第17話 ゴウカイコウテイ
宰相フルフェス=ティーマンは急いでいた。
「なんたるや!あ〜!これはなんたるや!!」
部下からの連絡を受けるや否や、自分の執務室から飛び出して一心不乱に駆ける御年62歳。彼は皇帝のもとへ急いでいた。
「ティーマン殿?いったいそんなに慌て……」
途中で同僚に問いかけられるが、今はそれどころではない。フルフェスはその問いに耳を貸すことなく、メガネを揺らしてその場を慌ただしく駆け抜けていく。同僚はもちろん唖然とした表情を浮かべていた。
(なんということだ!これは一大事である!早く陛下にお伝えせねば!!)
だが、はやる気持ちとは裏腹に体力はついてこない。走れば足が回らずにつまづいて転び、階段を上がれば心臓が飛び出しそうになる始末。息も絶え絶えになりながら、やっとのことで皇帝の執務室へとたどり着いた。
「え……えらいことでございますぞ!!陛下ぁ〜!!」
目の前にあるのは皇帝の執務室のドア。本来ならばノックをして許可を得てから入るべきだが、ことは急を要する。止まることなく勢いよくドアを開き、転がり込むように部屋に入った。だが、運動音痴が祟ってか、フルフェスはドアの小さな段差につまづいて、文字通り部屋へと転がり込んだ。
「……フルフェス。相変わらずだな。そんなに慌てていったいどうしたのだ。」
イスに座って書類に目を通していた男は、目の前でうつ伏せのまま倒れているフルフェスに呆れたようにそう問いかける。白髪で精悍な顔つきのこの男の名は、エラルド=フィル=マレウス。この国の皇帝である。
「も……申し訳……ご……ございません。ハァハァ……大事な……お話が……ゴホッ……ございます。」
「大事な話……か。しかしまぁ、それを聞くにはまずお主が落ち着く必要があるだろうな。」
エラルドは冷静にそう告げて、側仕えの女に指示を出す。すると、女は手際良くコップに水を注ぎ、フルフェスへと差し出した。
「すみま……せん。ングッングッ……ぷハァーッ」
フルフェスは受け取ったコップを口へと運び、一気にそれを飲み干して大きく息をつく。そして、いくつか深呼吸をした後、ずれたメガネを直しながらゆっくりと話を切り出した。
「さ……先ほど第一歩兵騎士団から知らせが届きました。」
「ほう……。クロフォードのところか。」
エラルドはそれを聞いてピクリと眉を動かす。第一歩兵騎士団と言えば、かつて大将校と謳われたダビドが立ち上げた騎士団であり、今はその息子であるアルベルト=クロフォードが率いている騎士団でもある。そんな騎士団からの知らせとはなかなか興味深い。
(吉報か凶報か。いずれにせよ、気にはなる。)
エラルドはそう思い、続けるように促した。フルフェスは小さく頷くと一つ目の書簡を手元で開く。
「まず一つめですが、上級魔族の出現が確認されたとの報告が……」
「なんだと!!?」
その言葉を聞いて、エラルドは勢いよく立ち上がった。その顔には先ほどまでの冷静さはなく、怒りと焦りが溢れている。しかし、そうなるのも無理はない。上級魔族は単体で街を滅ぼすほどの脅威を持つため、帝国だけでなく近隣諸国でも危険視されている存在なのだから。
「すぐに援軍を送れ!街を……民を助けねばならん!」
エラルドはまさに鬼の形相で、そうフルフェスへ指示を出す。だが、フルフェスはというと、そこまで焦っている様子はなく、すでに次の書簡を読む準備を初めている。その態度がエラルドの癇に障った。
「フルフェェェェス!!聞いておるのかぁ!?事態は深刻なるぞぉ!!早く騎士団に指示を出さんかぁ!!」
髪を逆立てて両手で机を叩き、大声で叫べば部屋全体が大きく揺れる。窓が鳴り、書類は宙を舞い、家具たちが怯えるように震える。
皇帝エラルド=フィル=マレウスは、歴代の皇帝の中でも軍神と名高い王である。その才は兵法だけに留まらず、本人の武勇も数多く存在する。中でも単騎で魔王とやり合ったという事実は、もはや伝説とまで称されている。もちろん勝つことは叶わなかったが、勇者の次に強いとまで噂されるほどにその強さは語られ続けている。だから、当時のエラルドであれば上級魔族の出現を聞いた瞬間、単騎で乗り込んで屠っていただろう。
だが、そんなエラルドも歳には勝てない。さすがに78歳にもなれば、そういった無茶はしないものである。
とはいえ、彼の存在感はまだまだ健在だ。それは今この現状を見れば一目瞭然。一度怒れば、文官たちでは抑えることはできないほどに、彼の覇気は衰えを知らなかった。
だが、そんな彼の怒号を受けてなお、フルフェスは焦ることなく2通目の書簡を手元に開く。
「陛下。話にはまだ続きがあるのです。話がそれだけでしたら、陛下の許可を得ずとも私が軍を動かしております。」
威圧の嵐にも顔色一つ変えず、まるで落ち着けと言わんばかりにそう告げるフルフェス。そんな彼の態度にエラルドは気が削がれてしまった。
「……確かにそうだな。と言うことは上級魔族の対処は問題ないのだな?」
その問いにフルフェスがこくりと頷くと、エラルドは安堵を浮かべる。
「ならよい。して、話の続きとはなんだ?」
落ち着きを取り戻し、腰掛けるエラルドを見て、フルフェスは満足げに笑うと咳払いを一つ。
「二つめは吉報です。この国にとっても、陛下にとっても。」
そこまで告げてちらりとエラルドを見るフルフェス。そんな彼の勿体ぶる態度に、エラルドが痺れを切らす。
「なんだ……勿体ぶるな。フルフェス。」
「すみません。陛下の喜ぶ顔が浮かんでしまって、つい……」
「ほう?それほどまでに良い知らせなのか?なんとも興味深いな。」
「はい。実はあのダビド殿が病からご復活なされたと第一歩兵騎士団からほ……」
「なんだとぉぉぉぉ!!!」
またも話の途中で勢いよく立ち上がるエラルド。その迫力と咆哮は先ほどまでとは比べ物にならないほどだ。これにはさすがに気圧されてしまうフルフェス。だが、エラルドから感じられるのは怒りではなく喜びだ。
「フルフェス!!すぐに馬を用意しろ!!すぐにクロフォード家へ向かうぞぉ!!」
「へ……陛下!落ち着いてください!すぐに使者を送り、ダビドさまを帝都へお呼びしますから!!」
フルフェスがそう諭そうとしても、エラルドは止まらない。
「何を言うか!!こんな慶事にジッとなどしておれるか!!すぐに向かう!今から向かう!!絶対に向かうのだぁぁぁ!!」
一度言い出すと、止まらなくなるのがこの人の悪いところだ。フルフェスはそう言いたげに大きなため息をつくと、切札……というかド正論を彼に突きつけた。
「ですが陛下、明日はコルディア司国からの来客もあるのですよ。さすがにそれを無下にはできません。」
「ぬ……ぬぅ……そうであったな。」
さすがに他国との約束を違えることはできない。聞かん坊のエラルドにでも、それはすぐに理解できることだ。彼はすぐに冷静さを取り戻した。
「無念ではあるが、奴の……ダビドの到着を楽しみに待つしかないか。」
「そうですな。すぐにクロフォード家には使者を送ります。ダビドさまがお越しになるまでは、しっかりと職務を全うしてください。」
その言葉を聞いたエラルドは、視線を逸らして不満げに舌打ちする。もともと彼自身、武勇に長けた男であるから細かいことは苦手……というか嫌い。そういったものは全部宰相であるフルフェスに任せているから、改めてそれを言われると機嫌を損ねがちであった。
「そう機嫌を損ねずとも、数日でダビドさまに会えますよ。それよりもまずは明日のコルディアとの会談です。」
フルフェスが諭すように告げると、エラルドも「わかっておる。」と呟き、先ほど見ていた書類を手に取った。
ーーーコルディア司国とマレウスフィカレム帝国の魔族殲滅協定の締結について
それを見て、エラルドは改めて眉を顰めるのであった。




