわけがないし、結局のところ、シュバルツはこの屋敷に残るのである。それならメイドが1人追加になったくらいで、状況はさして変わらないだろう。
そうやって、俺がズレた論理で自分を納得させようとした時だった。
「ほ〜んとほんとに、強欲だっちゅーの!」
どこからともなく、聞いたことのない声が響いた。驚いてその出どころに視線を向けると、俺が座るソファーの横に、全身薄いピンク色をしたコウモリのような生き物が寝そべっているではないか。「本当にエロジジィだわさ!」と嘲笑うこれは、何の生き物なのか……。
「な……なんじゃ、お前は……」
さすがの俺も、こんな得体の知れない変な生き物を見てしまっては驚きが隠せない。ついつい問いかけてしまったが、その生き物は肘まくらをしたまま、太々しい態度でそれに答える。
「あん?あたいかい?あたいは"アヴァリディア"だっちゅーの。あんた、やぁぁぁっとあたいのことが視えるようになったんだね!」
「視える……とな?」
「そうさ!あたいはずっとあんたの横にいたんだよ。なのに、あんたときたらさ……!」
アヴァリディアはそう言うと、翼を開いて飛び上がり、腕を組んで頬を膨らませた。
この変な生き物いわく、こいつは俺が目覚めた時からずっと俺のそばにいたらしい。だが、俺が全然気づかないため、なんとか気づかせようとずっと語りかけていたそうだ。
パルトを助けた時も。
皇帝に謁見した時も。
エマと買い物をしていた時だって。
「1番笑ったのは、あんたが魔族のおっぱいを揉みしだいた時だっちゅーの!あれは本当にあんたらしくて笑ったねぇ!」
「ぬ……!」
当時のことを思い出したように、大笑いするアヴァリディア。対する俺は、そんなところまで見られていたとは思わず、少し恥ずかしくなってしまう。本人でさえ忘れていたことをほじくり返され、しかもそれを客観的に笑われるのはさすがの俺でもいい気はしない。
だが、俺がそんなやりとりをアヴァリディアとしていると、突然メイドから声をかけられてハッとする。
「大旦那さま。いかがされましたか?」
彼女は作業の手を止めて、不思議そうに俺を見ている。
「ん……?いやな、ここに変な生き物が飛んどるんじゃよ。」
「変な……生き物……ですか?」
「そうじゃ。ほれ、ここにおるじゃろうが。」
その言葉に彼女は首を傾げ、俺が指差している方を見て目をぱちくりさせている。その様子を見た俺は、すぐにこの現状を理解した。
(……もしかして、こいつは俺にしか見えてないのか?)
そもそも、全身薄いピンク色のコウモリなんて、今まで聞いたことも見たこともない。そりゃあ、ファンシーな夢の中などであれば出会うこともあるかもしれない。だが、そもそもここは現実であるわけで。
どうやら、彼女には本当に見えていないらしい。それを立証するように、アヴァリディアと名乗ったコウモリが彼女の周りを挑発しながら飛び回っているが、当の本人はまったく気づいていない。
これは一度、仕切り直した方がいいなと思った俺は、小さく咳払いをした。
「すまんのぉ。わしの勘違いじゃ。では、お茶の準備が終わったのなら、出て行ってもらえるかのぉ。」
パルトと少しゆっくりしたいとメイドに伝えると、彼女は訝しさを残したまま、丁寧に頭を下げて部屋を出て行った。それを見送った俺は、小さくため息をつくとゆっくりとソファーに腰掛ける。
「パルトや。念のために確認しておくが……」
この部屋にいるピンク色の変なコウモリが視えるかどうか、一応パルトにも聞いてみる。
「え……?はい、見えます。」
パルトの答えを聞いて、俺は再びため息をついた。やっぱり、視えるのは俺だけらしい。なら、この現状をどうするべきか。
「そうか。やっぱり視えんか……」
「いいえ、お師匠。視えてますよ。このコウモリでしょ?」
「そうそう。そのコウモリじゃ。そいつはわしにしか視え…………んぁ!?」
パルトはアヴァリディアの両翼を摘んで、俺に広げて見せている。そのことにやっと気づいた俺は、再び驚きの声をあげてしまった。
「お……お前も視えるんか!」
「はい。お師匠と会った時から視えてますよ。」
「な……なんと……」
「やいこら!パルト!!お前、離せっちゅーの!!」
ジタバタと暴れているアヴァリディアをよそに、俺はパルトの言葉に耳を傾ける。パルトが言うには、俺に助けられ、目を覚ました時からアヴァリディアが視えていたようだ。そして、俺以外に話し相手がいなかったこともあり、いつしかアヴァリディアが話し相手になっていたという。
「なるほどのぉ。パルトが世話になったようじゃな。しかし、お前は一体何なんじゃ。」
パルトの手から解放されて、のびのびと飛び回るアヴァリディアにそう問いかける。すると、アヴァリディアは天井にある照明に足をかけ、逆さ吊りになってニシシと笑う。
「あたいはねぇ。あんたの権能さ。あんたの力が具現化された存在……とでも言っておくっちゅーの!」
「わしの……力……?」
「そうだっちゅーの!あんたが目覚めた理由!あんたが強い理由!それは全部あたいのおかげなのさ!」
感謝しろよと嘲笑い、再び部屋の中を自由に飛び回るアヴァリディア。だが、アヴァリディア自身も、今話した内容以上のことは分からないらしい。
このコウモリが彼なのか彼女なのかはさておき、突然姿を現したアヴァリディアの存在とその言葉は、俺の胸に深い謎を残すことになったのである。




