第33話 惜別
俺が認知症から回復したあの時に引き続き、クロフォード家第二回家族会議を行ったその日の午後、息子のアルベルトは不動産売買を請け負う商人をすぐに呼びつけていた。
アルベルトが例の別荘を買い取る旨を伝えると、商人はたいそう驚いていたらしい。彼曰く、魔物の森の横に立つこの物件を買う者なんて、現れるとは思っていなかったそうだ。確かにそんな危険な物件を買うやつなんて、普通はいないだろうが、そもそも、そんなところに建てたやつも相当なのでは?と俺が思ったことは余談である。
ということで、無事に空き別荘の購入が決まった。けっこうな金額だったと思うが、その辺を簡単に買えてしまうところは、さすがご貴族様といったところだろう。とはいえ、立地条件からかなり交渉したみたいだったが。
入居の予定の日取りを決めると、商人は建物の清掃や準備に取りかかる旨をアルベルトへ言い残し、軽い足取りで去っていった。彼としても、厄介な物件が売れて大助かりなのだろう。商人の様子を見て、俺はそう思った。
それから1日が経った。俺はクロフォード家の庭園にある椅子に腰掛け、空を仰いでいた。澄んだ青空と静かに浮かぶ雲。そこに優しく吹き抜ける風が心地よく顔を撫で、俺はそれに身を委ねるように目を閉じた。
あと1週間で、俺はこの家から出ることになる。そして、あの亜人の子と一緒に暮らすわけだ。俺が意識を取り戻してから短い期間ではあったが、いろいろなことがあったなと振り返る。孫のエマとのショッピングは楽しかったし、エリザ、エマ、アリシア、そして、冒険者たちの双丘もたくさん拝み信仰することができた。それらを思い返せば、なかなか悪くない生活であった。
だが、本音で言えば、全然足りていない。
(くそぉ〜!双丘への信仰は、まだまだ全然足りないのによぉ!)
目を閉じたままでも、自分の眉間にシワが寄ったことがわかる。実は、それくらい俺の中の葛藤は膨らんでいたのである。
せっかく意識を取り戻したのに。それも、ほぼしがらみもない状態で。だから俺は、自分の好きを突き詰めるために生きようと決めた。これからは双丘を愛し、崇拝するために生きようと決めたのだ。なのに、この街を出て、アジンの子供と2人暮らしをすることになるなんて……それはまじで想定していなかった。
これから行くところはほぼ辺境。それに加えて、魔物の巣窟である森の真横でもある。そんなところに双丘が来るわけがない。もちろん、魔族にも女性はいるし、魔物にもサキュバスなどの女性型は存在するから、信仰が0になるわけではないかも知れない。だが、そもそもそっち方面にはあまり期待はしていない。
(だって、拝むなら人の双丘がいいに決まっているじゃないか!)
心の中でそう叫ぶ。思いの丈が膨れ上がる。しかし、パルトを救った手前、彼に対する情と責任感には逆らえなかったことも事実だ。信仰と人情の間で、俺はずっと葛藤しているのだった。
(まさか俺が、子供と一緒に2人暮らしとは……)
まったく難儀な性格だと自分でも思ってしまう。周りから見れば、亜人の子供と2人で住むなんてバカみたいな話なんだろう。それはアルベルトたちの様子を見ていてよくわかったが、俺にはまだその辺の感覚がよく理解できていない。見た目はウサギ。だが、中身は人に近いそんなパルトを、ただ亜人だからという理由だけで無下に扱うことなど、俺には到底できなかった。
(……となると、やるべきことはまず、あの子を鍛えてやることだろうなぁ。)
パルトは弱い。それは彼自身でもわかっているようだし、だから彼は俺についてくると決めたんだろう。傭兵だった父のように強く逞しくなりたい。そんな信念を胸に秘めて。
ならば、俺はその気持ちに応えてやる必要がある。あの禍々しい森でも1人で生き抜くことができるように、心も体も強くしてやらねば。そうすれば、俺もここに戻って来れるだろうしな。
(しかし、鍛えると言っても正直何からすればいいかよくわからんが……まぁ、ざっくりとだけど、新たな住まいでやるべきことは決まったことだけでも、よしとするか。)
そう思い、ゆっくりと目を開けると、目の前にエマの姿があった。
「やっぱり、こんなところにいたんだね。」
エマはそう笑うと、俺の横へ座り込んだ。小さな沈黙が少しばかり続いた後、エマが小さく切り出す。
「お祖父ちゃん、本当に行っちゃうんだね。」
「そうじゃなぁ。だが、今生の別れというわけでもあるまいよ。」
「縁起でもないこと言わないでよ。せっかく元気になったのに。」
エマは悲しげに「ふふっ。」と笑い、顔をこちらへと向ける。
「でもさ、本当は行ってほしくないんだよ。」
笑顔のままエマはそう告げるが、その顔には悲しさを必死に堪え、なんとか笑おうとしている彼女の想いが溢れ出ていた。それを見て、俺の胸にも寂しさが湧き、目頭に熱いものを感じてしまう。
「わかっておるよ。あの亜人の子が1人で生きられるようになるまでの間だけじゃよ。」
「それでも何年もかかるよね。」
その言葉に対する回答がすぐには浮かばなかった。エマのいう通り、パルトを鍛え上げるには数年はかかるだろうから。エマから視線を外し、再び空を見上げる。
「たまには帰ってくるつもりじゃよ。」
「……うん。」
エマもそれに対して、小さく頷いた。見上げている空には、双丘の形をした雲がいくつか浮かんでいた。




