第30話 2人とひとり
「これはこれは……壮観偉観じゃのぉ。」
今、俺の目の前には大きな滝壺が広がっている。左右を眺めればその端は見えず、見上げればその頂きに目は届かない。唯一、視認できるものといえば、真っ白な水飛沫が作り出す虹。それがなんとも言えない荘厳さを醸し出している。
「この滝はなんちゅ〜名前か……帰ったらエマたんに聞こうかのぉ。」
腰をトントンと叩きながら、俺は1人でそう呟いた。
長時間動き続けたせいか、少し腰が張っている。前回に引き続き、ちょっと激しく運動したもんだから仕方がないのかもしれないが。なんたって、この体は88歳とご高齢なもんで。
今は少し休憩を取っているところだ。ウサギの少年も、ずっと杖にかけられっぱなしじゃ疲れるだろうと思っていた矢先、この滝を見つけて立ち寄ることにしたのである。
ちなみに、この馬鹿でかい滝はアディスの滝壺と呼ばれているそうだ。俺がそれを知るのは少し後のことになるが、落差が約1,000mにも及ぶ自然の形成物で、滝というよりはまさに瀑布と呼ぶに相応しい規模と様相である。
そんな神秘的で雄大な風景から視線をずらし、啜り泣くウサギの少年に目を向け、俺はゆっくりとそばへ歩み寄った。
「よっこいしょ……」
倒木に座り込む彼の横に、俺はゆっくりと腰を下ろす。
「うぅ……父さん……母さん……」
目が覚めてからずっとこればかりで、彼は泣き止むことがなかった。家族を殺されたのだから、それも仕方のないことかと思うも、正直言えば、こういう時にかけるべき気の利いた言葉が浮かばずに内心でため息をつく。だが、何か声をかけてやらねばなるまい。少し悔しさを感じつつも、まずは名を尋ねてみることにする。
「わしゃ、ダビドというんじゃが……お前さんの名は何というんじゃ?」
「……う……うぅ……」
やはり回答はない。それも想定していたことだが、いざとなると少し寂しかった。
しばしの沈黙と啜り泣く声が、その場を静かに支配していく中で、俺は次の一手を考えようとチラリと少年に視線を泳がせた。するとその瞬間、それは突然起きた。俺の知らない情報が、まるで雪崩のように頭の中に流れ込んできたのである。
(な……なんだこれ!?う……)
突然のことで、一瞬理解が追いつかなくなる。しかし、それよりもなによりも、あまりの情報の多さに酔いかけ、気分が滅入りそうになってしまった。なんとか気力で持ち直そうと、意識を集中させて大量の情報たちを処理していく。そして、やっとのことでその大半の内容を理解するに至る。
(ふぅ……今のはやばかったな。まるで全方位から色んな映画を観せられて、それぞれに感想を求められる感じだった……)
内心で一息ついたつもりだったが、実際には大きなため息が出てしまう。だが、横にいる少年にふと気づき、不安にさせてはならないと再び冷静さを装った。
(……この子らは、"亜人"と呼ばれとるんか。)
流れ込んできた情報たちを整理してわかったこと。それは、横にいるこのウサギの少年が亜人族だということだ。そして、この森における彼らの生き様や亜人であるがために受けてきた処遇など、亜人族がこれまで歩んできた種族としての道のり全てが、今の俺の頭の中に収まっている。
そのソース元については俺にわかる由もないが、中でも1番驚いたのが亜人族の進化の系譜だ。彼らは魔物から進化を遂げた上位互換で、この森のカーストの最上位に立っているらしい。だが、魔物から進化したからといっても、彼らが人を襲うことはなく、自分たちの生活圏を形成して静かに細々と生き続けている、ということだそうだ。
(魔物から進化したんなら、魔王軍の残党と協力するんじゃないのか?)
そう考えたが、答えは違っていた。
確かに魔物は魔王が生み出した魔の産物であり、生み出される際に与えられる命令は人間の抹殺だという。魔王が倒された今もそれは変わらないし、魔物が生み出される理由は定かではないが、それゆえに魔物は魔族に従って人を襲う。しかし、亜人族は魔物からの進化の過程を辿るうえで、人に対する殺意、敵対心など、ありとあらゆる感情を失っており、その際に魔王からの命令も取り消されたのだとかなんとか……頭に入り込んだ情報からはそう読み取れた。まぁ、難しいことはわからないが、だから亜人族は魔族に与することはないらしい。
だが、そんなことを人間が知る由もない。魔物から進化した異形としか見ておらず、人は彼ら亜人族を迫害を続けてきたという。
(なんて悲しい話なんだ……)
望んで生まれたわけでもない。望んで進化をしたわけでもない。それでも、精一杯生きることを選んだ彼ら亜人族に対する世の中の反応は、とても冷酷であり、そして残酷なものだ。
俺は横にいる亜人の子を静かに見つめる。何をしたわけでもなく、ただ生まれてきただけなのに、森の奥深くから出ることを許されない。森では魔物の危険に晒され、外へ出れば迫害される過酷な運命に翻弄されながらも、必死に生きていたこの子らに起きた仕打ちがこれかと思い、悲しさが込み上げてきた。
「お前さん……パルトというんか。」
その時、俺にはなぜか少年の名がわかった。そして、意図せず小さく呟いていた。そのことに少年も驚いたようで、啜り泣くのをやめてこちらを見ている。
「どうして……僕の名前を……」
それは当たり前の疑問だが、そう尋ねられても俺にはなんと答えていいのかはわからない。俺自身も直感的にそう理解したのだから。
だが、名前のことなど些細な話に過ぎない。わかった理由を考えてもなんの意味もない。そう考えた俺は、思いついたひとつの提案をパルトという名の少年に投げかける。
「お前さん、わしと一緒にこんか?」
「え……?」
直情的かもしれないが、俺は本心でそう思っていた。親を亡くしたこの子を連れて帰り、自分が育てる。それはあまりにも自分勝手な考えかもしれない。だが、この子が望むならそうしたいし、1人で生きられるように強さを身につけてほしい。単純にそう考えたのだ。
「これはあくまでも提案じゃ。お前さんたち亜人の境遇は理解しておるし、ここに……この森に残りたいというなら無理にとは言わんよ。」
「…………」
亜人の少年パルトは長い耳を立てたまま、キョトンとした顔でこちらを見ている。彼の気持ちは言われずともとても理解できるものだ。これまでずっと迫害を受けてきたのに、その根幹たる人間から一緒に行こうと言われても、どう答えていいかわからないのは当たり前だろう。
だから、断られても仕方がない。俺はそう考えていた。
だが、パルトの口から飛び出した言葉は予想とは違っていた。
「あなたが……あの男を倒してくれたんですよね?」
「ん……まぁ、そうじゃな。」
「なら……僕を弟子にしてください。」
その眼差しには、覚悟を決めた決意が浮かんでいる。
「なぜ、弟子に?」
俺はとっさにそう尋ねた。確かに強く生きられるようにとは考えていたが、そういう強さとは思っていなかったからだ。ただただ、世の中の無情に負けない強さを持たせたいと願っただけだが、彼の考えは違うらしい。
「僕には強さが足りないんです。だから、何も守れない……。守れる強さがほしいんです………。」
彼は傭兵だった父の背中をずっと見てきたという。魔物すら軽く凌駕する父の強さに憧れていたそうだ。だが、憧れるだけで何もしなかった。父に教えを請うこともなく、ただ憧れるだけ。父と母に守られていることすら理解せず、勝手に強くなった気がしていたのだ、と。それが悔しいのだ、と。
家族を守れず、目の前で殺されたことは彼の心に大きな傷を残しているはずだが、彼はそれに負けることなく、戦うつもりなのだろう。これから、この先ずっとその十字架を背負って生きていくつもりなのだ。その覚悟はおそらく本物だ。そういう眼をしているから。
「……まぁ、よかろう。」
俺にも別に断る理由はなかった。俺は俺で運良く拾った命であるし、彼を受け入れたところで失うものなど何もないからだ。答えを受けたパルトは、特に喜ぶわけでもなく、ただひたすらに俺に視線を向けている。それがちょっとこそばゆい気がして、俺は話を切り上げた。
「んなら、まずは帝都に帰るかのぉ〜。」
彼の両耳がピンと張り、表情には緊張の色が見える。彼にはその意味が理解できたのだろう。人がいる街に自分が行く……いや、行かなければならない意味を。
「……はい。お師匠。」
パルトは腰を上げる。そして、俺に対して深々と頭を下げた。
そんな2人の様子を、少し離れた木の陰から窺う者がいた。
「あれが……わたし……。」
その口元に小さな笑みを浮かべて。




