第36話 グランファリル
グランファリル家は、帝国屈指の商家である。
グランファリル家の初代当主は、街から街へ、国から国へと旅をしながら生計を立てる行商人であった。様々な街に赴いては、そこで商品を仕入れて次の街で売る。その差益を生計としながら、また仕入れて売る。これを繰り返しながら、世界を放浪するまさに旅の商人であった。
しかし、当時の行商人の仕事は、モノを売ることだけではなかった。街とは人で成り立つもの。そして、人が多ければ、行き交う情報も自然と多くなる。行商人たちは、そうして仕入れた情報たちを貴重な交渉材料として扱っていたわけである。街を、国を行き来し、様々な情報を仕入れ、旅先で人々と共有する。世情を広めるという意味で、彼らは世界にとって重要な役割を担っていたのである。
とりわけ、初代当主であるローランド=グランファリルは、情報を売ることに長けた男だった。本来、行商人は自分たちで商売をするために、各自のルートを確立している。そして、それを定期的に移動しているため、顔なじみができやすく、独自の人脈が生まれていくことは周知の事実である。だが、当時はそれらの縁を商売に繋げる者は多くなかった。
そんな中、ローランド=グランファリルだけはそれを最大限に活用していた。情報の重要性をいち早く理解し、誰よりも早くそれらを仕入れ、集めたのである。そして、集めた情報は漏れないようにうまく操作し、独占する。独占した後は重要度に応じて分類し、最後にその情報を1番欲している者に売る。情報を完全に商品として扱い、事業として成り立たせたのである。
そうして、グランファリルが得たのは、裏社会や上流階級との繋がりと、その繋がりを駆使することで築き上げた地位と名声。
結果として、グランファリル家は帝国の表と裏の舞台において、屈指の大商家となったわけである。
「お父様。わたくし、旅に出させていただきます。」
真っ赤なロングヘアを靡かせ、とある書斎に入ってきた少女。彼女はまるで、夫への最後通告を思わせるかのような口ぶりでそう告げた。
「ア……アナ?急にまた、何を言い出すんだ。」
書類に目を通していた初老の男は、少女の勢いに気圧されてタジタジとその表情を焦らせた。この男、その名をロバート=グランファリルといい、グランファリル家の現当主である。
だが、そんな父の反応などお構いなしに、少女は言葉を続ける。
「わたくし、女神様より神託を受けましたの。」
「し……神託だって?」
「ええ。そうです。神託です。」
少女はその言葉と同時に、メモ紙をテーブルの上で滑らせた。ロバートはそれを見て少し訝しんだが、内心では「またか。」と思っていた。そして、テーブルの上のそれをゆっくりとつまみ上げ、驚いてズレてしまった眼鏡を掛け直す。
「なになに……ルキーナ様からの神託。アナスタシア=グランファリルはこれより旅に出ることになるだろう。その先で汝自身を知れ……。」
そこまで読み上げると、ロバートは口を紡いでゆっくりと目を瞑った。
ルキーナとは神話に出てくる女神の名である。誕生を司り、この世界を、大地や海を、そして生き物の全てを創ったとされる地母神。帝国の成り立ちはこの女神ルキーナであると昔から伝承されていることもあり、この国では女神ルキーナを信仰の対象としている。それゆえに、彼女を信仰している教会も多く存在している。
て、そういった教会へ足繁く通う者の中には、娘と同じように神託を授かる者が確かにいる。確かにいるのは事実だが、彼らが授かる神託の内容は、もっとしっかりとしたものである。こんな走り書きのような神託は、今まで見たことも聞いたこともない。ロバートはそう思ってしまう。
ロバートは目を開けると、つい「これだけ?」と問いかけそうになった。だが、それをすると娘が不機嫌になることは容易に想像できたため、そのグッと言葉を飲み込んだ。彼には子供の落書きのようなそのメモ紙が、9歳の娘が書いたものだと容易く理解できたのである。
「アナ……これが今回、君が女神様から授かった神託かい?」
「ええ、そうです。」
「そうか……。しかし、ルキーナ様もまた、随分とざっくりとした神託を授けたものだね。」
ロバートは娘のまっすぐな眼を見て、小さくため息をついた。
娘のアナスタシアが神託を授かったのは、いったいこれで何度目だろうか。いや、正確には授かったという妄想を膨らませ、自分でその内容をでっち上げてこの部屋を訪れてくるのだが、それもここ数日においては両手で数えても足りないほどだった。
ちなみに、旅に出るという神託は5回目……いや、6回目だったか……。
「アナ……。そもそも、なぜルキーナ様は君に信託を授けたんだろうね。」
「そんなの簡単なことです。かの女神様は、わたくしに世界を見て欲しいと思っているからです。世界を知らずには大事は為せませんから。」
鼻をふふんっと鳴らし、娘は胸を張る。その様子を見たロバートは、今度は大きくため息をついた。
そんなざっくりとした……いや、雑な神託など過去に聞いたこともない。教会だって、もう少しマシな内容を用意するだろう。まぁ、9歳の子供が考えることなのだから、この程度でもいいのかもしれない。想像力が豊かだと思えば……。しかし、弟のロベルトならどうだろう。もう少し、マシな内容を考えてくるのではないだろうか。
ロバートはそんなことを考えながら、目の前の娘にこう問いかける。
「それなら、旅に出るための君の計画を聞かせてくれるかい?」
「う……。計……画……ですか。」
娘はその問いかけに対し、苦い顔をして後ずさる。それを見たロバートは、それみろと言わんばかりに少し呆れた表情を浮かべた。
アナスタシアが神託を授かったと言う時は、いつもこうだ。女神の言葉は用意するが、その先のことは一切考えていない。旅にしろ、事業にしろ、その言葉だけが先行するだけで、計画性は皆無なのだ。
思いついたら行動に移す。確かに、そういった豪気な性格であることは良いことだ。何事においても判断に迷うことがないし、好機を見落とすこともない。それは、商家の者としては歓迎すべき才能だろう。自分を信じて突き進む才能というものは、誰しもが授かるものではないのだから。
だが、それ以上に繊細さは皆無で、知性も乏しい。それは、この家の者としては致命的であった。曲がりなりにもグランファリルとして生を受けたのだから、娘にはもう少しその辺りを学んで欲しい。ロバートは日頃から切に願っていた。
(唯一、娘に驚かされたことと言えば、ポゼをやった時くらいか……)
"ポゼ"とは、相手の駒と陣地を取り合う盤上遊戯のことである。帝国内で広く認知された娯楽のひとつであり、庶民の間でも昔から親しまれている。このポゼをどこで知ったか、娘から一度だけ勝負を挑まれたことがあった。
ポゼは自分の駒を動かして相手の守りを崩し、その陣地を奪う。そこで、特に重要視されるのは攻める駒の動きだ。攻める駒を効果的に動かすことで、相手の守りを崩して陣地を奪うわけだが、それがこのゲームのセオリーとなる。しかし、その時の娘の打ち方には、思わず目を見張るものがあった。何度も繰り出される予想外の一手に、舌を巻いたことはそんなに遠い記憶ではない。
(あの戦術は、昔対戦した帝国軍の軍人のそれによく似ていたが、それとも違っていた。私も資料でいくつか読んだだけで詳しくはないが……特に世紀の大将校が健在であった時の戦術を彷彿とさせるような……この子が軍に入ればもしくは……)
確かに一族から帝国軍の幹部が生まれれば、情報供給のさらなる安定が見込めるし、内容の精度も格段に上がることは間違いない。そうすれば、グランファリルはもっと繁栄を極めることができるだろう。息子のロベルトが自分の跡を継ぎ、その時に娘のアナスタシアが軍の中枢を担っていれば、まさに"大将校に大剣"。怖いものなしであることは間違いない。
※"大将校に大剣"とは、ダビドの勇姿から生まれたことわざ。
しかし……。
ロバートはそこまで考えると、頭を横に振った。そして、目の前で冷や汗をかきながら、何かいい考えはないかと今だに愚考している娘を見る。
9歳ながら、日頃からの豪快で勇猛な振る舞いは、確かに目を見張るものがある。執事たちもアナスタシアのお転婆加減には、かなり手を焼いているようだし。だが、残念ながら商売の才……と言うよりも、人との駆け引きの才能という点において、娘は平凡以下である。それがロバートの娘に対する評価だった。帝国軍の内情はよく理解しているつもりだ。突出した武芸を持っているならまだしも、盤上遊戯の強さだけで軍に入っても、成り上がることは不可能だろう。
アルベルトやアリシアなど、現在の騎士団長たちの面々を思い起こし、ロバートは冷静に現実と向き合ったのである。
「アナスタシア。」
小さくため息をつき、ロバートがそう声をかけると、娘のアナスタシアは驚いて声を裏返す。その様子にまた呆れつつ、ロバートは今回の話についての結論を述べた。
「もっと計画性を持って、物事を考えなさい。神託だけで、父さんはうんとは言わないことはわかっているだろう。」
その回答に、アナスタシアは悔しそうに小さく「はい。」と頷いた。
このやり取りもそろそろ終わりにしたい。
ロバートは心の中でそう思うのだった。




