悪役令嬢は死ななければいけない
悪役令嬢は死ななければいけない。
当然だ、と思う。
悪は報いを受けなければならない。
報いを受けなければ、物語が成立しない。
「ロカルノ公爵令嬢、貴方との婚約を破棄する。」
ざわっとどよめきが広がる。
ある者は面白そうに、ある者は巻き込まれたくなさそうに、それぞれの思惑を隠そうとしないまま私たちに注目を集める。
きらびやかなシャンデリアがわずらわしい。
このドレスも、髪の飾りも、身分すら取り払ってしまいたい。
全部全部、いらない。愛さえ抱えていられればそれでよかった。
「聞いているのか?」
王太子の声でシャテルは現実に引き戻される。
「聞いております。理由をお伺いしても?」
予定調和的に、シャテルは至極当然の疑問を投げかけた。
「身に覚えがないとでもいうのか?
ルガノ伯爵令嬢を苦しめておいて、貴方の良心は少しも痛まないのか。」
憎々し気にこちらを見つめる王太子のそばに侍るのは、ルガノ伯爵令嬢であるローザンヌだ。
小さく肩を震わせてうつむいている。
男性の庇護欲を誘う小さな体、愛らしい容姿、初々しい笑み。
どれもシャテルが持って生まれなかったものだ。
「痛みませんわ。」
シャテルは毅然と告げた。
ローザンヌへの危害を否定しないシャテルに、大きなざわめきが起こった。
王太子もその瞳に憎悪を滾らせてシャテルを睨みつけた。
「貴方は公爵令嬢という身分を笠に着て、ルガノ伯爵令嬢を害そうとした。それを認めるのだな?」
王太子の横でローザンヌが顔を上げたのを視界の端にとらえながら、シャテルはうなずいた。
「認めますわ。隠す必要がどこにありましょう。」
「貴様ッ...」
「図々しい女。
運よく伯爵令嬢になっただけの非嫡子が、王家にすり寄るなんてなんて厚かましいことでしょう。
私が公爵令嬢ということを笠に着ているとして、結局得をしたのはそこにいる伯爵令嬢ではありませんの。
低い身分を笠に着て、礼儀や作法の未熟さを許してもらっているだけでしょう?」
「黙れ!」
王太子からの怒号に、シャテルは素直に口を閉じた。
人々の冷ややかな視線が突き刺さった。
「よくわかった、ロカルノ公爵令嬢。皆もよく聞け!
ロカルノ公爵家は、未来の王妃であるローザンヌを害した罪で取り潰しの処分とする!
ロカルノ公爵、夫人、ロカルノ公爵令嬢は処刑だ!」
重大な発表に人々が固まった。
伯爵令嬢が王太子妃になるにはいささか身分が低い。
しかし一連の成り行きによって可哀そうなローザンヌの株は上がり、反対の声を上げる者はいなかった。
未来の王妃。
その言葉にシャテルは薄く笑みを浮かべた。
皮肉気な表情が王太子の怒りをさらに刺激したのだろう、王太子は衛兵になにかを命じ、シャテルは目を薄く閉じた。
「待ってください!」
ローザンヌだった。
ふわふわの黄緑色の髪の毛を揺らして、目に涙を浮かべている。
「ローザンヌ、どうしたんだ?
身の危険はもうなくなった、安心していいんだ。」
ローザンヌは大粒の涙を流しながら首を一生懸命に降る。
困惑する王太子など眼中にないように、彼女はシャテルをまっすぐに見つめている。
「違う、違います!シャテル様は...」
「呼ばないで!!」
シャテルの鋭く高い声が会場に響き渡る。
「あなたに名など呼ばれたくないわ!下賤の血のくせに!近寄らないで!」
「シャテル様、」
「あなたのその偽善の精神、気味が悪くて仕方がないの!
助けてあげている自分を演出して、その実、他者を見下し優越感に浸りたいだけでしょう?
私はあなたに情けをかけられるほど落ちぶれていないわ!」
ローザンヌの肩を抱いた王太子がなぐさめるように首を振った。
「聞く必要はないよローザンヌ。
彼女の心はすっかり汚れてしまって、他者を信じることができないんだ。」
どう思われたっていい。
ローザンヌに口を開いてほしくはなかった。
「もういい、連れていけ!」
ローザンヌがまたなにかを喚きだそうとしたので、かき消すようにシャテルは叫んだ。
「王太子殿下、あなたをこの世で最も愛しているのは私ですわ!
今に後悔します、その女を王妃に据えたことを!
私の価値を思い知りますわ!」
シャテルは嫉妬に狂った醜い令嬢として、社交界から姿を消した。
始まりはデビュタントでの出会いだった。
あまりの人の多さに気疲れしたシャテルは、庭園に出ようとして階段から落ちてしまった。
高さはなかったから怪我はせずに済んだものの、今日のために何年も前から準備していたドレスは枝に引っかかってボロボロだし、足が痛んで歩けそうもない。
社交界デビューの慶事にみすぼらしい姿になっている自分を誰かに見られてしまうことを、シャテルは一番に心配した。
陰に隠れようとするも、足が痛くて動けない。
こんな姿をさらしてしまえば、シャテルの公爵令嬢としてのプライドは砕け散ってしまう。
シャテルが呆然として泣きそうになっているとき、ドアが開いて光が差した。
だれかが庭園に来てしまった。
せめて、このドレスだけは隠させてほしい、見ないで!
シャテルは背中に光を背負いながら、絶望した。
「あの時は本当に嬉しかったですわ。」
「ああ、またデビュタントの時の話か。何度目だい?」
王太子が穏やかに笑った。会話の流れとしての笑みに彼の本心は伴っていなくとも、別によかった。
「運命だと思いました。忘れられませんわ。」
「そんな大げさな。でも私も、暗闇に座り込んでいる女性がいたから何事かと思ったよ。」
「あの時助けて下さらなかったら、私は立ち直れないほどの傷を負っていたかもしれませんわ。」
「君は誇り高い女性だからね。」
適当に相槌を返す王太子に、シャテルは薄く微笑んだ。
王太子の婚約者の座は、シャテルとロカルノ公爵家が必死に勝ち取ったものだ。
もちろんほかの候補を大勢蹴落としたし、汚いことにも手を染めた。
王太子がそういう背景を持つ自分に気を許していないのは知っていたし、自分の恋心が伝わっていないことも分かっていた。
それでよかった。
シャテルは、王太子の婚約者でいられれば満足だった。
シャテルは目を覚ました。
今日は処刑の日だった。
シャテルは広場につれていかれて、斬首される。
貧相な囚人服を着せられ、自慢の髪の艶は失われ、公爵家という身分を失った自分を、人々はいいように笑うだろう。
貴族の中で最も高貴な公爵家が一夜にして落ちぶれ、あまつさえ処刑されるという大事件は、国内外から大きな注目を集めていた。
看守は黙って鎖につながれるシャテルをみて、無感情に言った。
「なにか言い残すことはあるか。」
シャテルは少し考えて答える。
「最後に愛を、私の愛を伝えたいですわ。」
看守は冷めた目でシャテルを見下ろした。気持ちの悪い女だ、そういう表情をしていた。
「王太子殿下にか?」
「いいえ。」
「ローザンヌに」
シャテルの首が朝露へ消えた。
ローザンヌは涙を止めることができない。
ずっと食事をとっていない彼女を心配して、王太子が直接ローザンヌを訪れてきたこともあったが、顔を見たくなかった。
対面してしまえばつかみかかってしまいそうだった。
お前のせいだ、と。
彼らに罪はない。
次期宰相ガレンにも、公爵令息ツークにも、騎士団長フリブール、王太子の側近バーデンにだって。
彼らは決められた通りに動いていただけ。
そこに本当の意味での意思はない。
ローザンヌとシャテルがこの仕組みを知ったのは単なる偶然だった。
「ほんと、変わったゲームよね。」
「ですよねえ、主人公の能力値もわりと気にしなきゃいけないし、タイミングとかシビアですよねえ。あーあ、せっかく転生するならもっと楽なヌルゲーにしてほしかったです。」
「まあまあ...、それに貴方、結構順調じゃない?さすが王太子ルート5周しただけあるわね。」
「だってゲームのままなんですもん。ローザンヌも、シャテルも、そのまま!」
仲がよさそうに談笑するベルニア男爵令嬢とオルニン伯爵令嬢の会話を、昼食をとっていたローザンヌとシャテルのもとに聞こえてきた。
二人が座っているのは校舎の間、通行人から陰になっている位置にあるベンチだ。
ローザンヌとシャテルはちょうど壁を挟んだ向かい側の校舎の中、使われていない空き教室にいた。
窓から二人の声がする。
なにを話しているかはわからないが、早く立ち去ってくれることを願いつつ息を潜めていると、自分たちの名前が出てきたのだから驚きだ。
ゲーム?ルート?
一体何のことを言っているのだろう。
二人は首をかしげた。
ベルニア男爵令嬢とオルニン伯爵令嬢はそれからもここを密会の場にした。
学園生活で二人が一緒にいるところは目にしないから、ローザンヌとシャテルのように特別深い仲なのかと思いつつ、二人の話す内容は日々具体的になっていく。
「そろそろイベントじゃない?王太子の婚約者決め!」
「あ、そうですねえ、もうそんな時期ですか。」
「ねえどうすんの?早期完結ルートならここで婚約者になるけど…」
「うーん」
二人とも怪訝な表情で顔を合わせる。
シャテルは王太子の婚約者候補だが、ベルニア男爵令嬢とオルニン伯爵令嬢はどちらも違ったはずだ。どうして知っているのだろう?
いつもは聞き流している「ルート」という言葉が胸をざわつかせた。
「私は断罪までちゃんと楽しみたいなあ。やっぱ醍醐味だし、トゥルーエンドですし。」
「ふふっ、趣味わる。」
「何よ、リーエンだってちゃっかりガレンをゲットしちゃってさ。」
「仕方ないでしょ、前世からの推しなんだもん。」
「はいはい。それにしても、悪役令嬢のいじめってどんくらい苛烈なんですかねー?」
悪役令嬢?
「まあ、原作では水かけられたり、持ち物隠されたりだったけど…」
「あんまり痛くないといいなー。いやあ、それにしてもやることが小さくて流石庶子...あれも伏線だったんですよね?」
「一説によるとね?
でも婚約者のシャテルが犯人かと思わせておいて、実は黒幕がローザンヌだったなんて良いシナリオよね。」
「まさに悪役令嬢って感じです!」
「ローザンヌの処刑シーンえぐかったよねえ。悪役令嬢には死んでもらわないと」
アハハ...
シャテルは手が震えているのに気が付いた。
この人たちが言っていることが、やけに真実味を帯びているように聞こえる。
隣にいるローザンヌが、琥珀の瞳を揺らした。
悪役令嬢には、死んでもらわないと?
彼女たちは語りだした。
シャテルがローザンヌに恩があること。
デビュタントの途中で服を切らしてしまったシャテルは、ローザンヌに大きなストールをかけてもらったことで、その後を過ごすことができたこと。
デビュタントの日に助けてもらって以来、ローザンヌと特別仲良くしていること。
しかしシャテルが王太子の婚約者になってからは、ローザンヌは次第にシャテルに嫉妬するようになり、シャテルをヒロインもろとも自滅させようと計画したこと。
まるで他愛もない昔話をするような雰囲気。
あの日のことはシャテルとローザンヌ以外知る由もない話だったから、シャテルは彼女たちを信じた。
シャテルは彼女たちを殺した。
ヒロインを失ったゲームは歯車が狂いだした。
王太子はほほ笑んだまま何日も動かなくなったり、あちこちで時計の針が逆に進んだりした。
しかしそれも、ローザンヌがシャテルにいじめられ始めると止まった。
シャテルはローザンヌを苛烈にいじめた。
ベルニア男爵令嬢たちが話していた通りにローザンヌをいじめぬいた。
ローザンヌは次第に人格を変え、王太子にすがるようになった。
王太子もそんなローザンヌに同情し、同情が愛情に変わり、二人は愛し合うようになった。
シャテルは断罪の日を待った。
「ロカルノ公爵令嬢、貴方との婚約を破棄する。」
ローザンヌの琥珀の目が見開くのを見て、シャテルは静かにほほ笑んだ。