第37話 はかりごと
「あ〜!もう!なんでこう……!」
アナスタシアは苛立ちが収まらず、自室のソファに体を投げつけるように座り込む。そして、苛立ちを吐き出すように大きなため息をついた。
何とか家を出て、会いに行きたい人物がいる。だというのに、どうしてこうも上手くいかないのだろうか。いくら考えても、父を説得できる妙案が浮かんでこない。そのことがもどかしくて堪らなかった。
「……計画性ね。」
そんなもどかしさを抱えたまま、天井をぽやんと見上げる。父から言われたその言葉を反芻してみるが、昔からその言葉とはほど遠い性格をしていることは、自分でも百も承知である。これまでどんな戦局も直感で見極めて動いてきたし、それで成功を収めてきた。いまさら計画的に物事を考えろと言われても、はいそうですねと言って簡単に出来るわけがない。
そう考えると、再び苛立ちが込み上げてきた。そして、そんな感情を感じ取ったかのように、どこからともなく笑い声が響いてきた。
「ギャハハ!だから言っただろ?そんな話、誰も信じないって!」
苛立ちに油を注ぐような、小馬鹿にした笑い声。その声を聞いた瞬間、アナスタシアはうんざりとした顔で舌打ちをする。それを合図に……というわけでもないだろうが、アナスタシアの頭の上には、忽然と真っ赤なコウモリが姿を現した。
「ヒュブリス。だまれ。」
アナスタシアは宙に浮いたまま笑い転げるその生き物に対し、あからさまに眉間にシワを寄せる。だが、その生き物は特に気にした様子もなく、涙を流しながら大笑いを続けている。
「い〜や!こんな面白いこと、黙っていられるかよ!もう13回目だぜ!13回目!ギャハハハハハ!」
アナスタシアは腹を抱えて笑い転げる赤いコウモリを見て、その体をもっと真っ赤にしてやろうかとさえ考えた。だが、力の弱いこの体では何もできないだろうし、そもそも、それをしたところで何の意味もないことはわかっている。いつか目にものを見せてやると心の中で誓うと、ヒュブリスと呼んだ生き物のことを無視するように目を閉じた。
ここ数日、ルキーナ様との交信は途絶えている。最初の交信は10日ほど前だったか……彼女は夢に現れた。ざっくばらんな物言いやおちゃらけた態度を見た時には、本当に女神かと疑ったものだが、ある記憶のことを告げられて彼女は本物だと理解した。そして、その時に伝えられたのは「自分のことを知れ。」というものだった。
しかし……。
「自分を知れと言われてもねぇ……。」
目を開けて、天を仰いだままそう呟くと、その様子を見たヒュブリスが煽るように笑う。だが、アナスタシアはそれさえも無視して、思考に集中する。
自分のことはよくわかっているつもりだが、自分を"知る"というのは存外難しい。哲学的なその神託に、翌日は1日中頭を抱えることになったことは言うまでもない。そしてその晩、見兼ねた女神から2度目の神託が下る。
ーーー旅に出よ。
実際の言い方は、「だからぁ〜旅に出ちゃえばいいじゃん。自分探しの1人旅とか、人間の間ではよくあるでしょ?」であったが、これまた無理難題を突きつけるものだと、アナスタシアは頭を抱えた。
自分はまだ9歳である。そんな小娘が1人旅など、家族が許すわけがない。確かにグランファリル家の後継は弟のロベルトに決まっているので、自分がどこに行こうが家にとってはどうでもいい話だろう。だが、父も母も親。子供のことを簡単に手放せるほど、冷徹ではない。
と、そんな話を女神ルキーナにすると、彼女は「なら、神託が下ったことにすればいいのよ!私も女神らしいこと、久々にできるし。お互いにwinwinじゃない!」と仰っていやがった。
そんな経緯があって、父ロバートに神託が下ったことを初めて話したのは1週間ほど前である。
それからのことは、想像するに難くない。父の説得に失敗しては、夢に現れる女神からダメ出しと次の策を告げられる。再び父に話に行くも、呆れられて突き返される。これの繰り返し。女神も最後の方は「あんたの父親、マジで頭硬いわね。」とぼやきつつ、与える策(神託)も雑になる始末。
そうして、女神の万策尽きた頃、このヒュブリスというコウモリが見えるようになった。彼女いわく、このコウモリは自分の権能なんだとか。力を与えるから、2人で相談して解決しなさいと、最後だけは真面目な感じで言い残し、彼女はそれから現れていない。
「こんなバカ者とどうやって相談すればいいのかねぇ。」
「おん?なんだ、ケンカ売ってんのか?やるか?おぉ?」
大笑いしていたヒュブリスを見てそうぼやくと、彼は逆さまの状態で小さな拳をこちらへ向け、シュシュっと交互に動かし始めた。その様子は可愛らしく感じるかもしれないが、こいつの中身は性悪で陰険極まりない。相手にするのも面倒くさいので、軽くあしらうことにする。
「売らんわ。しかし、はぁ……本当、どうしたもんか。」
今だに拳を走らせているヒュブリスを見ながら、アナスタシアは腕を組み、父をどう説得するかについて改めて考えてみる。
父はちゃんと計画してから話に来いと言っていた。なら、計画があれば許可されるのかと言えば、たぶんそうでもない。現実的で実現可能で、さらには安全性が確保できて初めて頭を縦に振ってくれる……かもしれない。今はそういう状況なのだ。
しかし、考え方を変えてみよう。これまで女神ルキーナの言葉に甘んじて、稚拙極まりない策を弄してきた。そのおかげで、父の自分に対する評価は地に落ちているわけだ。だが、これはある意味でチャンスではないだろうか。次はちゃんとした策を持って父の説得に臨む。そうすれば、印象はかなり良くなるはずだし、上手くいけば……。
そこまで考えると、アナスタシアは勢いよく立ち上がる。
「よっし!策を練るぞ!ヒュブリス!」
「んあ?!きゅ……急にどうしたんだよ?!」
突然ポジティブな視線を送られて、ヒュブリスも困惑しているようだ。だが、アナスタシアにとって、そんなこと今はどうでもいい。現実的で実現可能で、さらには安全性の高い策を練らなければならないのだから。
その日、夜遅くまで2人の策略相談室は続き、翌朝早くからアナスタシアは父の部屋を訪れる。
その結果……
アナスタシアは家出した。




